2022年5月17日火曜日

マラルメとドガ(ヴァレリー)

 


この二人の交渉は決して簡単な性質のものではなく、またそうある筈がなかった。というのは、ドガの残忍なまでに無遠慮な意識的に邪慳な性格ほど、マラルメの意識的な性格と異なっているものはなかった。


マラルメは或る思想の下に生きていたのであって、彼が想像していた或る最高の作品が彼の生涯の究極の目標であり、それは彼にとって彼の存在を正当化するものであると同時に、宇宙そのものが包含する唯一の意味でもあった。彼はこの、宇宙の本質たる純粋な概念を保存し、それをますます明確にしていく目的の下に、彼の外面的な生活とか、人や出来事に対する彼の態度とかを根本的に建て直し、変換して、この概念を規準としてすべてのことを評価したのだった。敢て言えば、彼にとって人とか作品とかは、彼が発見したことの真理がどの程度に其処に明確に感知されるかということによって整理され、それによってそれらの人とか作品とかの価値が決定されるのだった。

ということは、彼が彼の脳裡において多数の存在を容赦なく処分し、抹殺し去ったことを意味するのであって、彼が何人に対しても、礼儀を重んじ、忍耐強く、また真に驚歎すべき優しさを以て彼らを迎えたということの根柢には、常にこの非情さが横たわっていたのである。

彼は誰が彼を訪問しても必ず面会し、すべて彼の所にくる手紙に、常に典雅な、そして絶えず新しい言い廻しで満たされた文章で答えた……。彼のそういう洗練された応対の仕方や、相手が誰であるかを問わない鄭重さはしばしば人を驚かせ、私にしても、極めて素朴な意味でそれを不愉快に思ったことがあるが、彼はこの普遍的に礼儀正しい態度によって、何人も侵すことができない一つの武装区域を設定し、その圏内に彼の稀有の矜持は、それが彼のものであることにおいて少しも損なわれることなく、彼と彼自身の特異さとの親密な対決の、無類の結実として存在する場所を与えられたのだった。


これに反してドガは一歩も人に譲ることがなく、事情を斟酌したりするには余りにも性急で、専らはったりで物事を批判し、まったく弁解の余地を残さないような辛辣な言葉ですべてを片づけてしまうことを好み、そういう彼の苦々しい気持が、何事も彼の何処かに潜んでいることが感じられ、事実彼は些細なことで機嫌を悪くし、たちまち激昂するのだった。そしてそれはマラルメの少しも変わることのない、滑かな、他人に対する気遣いに掛けて実に微妙な、そして絶えずこの上もない皮肉を裡に含んでいる態度とは似ても似つかぬものだった。

マラルメもドガのそういう、自分とは正反対の性格には幾分辟易していたように私には思われる。


ドガの方では、マラルメのことを常によく言っていたけれど、彼は主としてマラルメの人物に好意を寄せていたのだった。そして彼にマラルメの作品は、一人の卓越した詩人の精神がほんの少し変になった結果であるとしか考えられなかった。しかもそういう誤解は芸術家の間にはありがちなことなのであって、むしろ彼らは、お互いに理解し合うことが全然ないように出来ているということさえも容易に想像されるのである。殊にマラルメの書いたものはその性質からして、あらゆる種類の諧謔や嘲笑の的となるのに適していた。その点でドガの意見は、マラルメも時々寄ることがあったゴンクールの家の常連がやはりマラルメの作品について考えていたことと少しも異る所がなかった。

彼らはマラルメの人物に魅せられて、彼らと話している時は極めて明晰な頭脳の持主であり、常に無類の正確さと純粋さで豊富に暗示しつつ話をする人間が、何か書くと、全然意味が取れない、煩雑さそのもののような作品がその結果として出来上るのを、まったく不思議なことに思っていたのだった。殊に彼らには、彼ら自身は努めてその歓心と顧慮とを獲得しようとしている公衆というものをマラルメが完全に無視しているのが、どういう訳なのか少しも理解することが出来なかった。


そしてもしその時、自分の著作の法外な出版部数を第一義のことに考え、同じ文学者として互いに激烈に嫉妬しあっていたこれらの大作家たちに、五十年立たないうちに彼らの言説に対する信頼や、彼らが書いた有名な小説の売れ行きがまったく衰えて、その代わりに、長い期間に亙って極度に意識的に練磨された形式の効果によって流行や読者数の影響を絶した、マラルメの僅少な、秘教的な作品が優れた精神の持主たちの裡に、完璧さというものの強大な諸能力を発揮することになることを予言したら、彼らはどれほど驚いたことだろう。

或る日ゴンクールの家に集まった人たちが議論をしている時、ゾラがマラルメに、彼の考えでは糞とダイヤモンドは同じ値打ちだと言った。「そうね、――しかしダイヤモンドはそうざらにあるものじゃないな」とマラルメが答えた。


ドガは平気でマラルメの詩を種々の笑い話の種に使った。マラルメの詩は、


Victime lamentable à son destin offerte …


(その宿命に捧げられたる憐むべき供物、……)


だった。

例えばドガの話によると、マラルメが或る日彼が作った十四行詩を弟子たちに読んで聞かせた。弟子たちはそれにすっかり感心してしまってそのあげく、各々その解釈を試みた。或るものは、其処には夕焼けの空が歌われているのだと言い、また或るものは、其処には荘厳な日の出が詠まれているのだと言った。そうするとマラルメは、「そんなことはないよ……。これは私の箪笥の歌なんだ」と言ったそうである。


ドガはこの話をマラルメの面前でもしたことがあるらしく、その時マラルメは微笑したが、それは少し無理な微笑だったということである。(ヴァレリー『ドガに就いて』吉田健一訳)



……………………



マラルメは五歳のときに母を失い、十五歳のときに妹を失い、その二年後には女友だちの病死に立ち会い、二十一歳で父を失って孤児同様となり、さらに後年には若い頃の片思いの相手で友人の妻となった女性の死に遭い、それからまもなく今度は自分の息子の死に直面する。幾多の親しい者たちの死に出会うたびに、散文や詩を書いた。また敬愛する詩人の死にさいしても、数多くの哀惜の念にあふれた詩を作っている。 《私の友が旅立ってはじめて、そのときから本当に私は彼らとともに、また私の「夢」のかたわらにいる彼らの思い出とともにいるのである。》このように告白するマラルメは、まるで生者よりも死者のために生きているかのようである。死者を語るときも、多くの場合は自己を語っていて、亡き詩人の栄光のなかに自己の詩を投影させている。

先輩詩人を別にすれば、彼が死別してきた親しい者の多くは女性である。マラルメにおいて、女性にたいする観念が死者にたいする観念を呼び起こすとしても不思議ではあるまい。妻ですら、生命感の乏しい、現在や未来よりも過去につながる女性である。そこにない自己の理想を求めることと、そこにいない女性に呼びかけることとは、マラルメにとってはほとんど同義の意味をおびている。〈詩〉は〈死〉と〈女性〉に緊密に結びつけられている。したがって、現実から逃れるためにその出口を探すとき、当然その通路は〈未来〉ではなく〈過去〉に通じている。《ゆえに、自然に対しては、マラルメは 「微笑む」 以外に成す術がないと考えたが、一方、言葉にたいしては、そのことが否定的に証明されているにもかかわらず、言葉へと通じた通路がどこかにあることを常に望んでいた。 私見によれば、この希望こそが、彼の詩学の真の源泉である。 なぜなら、この希望だけが彼の生に存在理由をあたえていたからである。》(イヴ・ボンヌフォワ) 

〈死〉ときわめて近いところに位置しているマラルメの〈詩〉が、《沈黙から発し、沈黙へ戻る》のも当然であろうし、またサルトルが言うように、その充溢した瞬間が実際は不在に満ちたものであるのも、必然的な成り行きであったろう。しかし他者の意味も、自己の生の意味も、年を経るにしたがい微妙に変化する。ボンヌフォワの言葉とサルトルの言葉はほとんど同一の基盤に立っているように見えるが、前者はその通路が〈過去〉に向かう限りにおいては1866年以前のマラルメの姿であり、後者はその不在が〈死〉の固定観念を(少なくとも以前ほど直接的には)引き起こさない限りにおいては、1866年以後、より正確には1870年代以後のマラルメを語ったものである。(山中哲夫「初期のマラルメに関するテーマ研究試論(1))




Soupir


Stéphane Mallarmé


Mon âme vers ton front où rêve, ô calme soeur,

Un automne jonché de taches de rousseur,

Et vers le ciel errant de ton oeil angélique

Monte, comme dans un jardin mélancolique,

Fidèle, un blanc jet d’eau soupire vers l’Azur !

– Vers l’Azur attendri d’Octobre pâle et pur

Qui mire aux grands bassins sa langueur infinie

Et laisse, sur l’eau morte où la fauve agonie

Des feuilles erre au vent et creuse un froid sillon,

Se traîner le soleil jaune d’un long rayon.


ためいき


私の魂は、おお、静かな妹よ、落葉の色が点々と

斑に散らばる秋が夢みる  君の額の方へむかって、

また  天使のような君の瞳の  ゆらめく空の方へむかって、

立ち昇る、それはさながら  愁いにふさぐ庭園で、

たゆみなく青空へ  ためいき洩らす一筋の白い噴水!

ーー青空は、仄白い鈍い十月に色も和んで、

きわみないその物憂さを大きな地の水面に映して、

浮かぶ落葉の褐色の苦悩が  風にただよい

冷たい水尾をひきつつ動く  淀んだ池水の上に

ながながと  黄色い太陽の光線が遍うにまかせる (松室三郎訳)





可能なあらゆる言説を、語の束の間の厚みのなかに、白紙のうえのインクで書かれたあの厚みのない物的な黒い線のなかに、閉じこめようとするマラルメの企ては,事実上、ニーチェが哲学にたいして解決を命じた問い掛けに答えるものだ。

L’entreprise de Mallarmé pour enfermer tout discours possible dans la fragile épaisseur du mot, dans cette mince et matérielle ligne noire tracée par l’encre sur le papier, répond au fond à la question que Nietzsche prescrivait à la philosophi〔・・・〕


だれが語るのか? というこのニーチェの問にたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーー語の意味ではなく,その謎めいた心もとない存在だ、と述ぺることによって答え、みずからの答えを繰りかえすことを止めようとはしない。

A cette question nietzschéenne : qui parle? Mallarmé répond, et ne cesse de reprendre sa réponse, en disant que ce qui parle, c’est en sa solitude, en sa vibration fragile, en son néant le mot lui-même – non pas le sens du mot, mais son être énigmatique et précaire. 〔・・・〕


マラルメは,言説がそれ自体で綴られていくようなく書物>の純粋な儀式のなかに,執行者としてしかもはや姿をみせようとは望まぬほど、おのれ固有の言語から自分自身をたえず抹消つづけたのである。

Mallarmé ne cesse de s’effacer lui-même de son propre langage au point de ne plus vouloir y figurer qu’à titre d’exécuteur dans une pure cérémonie du Livre où le discours se composerait de lui-même. (ミシェル・フーコー『言葉と物』第5章「人間とその分身」1966年)