2023年5月18日木曜日

ラカンにおける「欲動と欲望」の混同とその修正


◼️ラカンにおける「欲動と欲望」の混同とその修正


ラカンは1958年の『ファルスの意味作用』では欲動と欲望の混同があり、1964年の『フロイトの欲動』にてその混同を修正した。

ラカンの『フロイトの欲動と精神分析家の欲望』(Ecrits, 1964)、このテクストは欲動と欲望の区別に当てられている。このテクストはこの二つを混同してはいけないということを強調している。ラカン自身、『ファルスの意味作用』(Ecrits, 1958)においては欲動と欲望を混同していた。

"Du Trieb de Freud et du désir du psychanalyste"…c'est un texte qui est consacré à la disjonction de la pulsion et du désir, et pour accentuer précisément qu'il ne faut pas les confondre comme il avait pu le faire dans "La signification du phallus". (J.-A. Miller, DONC Cours du 18 mai 1994)



◼️欲望は快原理内にあり、欲動に対する防衛(抑圧)あるいは代理である


この1964年のテキスト『フロイトの欲動』で、快原理の彼岸にある欲動とは異なり、欲望は快原理内にあることを示した。

ラカンは、欲動は《裂け目の光の中に保留されている》(『フロイトの欲動』E851) と言う。〔・・・〕さらに《欲望は快原理によって負わされた限界において〔この裂け目に〕出会う》(E851)と。これは、欲望は快原理の諸限界の範囲内に刻まれている、ということを意味している。

Lacan peut dire qu'elle (la pulsion) est "suspendue dans la lumière d'une béance".(…) "Cette béance, dit-il, le désir la rencontre aux limites que lui impose le principe du plaisir." C'est déjà inscrire le désir dans les limites du principe du plaisir. (J.-A. Miller, DONC Cours du 18 mai 1994)


もっともこの修正は、1960年のテキスト『主体の転倒』に事実上、現れている。


欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である[le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.]( Lacan, SUBVERSION DU SUJET, E825,1960)


ここでの享楽はもちろん欲動である、《欲動は、ラカンが享楽の名を与えたものである[pulsions …à quoi Lacan a donné le nom de jouissance].(J. -A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 11/05/2011)


すなわち欲望は享楽に対する防衛とは、「欲望は欲動に対するの防衛」を意味する。

防衛の別名は「抑圧」である。

私は後に(『防衛神経精神病』1894年で使用した)「防衛過程 Abwehrvorganges」概念のかわりに、「抑圧 Verdrängung」概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの「防衛Abwehr」という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。(フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926 年)


したがって欲望は、《享楽の抑圧・欲動の抑圧[le refoulement de la jouissance, le refoulement de la pulsion] 》(J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97)である。


別の言い方をすれば、欲望は症状であり、欲動の代理、享楽の代理である。

症状は差し止められた欲動満足の徴であり代理であり、抑圧過程の結果である[Das Symptom sei Anzeichen und Ersatz einer unterbliebenen Triebbefriedigung](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)

症状は拒否された享楽の代理として定義される[le symptôme se définirait comme l'ersatz d'une jouissance refusée (J.-A.Miller « Enfants violents »,18 mars 2017





◼️欲望は自我の審級にある


欲望が快原理内にあるということは、自我の審級にあるということである。


フロイトの自我と快原理、そしてラカンの大他者のあいだには結びつきがある[il y a une connexion entre le moi freudien, le principe du plaisir et le grand Autre lacanien ](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 17/12/97)


ジャック=アラン・ミレールはここでフロイトに自我と大他者を結びつけているが、この大他者は言語、すなわち象徴界である。


大他者とは父の名の効果としての言語自体である [grand A…c'est que le langage comme tel a l'effet du Nom-du-père.](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 14/1/98)

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)


もっともラカンにおいて厳密には自我は象徴界ではなく想像界である。ーー《自我は想像界の効果である[Le moi, c'est un effet imaginaire.]》(J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, Cours du 10 juin 2009)


とはいえ、自我は象徴界の言語に構造化されている。

想像界、自我はその形式のひとつだが、象徴界の機能によって構造化されている[la imaginaire …dont le moi est une des formes…  et structuré :… cette fonction symbolique](Lacan, S2, 29 Juin 1955)


つまり想像界の自我は象徴界の言語に支配されている。


想像界は確かに象徴界の影響の外部にあるが、他方、ラカンは常に付け加えた、この想像界は同時に象徴界によって常に支配されていると[l'imaginaire est bien ce qui reste en dehors de la prise du symbolique, tandis que, par un autre côté, Lacan ajoute toujours que cet imaginaire est en même temps dominé par le symbolique]. (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)


この文脈のなかで、ミレールは自我と大他者を結びつけているのである。つまり象徴界の言語との結びつき、かつまた自我と欲望の結びつきである。


欲望は大他者に由来する[le désir vient de l'Autre](Lacan, DU « Trieb» DE FREUD, E853, 1964年)

欲望は言語に結びついている。欲望は象徴界の効果である[le désir: il tient au langage. C'est … un effet du symbolique.](J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)


こういったフロイトとラカンとの間のやや錯綜した箇所は、フロイトは自我と言語を厳密には区別していないが、ラカンは想像界の自我と象徴界の言語を区別したためである。



◼️欲動はエスの審級にあり、自我の治外法権にある異者としての身体である


快原理内にある自我の欲望に対して、快原理の彼岸にある欲動はもちろんエスの審級にある。

エスの要求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である。Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.(フロイト『精神分析概説』第2章1939年)


すなわち「欲望の言語」に対する「欲動の身体」。これが自我とエスの関係である。


フロイトはこのエスの欲動を、異者としての身体 [Fremdkörper]ーー日本では「異物」とも訳されてきたーーと呼んでいる。

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


ーー「抑圧された欲動蠢動」とあるが、ここでの抑圧は原抑圧である。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


つまり、欲望に関わる自我内部の抑圧が後期抑圧であり、エスの欲動の抑圧が原抑圧である。


◼️欲望=願望=幻想


ちなみにラカンの欲望とはフロイトの願望に相当する。

フロイト用語の願望[Wunsch]をわれわれは欲望と翻訳する[Wunsch, qui est le terme freudien que nous traduisons par désir.](Jacques-Alain Miller, MÈREFEMME, 2016)


フロイトにおいて願望とは幻想のことであり、これはラカンの欲望も同様である。

幻想生活と満たされぬ願望で支えられているイリュージョン[Diese Vorherrschaft des Phantasielebens und der vom unerfüllten Wunsch getragenen Illusion](フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章、1921年)

(実際は)欲望の主体はない。幻想の主体があるだけである[il n'y a pas de sujet de désir. Il y a le sujet du fantasme](Lacan, AE207, 1966)




◼️フロイトにおける二種類の無意識ーー本来の無意識と前無意識(原抑圧と後期抑圧)


フロイトにおいて無意識は二種類ある。

精神分析が無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった経緯を簡潔に説明するのは、もっと難しい。

Schwieriger wäre es, in kurzem darzustellen, wie die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. (フロイト『自己を語る』第3章、1925年)


本来の無意識とは先ほど示したエスの欲動蠢動としての「異者としての身体」である(原抑圧に関わる無意識)。


抑圧されたものは「異者としての身体」として分離されている[Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper] 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う。〔・・・〕自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである。Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, […] das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand geho-ben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


他方、前意識は上にあるように自我の無意識である。フロイトは『無意識』第6章(1915年)にて、前意識Vbwを《無意識の後裔[Abkömmlinge des Ubw]》とも呼んでいる(この前意識が後期抑圧に関わる無意識)。


この対比は、エスの審級にある「欲動の身体」としての本来の無意識と、自我の審級にある「欲望の言語」としての無意識(=前意識)としうる。

無意識の欲望は前意識に占拠されている[le désir inconscient envahit le pré-conscient(Solal Rabinovitch, La connexion freudienne du désir à la pensée, 2017)





◼️ラカンにおける二種類の無意識


ラカンにも二種類の無意識がある。まず名高いのは言語のように構造化された無意識である。

無意識は言語のように構造化されている[L'inconscient est structuré comme un langage ](Lacan, S11, 22  Janvier  1964


これは実際は、フロイトの前意識、自我の無意識に相当する。


ラカンのセミネールに出席していたラカンの弟子筋にあたるアンドレ・グリーンAndré Greenは強い批判の口調で次のように言っているが、これは正しい。

ラカンは「無意識は言語のように構造化されている」と言っているしかしあなたがたがフロイトを読めば、明らかにこの主張は全く機能しないのが分かる。フロイトははっきりと前意識と無意識を対立させている(フロイトの言う無意識とはモノ表象によって構成されているのであって、それ以外の何ものによっても構成されていない)。言語に関わるものは、前意識にのみ属しうる。

Lacan is saying that the unconscious is structured like a language...when you read Freud, it is obvious that this proposition doesn't work for a minute. Freud very clearly opposes the unconscious (which he says is constituted by thing-presentations and nothing else) to the pre-conscious. What is related to language can only belong to the pre-conscious"(André GreenーーQuoted in Mary Jacobus, The Poetics of Psychoanalysis 、2005)


要するに言語のように構造化された無意識は象徴界の無意識、欲望の無意識に過ぎず、実際はエスの本来の無意識ではなく、自我に取り込まれた前意識なのである。これが先に引用した《自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである》(『モーセと一神教』1939年)の意味である。


ラカンはようやく晩年になっての1973515日、アンコールセミネールⅩⅩの最後の講義で、現実界の無意識[l'inconscient réel]として話す身体[le corps parlant]概念を提出した。

私は私の身体で話している。私は知らないままでそうしている。だから私は、私が知っていること以上のことを常に言う[Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. (Lacan, S20, 15 Mai 1973)

現実界、それは話す身体の神秘、無意識の神秘である[Le réel, dirai-je, c’est le mystère du corps parlant, c’est le mystère de l’inconscient](Lacan, S20, 15 mai 1973)


これこそ欲動の身体の無意識、言語には構造化されていない、フロイトの「本来の無意識」である。

現実界は、フロイトが「無意識」と「欲動」と呼んだものである。この意味で無意識と話す身体はひとつであり、同じ現実界である[le réel à la fois de ce que Freud a appelé « inconscient » et « pulsion ». En ce sens, l'inconscient et le corps parlant sont un seul et même réel. ](Jacques-Alain Miller, HABEAS CORPUS, avril 2016



……………


以下に、フロイト用語とラカン用語が混在するが、上に示した順番に用語対比を図示しておこう。




なおフロイトの原抑圧が現実界であるのは、後期ラカンにおいて「トラウマの穴」用語で厳密に示されている。


私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


そしてこの原抑圧による穴が、欲動の身体(享楽の身体)に関わる。


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)




なおフロイトにおいて原抑圧は固着(欲動の固着)であり、現代ラカン派は原抑圧概念よりもこの固着用語のほうを好んで使う。


「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕


①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三番目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ]


②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.]〔・・・〕

主に①の原初に抑圧された欲動がこの後期抑圧に貢献する[…Beitrag von Seiten der primär verdrängten Triebe unterscheiden. ]


③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]

この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年、摘要)



われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。問題となっている代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden.

(フロイト『抑圧』1915年)