反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
以下、この文の注釈である。 ◼️症状の形態の下での享楽の回帰 まずジャック=アラン・ミレールの1997年12月10日のセミネールから、享楽の回帰にかかわって、フロイトとラカンの関係を示す箇所を抜き出す。 |
フロイトの思考をマテームを使って翻訳してみよう。大きなAは抑圧、享楽の破棄である。 Chez Freud, et c'est ce que j'avais traduit, en son temps, par le mathème suivant : grand A refoulant, annulant la jouissance. |
フロイトにおいてこの図式における大きなAは、エスの組織化された部分としての自我の力である。さらにラカンにおいて、非破棄部分が対象aである。 Ce schéma, en termes freudiens, grand A, c'est la force du moi, en tant que partie organisée du ça. Et de plus, chez Lacan, ça comporte qu'il y a une partie non annulable, petit a, 〔・・・〕 |
フロイトが措定したことは、欲動の動きはすべての影響から逃れることである。つまり享楽の抑圧・欲動の抑圧は、欲動要求を黙らせるには十分でない。それは自らを主張する。 ce que Freud pose quand il aperçoit que la motion de la pulsion échappe à toute influence, que le refoulement de la jouissance, le refoulement de la pulsion ne suffit pas à la faire taire, cette exigence. Comme il s'exprime : |
すなわち、症状は自我の組織の外部に存在を主張して、自我から独立的である。 le symptôme manifeste son existence en dehors de l'organisation du moi et indépendamment d'elle. 〔・・・〕 これは「抑圧されたものの回帰」のスキーマと対称的である。そして対称されるのは、症状の形態の下での「享楽の回帰」である。そしてこの固執する残滓が、ラカンの対象aである。 C'est symétrique du schéma du retour du refoulé, …symétriquement il y a retour de jouissance, sous la forme du symptôme. Et c'est ce reste persistant à quoi Lacan a donné la lettre petit a. (J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97) |
症状の形態の下での「享楽の回帰」に関わって、残滓aが語られているが、ここでのミレールの注釈は、基本的にラカンのセミネール10を基盤としている。 |
例えばラカンは不安セミネールⅩで、次のように言っている。 |
残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu. Ce reste, …c'est le petit(a). ](Lacan, S10, 21 Novembre 1962) |
享楽は、残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
症状は、対象aのポジションに結びついている[le symptôme,… lier la position de petit(a) ] ( Lacan, S10, 12 Juin 1963) |
つまり残滓aは享楽かつ症状である。この意味は、ここでの症状は、隠喩としての象徴界の症状ではなく、現実界の症状であり、後年のラカンはこのリアルな症状をサントームと呼んだーー《サントームという享楽自体 [la jouissance propre du sinthome]》 (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008)[参照] |
先のミレールの注釈には現れていないが、ラカンはこの対象aとしての残滓をフロイトの異者(異者としての身体)とし、さらに固着点とも等置している。 |
フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
◼️フロイトにおける残滓、固着、異者としての身体 ここで、フロイトにおける残滓、固着、異者としての身体の記述を抜き出そう。 |
常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
残滓(固着の残滓)とは置き残しを意味するが、エスに異者としての身体を置き残すことである。 |
抑圧されたものは「異者としての身体」として分離されている[Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper] 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う。〔・・・〕自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである。Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, […] das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand geho-ben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
ラカンのリアルな対象aとは、このフロイトの固着の残滓としての「異者としての身体」なのである。 |
そしてこの異者としての身体がエスの欲動蠢動としての症状であるのは、次の文に現れる。 |
自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕 エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
ーーここには冒頭のミレール注釈の「エスの組織化された部分としての自我」「症状は自我の組織の外部に存在を主張して、自我から独立的」の記述もある。 |
フロイトにおいて異者身体の症状としての欲動蠢動の別名は「無意識のエスの反復強迫」である。 |
欲動蠢動は「自動反復」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。そして抑圧において固着する契機は「無意識のエスの反復強迫」であり、これは通常の環境では、自我の自由に動く機能によって排除されていて意識されないだけである。Triebregung … vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –… Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要) |
以上、冒頭のラカンの《反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]》(Lacan, S17, 14 Janvier 1970)をフロイト用語で言い換えれば、「無意識のエスの反復強迫は、固着の残滓としての異者身体の症状」となる。 |
◼️補足 |
冒頭の1997年のミレール注釈では触れられていないが、2004年でのセミネールでは固着、異者としての身体にも触れている。 |
いわゆる享楽の残滓 [un reste de jouissance]がある。ラカンはこの残滓を一度だけ言った。だが基本的にそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって触発され、リビドーの固着点 [points de fixation de la libido]を語った。 C'est disons un reste de jouissance. Et Lacan ne dit qu'une seule fois mais au fond ça suffit, d'où il s'en inspire chez Freud quand il dit au fond que ce dont il fait ici une fonction, ce sont des points de fixation de la libido. 固着点はフロイトにとって、分離されて発達段階の弁証法に抵抗するものである[C'est-à-dire ce qui chez Freud précisément est isolé comme résistant à la dialectique du développement. ] |
固着は、どの享楽の経済においても、象徴的止揚に抵抗し、ファルス化をもたらさないものである[La fixation désigne ce qui est rétif à l'Aufhebung signifiante, ce qui dans l'économie de la jouissance de chacun ne cède pas à la phallicisation.] (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III- 5/05/2004) |
残滓…現実界のなかの異者概念(異者としての身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
なおフロイトは固着用語は多用しているが、固着点という表現は(ダイレクトには)私の知る限り二度しか使っていない。それは『性理論』『症例シュレーバー』に現れる。 |
(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年) |
「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕 ①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕 この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三番目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ] ②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期抑圧[Nachdrängen]である。〔・・・〕①の原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] がこの二段階目の抑圧に貢献する。 |
③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ] この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分 析的考察』(症例シュレーバー )1911年、摘要) |
この症例シュレーバーの記述に基けば、ラカンの享楽の回帰とは「原抑圧された欲動の回帰」あるいは「欲動の固着点への回帰」である。 なお原点にある固着点が何かは「欲動の対象と享楽の対象」を見よ。 |