2023年6月16日金曜日

マゾヒズム文献


◼️現実界の享楽=マゾヒズム=死の欲動


ラカンの現実界の享楽はフロイトのマゾヒズムであり、死の欲動である。


享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)

死の欲動は現実界である。死は現実界の基礎である[La pulsion de mort c'est le Réel …c'est la mort, dont c'est  le fondement de Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)


この1976年のセミネールの現実界の享楽の定義は、例えば1969年にも現れている。


死への道…それはマゾヒズムについての言説である。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[Le chemin vers la mort… c'est un discours sur le masochisme …le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance. ](Lacan, S17, 26 Novembre 1969)





◼️マゾヒズム(原マゾヒズム)=自己破壊欲動=死の欲動


フロイトにおいて、この死の欲動としてのマゾヒズム(=自己破壊欲動)の定義が最もよく現れているのは、1933年の次の文である。


マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。〔・・・〕そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に残存したままでありうる。

Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. …daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; 〔・・・〕

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!

es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! 〔・・・〕

我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない。

Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann.

(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)



1924年の『マゾヒズムの経済論的問題』においても、いくらか曖昧なところはあるがーー例えば死の欲動を原サディズムとしつつ、マゾヒズムと一致するとしているーー、読み進めれば、先の1933年の講義と同様なことが叙述されている。


もしわれわれが若干の不正確さを気にかけなければ、有機体内で作用する死の欲動ーー原サディズムーーはマゾヒズムと一致するといってさしつかえない。

Wenn man sich über einige Ungenauigkeit hinaussetzen will, kann man sagen, der im Organismus wirkende Todestrieb –; der Ursadismus –; sei mit dem Masochismus identisch. 


その大部分が外界の諸対象の上に移され終わったのち、その残滓[Residuum]として内部には本来の性愛的マゾヒズムが残る。それは一方ではリピドーの一構成要素となり、他方では依然として自分自身を対象とする。

Nachdem sein Hauptanteil nach außen auf die Objekte verlegt worden ist, verbleibt als sein Residuum im Inneren der eigentliche, erogene Masochismus, der einerseits eine Komponente der Libido geworden ist, anderseits noch immer das eigene Wesen zum Objekt hat.


ゆえにこのマゾヒズムは、生命にとってきわめて重要な死の欲動とエロス欲動との合金化が行なわれたあの形成過程の証人であり、残滓なのである。

So wäre dieser Masochismus ein Zeuge und Überrest jener Bildungsphase, in der die für das Leben so wichtige Legierung von Todestrieb und Eros geschah. 


ある種の状況下では、外部に向け換えられ投射されたサディズムあるいは破壊欲動がふたたび取り入れられ内部に向け換えられうるのであって、このような方法で以前の状況へ退行すると聞かされても驚くには当たらない。これが起これば、二次的マゾヒズムが生み出され、原マゾヒズムに合流する。

Wir werden nicht erstaunt sein zu hören, daß unter bestimmten Verhältnissen der nach außen gewendete, projizierte Sadismus oder Destruktionstrieb wieder introjiziert, nach innen gewendet werden kann, solcherart in seine frühere Situation regrediert. Er ergibt dann den sekundären Masochismus, der sich zum ursprünglichen hinzuaddiert.

(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)



以上の二つの文の叙述を簡単に図示すればこうなる。




これが後期フロイトの原欲動としてのマゾヒズムの捉え方である。




◼️サディズムからマゾヒズムへ

ところでフロイトは1919年までは、サディズムが原欲動だと考えていた。


マゾヒズムは、原欲動の顕れではなく、サディズム起源のものが、自我へと転回、すなわち、退行によって、対象から自我へと方向転換したのである。

der Masochismus keine primäre Triebäußerung ist, sondern aus einer Rückwendung des Sadismus gegen die eigene Person, also durch Regression vom Objekt aufs Ich entsteht. (フロイト『子供が叩かれる』1919年)


この1919年の考え方を、1920年以降反転させているのである。


翌年の『快原理の彼岸』にはこうある。

自分自身の自我にたいする欲動の方向転換とみられたマゾヒズムは、実は、以前の段階へ戻ること、つまり退行である。当時、マゾヒズムについて行なった叙述は、ある点からみれば、あまりにも狭いものとして修正される必要があろう。すなわち、マゾヒズムは、私がそのころ論難しようと思ったことであるが、原初的な primärer ものでありうる。

Der Masochismus, die Wendung des Triebes gegen das eigene Ich, wäre dann in Wirklichkeit eine Rückkehr zu einer früheren Phase desselben, eine Regression. In einem Punkte bedürfte die damals vom Masochismus gegebene Darstellung einer Berichtigung als allzu ausschließlich; der Masochismus könnte auch, was ich dort bestreiten wollte, ein primärer sein.

(フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)


この考え方は『性理論』の1924年の注に、より鮮明に現れている。


心的装置の構造、そこで作用する欲動の種類についての確とした仮定に支えられた考究の結果、マゾヒズムについての私の判断は大幅に変化した。私は原初の [primären]ーー性愛[erogenen」に起源をもつーーマゾヒズムを認め、そこから後に二つのマゾヒズム、すなわち女性的マゾヒズムと道徳的マゾヒズム[ der feminine und der moralische Masochismus]が発展してくる、と考えるようになった。

実生活において使い果たされなかったサディズムが方向転換して己自身に向かうときに、二次マゾヒズム[sekundärer Masochismus] が生じ、これが原マゾヒズムに合流するのである。

Durch Rückwendung des im Leben unverbrauchten Sadismus gegen die eigene Person entsteht ein sekundärer Masochismus, der sich zum primären hinzuaddiert.(フロイト『性理論三篇』1905年における1924年註)


この1924年の注に、先に掲げた同年の論『マゾヒズムの経済論的問題』と同様なことが書かれている。



◼️原マゾヒズムと原ナルシシズムの等置


ラカンはセミネールⅩⅢにて、マゾヒズムと原ナルシシズム(一次ナルシシズム)を事実上、等置している。

マゾヒストは決して次のことによって定義されるものではない、すなわち苦痛や苦痛のなかの快、快のための苦痛ではない[le masochiste ne peut aucunement être défini : ni souffrir, à avoir du plaisir  dans la souffrance, ni souffrir pour le plaisir.]

マゾヒストを唯一明示しうるのは、対象aの機能を持ち出す以外ない。それがまったき本質である。私は信じている、重要なのはかつて原ナルシシズムのため確保されていた場処に目星をつけなければならないと。[On ne peut articuler le masochiste qu'à faire entrer…que la fonction de l'objet(a) en particulier y est absolument essentielle. Je crois que l'important  de ce que…peut être repéré à la place anciennement réservée au narcissisme primaire.] (Lacan, S13, 22 juin 1966)


ここで対象aとあるのは《喪われた対象a[l'objet perdu (a)]》(S11, 13 Mai 1964)であり、享楽の対象である。


享楽の対象としてのモノは快原理の彼岸の水準にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…Au-delà du principe du plaisir …cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)


享楽の対象としてのモノは母であり、究極的には喪われた胎盤である。


母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の徴示する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](Lacan, S11、20 Mai 1964)



フロイトにおいての原ナルシシズム(一次ナルシシズム)の定義はどうか。それは何よりもまず次の二文にある。


自我の発達は原ナルシシズムから距離をとることによって成り立ち、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす[Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.](フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)

人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む[haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt  ](フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)


つまり出生に伴って喪われた原ナルシシズムーーあるいは《喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)ーーを取り戻そうという運動が原ナルシシズム的欲動であり、事実上、母胎回帰欲動である。


以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, ](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib.] (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)


フロイトにおいて、マゾヒズムと原ナルシシズムを直接的に結びつける記述はない。ラカンはフロイトを読み込むことによってこう解釈したのであり、究極のマゾヒズムとしての自己破壊欲動が母胎回帰欲動=死の欲動ということになる。


子宮内生活は、まったき享楽の原像である。原ナルシシズムはその始まりにおいて、自我がエスから分化されていない原状態として特徴付けられる。

La vie intra-utérine est l'archétype de la jouissance parfaite. Le narcissisme primaire est, dans ses débuts, caractérisé par un état anobjectal au cours duquel le moi ne s'est pas encore différencié du ça.  (Pierre Dessuant, Le narcissisme primaire, 2007)



なお原ナルシシズム的欲動は自体性愛的欲動と等価である。


後期フロイト(おおよそ1920年代半ば以降)において、「自体性愛-ナルシシズム」は、「原ナルシシズム-二次ナルシシズム」におおむね代替されている。原ナルシシズムは、自我の形成以前の発達段階の状態を示し、母胎内生活という原像、子宮のなかで全的保護の状態を示す。

Im späteren Werk Freuds (etwa ab Mitte der 20er Jahre) wird die Unter-scheidung »Autoerotismus – Narzissmus« weitgehend durch die Unterscheidung »primärer – sekundärer Narzissmus« ersetzt. Mit »primärem Narzissmus« wird nun ein vor der Bildung des Ichs gelegener Zustand sder Entwicklung bezeichnet, dessen Urbild das intrauterine Leben, die totale Geborgenheit im Mutterleib, ist. (Leseprobe aus: Kriz, Grundkonzepte der Psychotherapie, 2014)


自体性愛的欲動の根にあるのは、去勢された=喪われた自己身体(事実上、母の身体)を取り戻そうとする運動であり、これを原ナルシシズム的欲動とすることができる。

自体性愛的欲動は原初的である。Die autoerotischen Triebe sind aber uranfänglich(フロイト『ナルシシズム入門』第1章、1914年)

乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり、自己身体の重要な一部の喪失と感じるにちがいない。〔・・・〕そればかりか、出生行為はそれまで一体であった母からの分離として、あらゆる去勢の原像である[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration, d. h. als Verlust eines bedeutsamen, …ja daß der Geburtsakt als Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war, das Urbild jeder Kastration ist. ](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)


以上、自己破壊欲動としての原マゾヒズム的欲動は原ナルシシズム的欲動だとするラカンの解釈は、フロイトにはその記述はないにもかかわらず、十分に納得しうる。そしてここに死の欲動の原点がある。