以下、リビドーあるいは享楽に関するフロイト用語とラカン用語の三区分の関係を、主にジャック=アラン・ミレールによって簡潔に示された内容を基準にして整理する。 |
まずラカンから始める。 |
ファルス享楽とは身体外のものである。大他者の享楽とは、言語外、象徴界外のものである。la jouissance phallique [JΦ] est hors corps, la jouissance de l'Autre [JA] est hors langage, hors symbolique, (ラカン、三人目の女 La troisième, 1er Novembre 1974) |
ーー《大他者は身体である![L'Autre c'est le corps! ]》(ラカン、S14, 10 Mai 1967) |
大他者の享楽は、自己身体の享楽以外の何ものでもない。La jouissance de l'Autre, […] il n'y a que la jouissance du corps propre. (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 8 avril 2009) |
ファルス享楽は象徴界の審級にある享楽である。「大他者の享楽=自己身体の享楽」は現実界の審級にある享楽である。これ以外に想像界の審級にある享楽がある。 |
自我は想像界の効果である。ナルシシズムは想像的自我の享楽である。Le moi, c'est un effet imaginaire. Le narcissisme, c'est la jouissance de cet ego imaginaire(Jacques-Alain Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, Cours du 10 juin 2009) |
ジャック=アラン・ミレールはこの想像的自我の享楽を別に《ナルシシズムの享楽[la jouissance du narcissisme]》(2011)と呼んでいる。ここではこのナルシシズムの享楽のほうを取って記述する。 |
まず以上により享楽には、ナルシシズムの享楽(想像界)・ファルス享楽(象徴界)・自体身体の享楽(現実界)があるとなる。 |
これをフロイトのリーベ(愛)の三区分で言えば、次の通り。 |
フロイトのリーベ[Liebe]は、愛、欲望、享楽(自体)をひとつの語で示していることを理解しなければならない。il faut entendre le Liebe freudien, c’est-à-dire amour, désir et jouissance en un seul mot. (J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999) |
愛とあるが、ラカンにとっての愛はナルシシズムのことである。 |
ナルシシズムの相から来る愛以外は、どんな愛もない。愛はナルシシズムである。qu'il n'y a pas d'amour qui ne relève de cette dimension narcissique,[…] l'amour c'est le narcissisme (Lacan, S15, 10 Janvier 1968) |
享楽自体とは、フロイト用語では「自体性愛=欲動」のことである。 |
自体性愛的欲動は原初的である。Die autoerotischen Triebe sind aber uranfänglich(フロイト『ナルシシズム入門』第1章、1914年) |
ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる。より正確に言えばーー私は今年、強調したいがーー、享楽とは、フロイディズムにおいて自体性愛と伝統的に呼ばれるもののことである。〔・・・〕ラカンはこの自体性愛的性質を、全き厳密さにおいて、欲動概念自体に拡張した。ラカンの定義においては、欲動は自体性愛的である。Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance, et plus précisément, comme je l'ai accentué cette année, par sa jouissance, qu'on appelle traditionnellement dans le freudisme l'auto-érotisme. […] Lacan a étendu ce caractère auto-érotique en tout rigueur à la pulsion elle-même. Dans sa définition lacanienne, la pulsion est auto-érotique. (J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011) |
次にリビドー 用語での三区分を示す。 |
フロイトにとってリーベはリビドー のことである。 |
リビドーはリーベと要約できる[Libido ist …was man als Liebe zusammenfassen kann. (フロイト『集団心理学と自我の分析』1921年) |
ジャック=アラン・ミレールは《リビドーの三相 Troi avatars de la libido》を次のように示している。 |
想像界の審級にあるリビドー 。ナルシシズムと対象関係の裏返しとしてリビドー。libido dans lê resistre de l'imaginaire. […] la réversibilité entre le narcissisme et la relation d'objet. 象徴界の審級の機能としてのリビドー 。欲望と換喩的意味とのあいだの等価性としてのリビドー。libido en fonction du registe du symbolique. […] à I'éqüvalence du désir et du sens, exaçtement du sens métonymique 現実界の審級にある享楽としてのリビドー。la libido en tant que iouissance oui est du reeiste du réel (Jacques-Alain Miller, STLET, 15 mars 1995) |
フロイトにおいて、ナルシシズムは自己愛[Selbstliebe]、欲望は対象愛[Objektliebe]であり、リーベの三相は、「自己愛、対象愛、自体性愛」となる |
さらにリビドー 用語で言えば、自己愛は二次ナルシシズム的リビドー [sekundärer narzißtische Libido]、対象愛は対象リビドー [Objektlibido]、自体性愛は原ナルシシズム的リビドー[primärem narzisstischen Libido]である。 |
後期フロイト(おおよそ1920年代半ば以降)において、「自体性愛-ナルシシズム」は、「原ナルシシズム-二次ナルシシズム」におおむね代替されている。原ナルシシズムは、自我の形成以前の発達段階の状態を示し、母胎内生活という原像、子宮のなかで全的保護の状態を示す。 Im späteren Werk Freuds (etwa ab Mitte der 20er Jahre) wird die Unter-scheidung »Autoerotismus – Narzissmus« weitgehend durch die Unterscheidung »primärer – sekundärer Narzissmus« ersetzt. Mit »primärem Narzissmus« wird nun ein vor der Bildung des Ichs gelegener Zustand sder Entwicklung bezeichnet, dessen Urbild das intrauterine Leben, die totale Geborgenheit im Mutterleib, ist. (Leseprobe aus: Kriz, Grundkonzepte der Psychotherapie, 2014) |
※自体性愛(原ナルシシズム的リビドー)とは究極的には死の欲動である。なぜそうなのかの詳細については、「去勢された自己身体ーー自体性愛文献」を参照。 以上により、ラカン用語とフロイト用語の関係は次のようになる。 |
ボロメオの環に仮に置けばーー厳密には三つの環の重なり目が重要でありやや異なるがーー、次のようになる。