ーーこの状態が真に原享楽であるか否かであるというより、ヒトにはなぜ死の欲動があるのかを問うための仮に設定としてもよい。そしていまだもってほとんど理解されていないが、死の欲動とはエロス欲動である(参照)。
上の状態は出生によって穴が生じる。
これが原享楽の穴である。穴は別名、ブラックホールである。
◼️ブラックホール=死のイマージュ
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ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールのみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。[toujours le désolera de son angoisse l'apparition sur la scène d'une forme de femme qui, son voile tombé, ne laisse voir qu'un trou noir 2, ou bien se dérobe en flux de sable à son étreinte ](Lacan, Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir, Écrits 750、1958)
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(『夢解釈』の冒頭を飾フロイト自身の)イルマの注射の夢、…おどろおどろしい不安をもたらすイマージュの亡霊、私はあれを《メデューサの首 la tête de MÉDUSE》と呼ぶ。あるいは名づけようもない深淵の顕現と。あの喉の背後には、錯綜した場なき形態、まさに原初の対象 l'objet primitif そのものがある…すべての生が出現する女陰の奈落 abîme de l'organe féminin、すべてを呑み込む湾門であり裂孔le gouffre et la béance de la bouche、すべてが終焉する死のイマージュ l'image de la mort, où tout vient se terminer …(ラカン、S2, 16 Mars 1955)
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享楽の穴は、何よりもまず引力、愛の引力である。
◼️穴=引力
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フロイトは原抑圧l'Urverdrängungを他のすべての抑圧が可能なる引力の核 le point d'Anziehungとした。 (ラカン, S11, 03 Juin 1964)
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même. (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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◼️引力=愛(エロス)
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愛と憎悪との対立は、引力と斥力という両極との関係がたぶんある。Gegensatzes von Lieben und Hassen, der vielleicht zu der Polaritat von Anziehung und AbstoBung (フロイト、人はなぜ戦争するのか Warum Krieg? 1933年)
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同化/反発化 Mit- und Gegeneinanderwirken という二つの基本欲動 Grundtriebe (エロスと破壊)の相互作用は、生の現象のあらゆる多様化を引き起こす。二つの基本欲動のアナロジーは、非有機的なものを支配している引力と斥力 Anziehung und Abstossung という対立対にまで至る。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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エンペドクレスの二つの根本原理―― 愛と闘争 philia[φιλία]und neikos[νεῖκος ]――は、その名称からいっても機能からいっても、われわれの二つの原欲動 Urtriebe、エロスErosと破壊 Destruktion と同じものである。ひとつは現に存在しているものをますます大きな統一へと結びつけzusammenzufassenようと努める。他方はその融合 Vereinigungen を分離aufzulösen し、統一によって生まれたものを破壊zerstören しようとする。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)
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かつまた享楽の穴は、享楽のトラウマである。
◼️穴=トラウマ
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現実界は…穴=トラウマを為す。 le Réel[…]ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
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享楽自体、穴をを為すものである。jouissance même qui fait trou(J.-A. Miller, Passion du nouveau, 2003)
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われわれはトラウマ化された享楽を扱っている。Nous avons affaire à une jouissance traumatisée. (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20 mai 2009)
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穴の引力、つまりブラックホールに吸い込まれたら死が訪れる。無意識のエスあるいはリビドーの身体(欲動の身体)は、穴に吸い込まれることを憧憬するが、自我がそれに抵抗する。したがって穴の廻りを循環運動するしかない。これがフロイトラカン的な人の生である。
以下、さらに引用にて上の内容を確認しよう。
◼️原不安=出生による母からの分離=享楽の喪失
◼️享楽の穴
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装置が作動するための剰余享楽の必要性がある。つまり享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として、示される。[la nécessité du plus-de-jouir pour que la machine tourne, la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)
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ラカンは享楽と剰余享楽 [la jouissance du plus-de-jouir]を区別した。…空胞化された、穴としての享楽と、剰余享楽としての享楽[la jouissance comme évacuée, comme trou, et la jouissance du plus-de-jouir]である。…対象aは穴と穴埋め [le trou et le bouchon]なのである。(J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986)
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◼️穴=去勢
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享楽は去勢である la jouissance est la castration。(Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
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疑いもなく、最初の場処には、去勢という享楽欠如の穴がある。Sans doute, en premier lieu, le trou du manque à jouir de la castration. (コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens, 2011)
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-φ [去勢]の上の対象a(a/-φ)は、穴と穴埋めの結びつきを理解するための最も基本的方法である。petit a sur moins phi. […]c'est la façon la plus élémentaire de comprendre […] la conjugaison d'un trou et d'un bouchon. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 9/2/2011)
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去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。 (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un 25/05/2011
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◼️去勢=享楽の控除=リビドーの控除
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(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(J.-A. MILLER , Retour sur la psychose ordinaire, 2009)
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リビドー libido は、…人が性的再生産の循環 cycle de la reproduction sexuéeに従うことにより、生きる存在から控除される soustrait à l'être vivant。(ラカン、S11, 20 Mai 1964)
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◼️母なる原穴の名
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〈大文字の母〉、その基底にあるのは、「原リアルの名」、「原穴の名 」である。Mère, au fond c’est le nom du premier réel, […] c’est le nom du premier trou (コレット・ソレール Colette Soler , Humanisation ? 2014セミネール)
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◼️原去勢=原トラウマ=出産外傷
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乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自己身体の一部分Körperteils の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt がそれまで一体であった母からの分離 Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)
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オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、「原抑圧 Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。
後になってランクは、この「原トラウマ Urtrauma」を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。
…だがおそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかあろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年)
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原初に何かが起こったのである、それがトラウマの神秘の全て tout le mystère du trauma である。すなわち、かつてAの形態[ la forme A]を取った何かを生み出させようとして、ひどく複合的な反復の振舞いが起こる…その記号「A」をひたすら復活させようとして faire ressurgir ce signe A として。(ラカン、S9、20 Décembre 1961)
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例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を示す。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance (ラカン、S11、20 Mai 1964)
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◼️母なる大地=沈黙の死の女神
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ここ(シェイクスピア『リア王』)に描かれている三人の女たちは、生む女 Gebärerin、パートナー Genossin、破壊者としての女 Vẻderberin であって、それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係である。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう。
すなわち、母それ自身 Mutter selbstと、男が母の像を標準として選ぶ愛人Geliebte, die er nach deren Ebenbild gewähltと、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地 Mutter Erde である。
そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神 schweigsame Todesgöttin のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『三つの小箱』1913年)
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◼️母胎という故郷
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女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛は郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なもの Unheimliche とはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)
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◼️大他者の享楽はエロスである
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エロスは接触 Berührung を求める。エロスは、自我と愛する対象との融合 Vereinigung をもとめ、両者のあいだの間隙 Raumgrenzen を廃棄(止揚Aufhebung)しようとする。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
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エロスは二つが一つになることを基盤にしている。l'Éros se fonde de faire de l'Un avec les deux (ラカン、S19、 03 Mars 1972 Sainte-Anne)
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大他者の享楽[la Jouissance de l'Autre]……それはフロイトの融合としてのエロス、一つになるものとしてのエロスである[la notion que Freud a de l'Éros comme d'une fusion, comme d'une union]。(Lacan, S22, 11 Février 1975)
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◼️死は享楽である。
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大他者の享楽は不可能である jouissance de l'Autre […] c'est impossible。大他者の享楽はフロイトのエロスのことであり、一つになるという(プラトンの)神話である。だがどうあっても、二つの身体が一つになりえない。…ひとつになることがあるとしたら、…死に属するものの意味 le sens de ce qui relève de la mort. に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974、摘要)
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死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)
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死は、ラカンが享楽と翻訳したものである。death is what Lacan translated as Jouissance.(Jacques-Alain Miller、A AND a IN CLINICAL STRUCTURES, 1988)
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死は享楽の最終的形態である。death is the final form of jouissance(ポール・バーハウ『享楽と不可能性 Enjoyment and Impossibility』2006)
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◼️死は愛である。
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愛は不可能である。l'amour soit impossible (ラカン、S20, 13 Mars 1973)
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死は愛である [la mort, c'est l'amour.] (Lacan, L'Étourdit E475, 1970)
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◼️享楽回帰=母胎回帰
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反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…
享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…
大他者の享楽? 確かに! [« jouissance de l'Autre » ? Certes ! ]
享楽の対象としてのフロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
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人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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◼️すべての欲動は死の欲動
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すべての欲動は実質的に、死の欲動である。 toute pulsion est virtuellement pulsion de mort(ラカン、E848、1966年)
以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)
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◼️原ナルシシズム状態回帰=死
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人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む。haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)
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自我の発達は原ナルシシズムから距離をとることによって成り立ち、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす。Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)
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