手をひいてくれてゐたのは、母か看護婦か女中かそれとも叔母か、それはわからない。季節も分明でない。午後の日ざしがどんよりとその坂をめぐる家々に射していた。私はそのだれか知らぬ女の人に手を引かれ、坂を家の方へのぼつて来た。むこうから下りて来る者があるので、女は私の手を強く引いて道をよけ、立止つた。 |
この影像は何度となく復習され強められ集中され、そのたびごとに新たな意味を附されたものであることはまちがいがない。なぜなら、漠とした周囲の情景のなかで、その「坂を下りて来るもの」の姿だけが不当な精密さを帯びているからだ。それもそのはず、これこそ私の半生を悩まし脅かしつづけたものの、最初の記念の影像であったからだ。 |
坂を下りて来たのは一人の若者だった。肥桶を前後に荷ひ、汚れた手拭で鉢巻をし、血色のよい美しい頬と輝く目をもち、足で重みを踏みわけながら坂を下りて来た。それは汚穢屋ーー糞尿汲取人ーーであった。彼は地下足袋を穿いていた。五歳の私は異常な注視でこの姿を見た。まだその意味とては定かではないが、ある力の最初の啓示、ある暗いふしぎな呼び声が私に呼びかけたのであった。それが汚穢屋の姿に最初に顕現したことは寓喩的である。何故なら糞尿は大地の象徴であるから。私に呼びかけたものは根の母の悪意ある愛であったに相違ないから。 |
私はこの世にひりつくような或る種の欲望があるのを豫感した。汚れた若者の姿を見上げながら、『私が彼になりたい』といふ欲求、『私が彼でありたい』といふ欲求が私をしめつけた。その欲求には二つの重點があったことが、あきらかに思ひ出される。一つの重點は彼の紺の股引であり、一つの重點は彼の職業であった。紺の股引は彼の下半身を明瞭に輪郭づけてゐた。それはしなやかに動き、私に向かって歩いてくるやうに思はれた。いはん方ない傾倒が、その股引に對して私に起つた。何故だか私にはわからなかつた。 |
彼の職業――。このとき、物心つくと同時に他の子供たちが陸軍大將になりたいと思ふのと同じ機構で、「汚穢屋になりたい」といふ憧れが私に泛んだのであつた。憧れの原因は紺の股引にあつたとも謂はれようが、そればかりでは決してなかつた。この主題は、それ自身私の中で強められ発展し特異な展開を見せた。 というのは、彼の職業に対して、私は何か鋭い悲哀、身を燃るような悲哀への憧れのようなものを感じたのである。きわめて感覚的な意味での「悲劇的なもの」を、私は彼の職業から感じた。彼の職業から、ある「身を挺している」といった感じ、ある投げやりな感じ、ある危険に対する親近の感じ、虚無と活力とのめざましい混合といった感じ、そういうものが溢れ出て五歳の私に迫り私をとりこにした。汚穢屋という職業を私は誤解していたのかもしれぬ。何か別の職業を人から聞いていて、彼の服装でそれと誤認し、彼の職業にむりやりにはめ込んでいたのかもしれぬ。そうでなければ説明がつかない。 |
なぜならとの情緒と同じ主題が、やがて、花電車の運転手や地下鉄の切符切りの上へ移され、私の知らない、又そとから私が永遠に排除されてゐるやうに思へる「悲劇的な生活」を彼らから強烈に感受させられたからだつた。とりわけ、地下鉄の切符切りの場合は、当時地下鉄駅構内に漂ってゐたゴムのやうな薄荷のやうな匂ひが、彼の青い制服の腕に並んだ金釦と相侠つて、「悲劇的なもの」の聯想を容易に促した。さういふ匂ひの中で生活してゐる人のことを、何故かしら私の心に「悲劇的」に思はせた。私の官能がそれを求めしかも私に拒まれてゐる或る場所で、私に関係なしに行われる生活や事件、その人々、これらが私の「悲劇的なもの」の定義であり、そこから私が永遠に拒まれてゐるという悲哀が、いつも彼ら及び彼らの生活の上に転化され夢みられて、辛うじて私は私自身の悲哀を通して、そこに与ろうとしてゐるものらしかつた。(三島由紀夫『仮面の告白』1949年) |
生れて四十九日目に祖母は母の手から私を奪いとった。しじゅう閉て切った・病気と老いの匂いにむせかえる祖母の病室で、その病床に床を並べて私は育てられた。(三島由紀夫『仮面の告白』) |
祖母が私の病弱をいたわるために、また、私が悪い事をおぼえないようにとの配慮から、近所の男の子たちと遊ぶことを禁じたので、私の遊び相手は女中や看護婦を除けば、祖母が近所の女の子うちから私のために選んでくれた三人の女の子だった。ちょっとした騒音、戸のはげしい開け閉て、おもちゃの喇叭、角力、あらゆる際立った音や響きは、祖母の右膝の神経痛に障るので、私たちの遊びは女の子が普通にする以上に物静かなものでなければならなかった。私はむしろ、一人で本を読むことだの、積木をすることだの、恣な空想に耽ることだの、絵を描くことだのの方を、はるかに愛した。そののち妹や弟が生れると、かれらは父の配慮で、(私のように祖母の手には委ねられず、)子供らしく自由に育てられていたが、私はかれらの自由や乱暴を、さして羨ましく思うでもなかった。(三島由紀夫『仮面の告白』) |
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三島の初期の母子関係は異様なものであった。多くの人がその異様さの一端として引用するが,『伜』 によれば,三島の授乳は4時間おきで,祖母・夏子によって管理されており,授乳時間も10分か15分と決まっていたという(安藤,1998)。また,早くから母親と引き離され,ヒステリー持ちの祖母のカビ臭い部屋に置かれ,祖母の世話役的な育てられ方をした。近所の男の子との遊びも悪戲を覚えてはいけないとの理由で禁止され,女の子として育てられた。祖母の名を差し置いて最初に母の名を呼ぶことが祖母のヒステリーを誘発することを恐れた幼い三島は,いつも祖母の名を先に呼ぶよう気を遣っていた(平岡, 1990)。 |
こうした陰鬱な時間は,三島が16歳で書いた処女作『花盛りの森(1944)』の中に,「祖母は神経痛をやみ,痙攣を始終起こした。(中略)痙攣が,まる一日,ばあいによっては幾夜さもつづくと,もっ と顕著なきざしが表れてきた。それは『病気』がわがものがおに家じゅうにはびこることである」と,幼い感受性でとらえた異常さと緊張が描写されている。ここには,①母性の早期の剥奪,②性の同一性の混乱,③依存を体験する前に大人に対する気遣いや世話を身につけてしまったことなど,世代の錯綜の問題などがすでに孕まれており,三島自身が初期に拘るようになるに十分な人生のスタートであった。(井原成男「ロールシャッハ・テストプロトコルからみた 三島由紀夫の母子関係と同性愛」2015) |
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幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ。 die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben,(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
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去勢は、身体から分離される糞便や離乳における母の乳房の喪失という日常的経験を基礎にして描写しうる。Die Kastration wird sozusagen vorstellbar durch die tägliche Erfahrung der Trennung vom Darminhalt und durch den bei der Entwöhnung erlebten Verlust der mütterlichen Brust〔・・・〕 死の不安は、去勢不安の類似物として理解されるべきである。自我が反応するその状況は、保護的超自我ーー運命の力ーーに見捨てられることであり、危険に対するすべての保障が消滅してしまうことである。die Todesangst als Analogon der Kastrationsangst aufzufassen ist und daß die Situation, auf welche das Ich reagiert, das Verlassensein vom schützenden Über-Ich – den Schicksalsmächten – ist, womit die Sicherung gegen alle Gefahren ein Ende hat. (フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年) |
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享楽は去勢である la jouissance est la castration。(Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977) |
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死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969) |
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愛の喪失の不安[Angst vor dem Liebesverlust]…愛の喪失は明瞭に、母の不在を見出したときの幼児の不安、その不安の後年の生で発展形である。 あなた方は悟るだろう、この不安によって示される危険状況がいかにリアルなものかを[welche reale Gefahrsituation durch diese Angst angezeigt ]。母が不在あるいは母が幼児から愛を退かせたとき、幼児のおそらく最も欲求の満足はもはや確かでない。そして最も苦痛な緊張感に曝される。(フロイト『新精神分析入門』第32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年) |
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死への傾き。それはラカンが離乳[sevrage]を語ったときに位置付けられる。死と母の結びつき[la liaison de la mort et de la mère]である。死の幻想、死への呼びかけ、自殺への坂道[fantasme de mort, appel de la mort, pente au suicide] であるものすべてーーそれは、母の側に位置している。母のイマーゴ[l'imago de la mère]がこの理由を提供する。どういう意味か? 母は、原喪失・乳房の喪失の場を位置を占める[la mère préside à la perte primitive, celle du sein]。主体は、(後年の人生で)享楽の喪失 [perte de jouissance]が起こった時には常に、異なる強度にて、母なるイマーゴ[L'imago maternelle]を喚起する。(J.-A. Miller, DES REPONSES DU REEL, 14 mars 1984) |
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自殺性向とイマージュの関係は、本質的にナルシスの神話に表現されている[le rapport de l'image à la tendance suicide que le mythe de Narcisse exprime essentiellement.。この自殺性向は、私の見解では、フロイトがそのメタ心理学において、「死の本能」と「原マゾヒズム 」の名の下に[le nom d'instinct de mort ou encore de masochisme primordial]、探し求めようとしたものである。〔・・・〕これは、私の見解では次の事実に準拠している、すなわちフロイトの思考における最初期の悲惨な段階[la phase de misère originelle]、つまり出産外傷[traumatisme de la naissance]から、離乳外傷[traumatisme du sevrage]までである。 (Lacan, Propos sur la causalité psychique , Ecrits 187, 1946、摘要訳) |
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口唇的離乳と出産の離乳(分離)とのあいだには類似性がある。il у а analogie entre le sevrage oral et le sevrage de la naissance (Lacan, S10, 15 Mai, 1963) |
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不安は対象を喪った反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる。Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, […] daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand. (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
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結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない。Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz; (フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
幼時の性生活の早期開花は、その願望が現実と調和しないことと、子供の発達段階に適合しないことのために、失敗するように運命づけられている。それは深い痛みの感覚をもって、最も厄介な条件の下で消滅したのである。この愛の喪失と失敗とは、ナルシシズム的傷痕として、自我感情の永続的な傷害を残す。Die Frühblüte des infantilen Sexuallebens war infolge der Unverträglichkeit ihrer Wünsche mit der Realität und der Unzulänglichkeit der kindlichen Entwicklungsstufe zum Untergang bestimmt. Sie ging bei den peinlichsten Anlässen unter tief schmerzlichen Empfindungen zugrunde. Der Liebesverlust und das Mißlingen hinterließen eine dauernde Beeinträchtigung des Selbstgefühls als narzißtische Narbe,(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年) |
病因的トラウマ、この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる[ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an]〔・・・〕このトラウマは自己身体の上への出来事 もしくは感覚知覚 である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我への傷(ナルシシズム的屈辱)である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs (narzißtische Kränkungen)]〔・・・〕 この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印 と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
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疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体とのあいだの区別をしていない[Die Brust wird anfangs gewiss nicht von dem eigenen Körper unterschieden]。乳房が分離され「外部」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、原ナルシシズム的リビドー備給の部分と見なす。[wenn sie vom Körper abgetrennt, nach „aussen" verlegt werden muss, weil sie so häufig vom Kind vermisst wird, nimmt sie als „Objekt" einen Teil der ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung mit sich.](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第7章、1939年) |
ナルシシズムの背後には、死がある[derrière le narcissisme, il y a la mort.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 06/04/2011) |
私は自殺をする人間がきらひである。自殺にも一種の勇気を要するし、私自身も自殺を考へた経験があり、自殺を敢行しなかつたのは単に私の怯懦からだと思つてゐるが、自殺する文学者といふものを、どうも尊敬できない。武士には武士の徳目があつて、切腹やその他の自決は、かれらの道徳律の内部にあつては、作戦や突撃や一騎打と同一線上にある行為の一種にすぎない。だから私は、武士の自殺といふものはみとめる。しかし文学者の自殺はみとめない。〔・・・〕 あるひは私の心は、子羊のごとく、小鳩のごとく、傷つきやすく、涙もろく、抒情的で、感傷的なのかもしれない。それで心の弱い人を見ると、自分もさうなるかもしれないといふ恐怖を感じ、自戒の心が嫌悪に変はるのかもしれない。しかし厄介なことは、私のかうした自戒が、いつしか私自身の一種の道徳的傾向にまでなつてしまつたことである。〔・・・〕 自殺する作家は、洋の東西を問わず、ふしぎと藝術家意識を濃厚に持つた作家に多いやうである。〔・・・〕芥川は自殺が好きだつたから、自殺したのだ。私がさういふ生き方をきらひであつても、何も人の生き方に咎め立てする権利はない。(三島由紀夫「芥川龍之介について」1954(昭和29)年) |
「大体僕は自殺する人間の衰えや弱さがきらいだ。でも一つだけ許せる種類の自殺がある。それは自己正当化の自殺だよ」(三島由紀夫『天人五衰』1970年) |
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この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域へ遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である。 私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である。私は詩人だと自分を考へるが、もしかすると私は詩そのものなのかもしれない。詩そのものは人類の恥部(セックス)に他ならないかもしれないから。(三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」) |
「仮面の告白」といふ一見矛盾した題名は、私といふ一人物にとつては仮面は肉つきの面であり、さういふ肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないといふ逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰ひ入つた仮面だけがそれを成就する。(三島由紀夫「作者の言葉」) |
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「仮面の告白」に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます。この国にも、また外国にも、 Sexual inversion の赤裸々な告白的記述は類の少ないものであると存じます。わづかにジッドの「一粒の麦」がございますが、これはむしろ精神史的な面が強調されてをります。ジャン・コクトオの Livre blanc といふ稀覯本を見ましたが、これも一短篇にすぎませぬ。私は昨年初夏にエリスの性心理学の Sexual inversion in Man や Love and Pain を読みまして、そこに掲載された事例が悉く知識階級のものである点で、(甚だ滑稽なことですが)、自尊心の満足と告白の勇気を得ました。当時私はむしろ己れの本来の Tendenz についてよりも、正常な方向への肉体的無能力について、より多く悩んでをりましたので、告白は精神分析療法の一方法として最も有効であらうと考へたからでございました。(三島由紀夫「式場隆三郎宛ての書簡」昭和24年7月19日付) |
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告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人間だなどと思いあやまってはならない。彼はなるほど印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせるかもしれないが、それは他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために! /小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の『客観性』の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。/客観性の保証とは何か?それは言葉である。(三島由紀夫『小説とは何か』1970年) |