フロイトの原抑圧とは引力 [Anziehung]、アトラクターである。 |
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われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。 die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
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ラカンはこう言っている。 |
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私は、フロイトは抑圧されたものにおいて、抑圧が表象の秩序に関わるものであることを主張し強調している、と言ったが、彼は(抑圧論文では)それが表象であるとは言わなかった。フロイトが言ったのは表象代理[Vorstellungsrepräsentanz]である。 J'ai dit, FREUD dans le refoulé, insiste, accentue, c'est que le refoulement porte sur quelque chose qui est de l'ordre de la représentation, mais il n'a pas dit que c'était la représentation. Il a dit que c'était le Vorstellungsrepräsentanz. 〔・・・〕 抑圧……これが何を意味するかは、我々の理論で確認するとして...可能な限り、他の場所をさまよい歩く。 La Verdrängung… et nous verrons ce que ceci veut dire dans notre théorie …va se promener ailleurs, là où il peut. 抑圧されたものは、欲望の表象されたもの・意味作用ではなく、表象代理なのである[que ce qui est refoulé, ce n'est pas le représenté du désir, la signification, que c'est le représentant de la représentation. ]〔・・・〕 表象代理は、原抑圧の中核を構成する。フロイトは、これを他のすべての抑圧が可能となる引力の核とした[Le Vorstellungsrepräsentanz,… il à constituer le point central de l'Urverdrängung,… comme FREUD l'indique dans sa théorie …le point d'Anziehung, le point d'attrait, par où seront possibles tous les autres refoulements ](ラカン, S11, 03 Juin 1964 |
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このラカンの発言は『抑圧』論文に依拠している。フロイトはそこで、引力[Anziehung]という語を出しつつ、表象代理[ Vorstellungsrepräsentanz]を、欲動の表象代理 [Vorstellungs-repräsentanz des Triebes]、あるいは欲動代理[Triebrepräsentanz]としている。 |
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われわれには原抑圧、つまり欲動の心的(表象-)代理[psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes]が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着[Fixerung]が行われる。すなわち、その欲動の表象代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。 Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden. 〔・・・〕 |
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重要なのは、原抑圧を受けたものが、それと接触しうる可能性のあるすべてのものにおよぼす引力 [Anziehung]である。Es kommt ebensosehr die Anziehung in Betracht, welche das Urverdrängte auf alles ausübt, womit es sich in Verbindung setzen kann. 〔・・・〕 |
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欲動代理は(原)抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り[wuchert dann sozusagen im Dunkeln ]、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものして現れる。 die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen(フロイト『抑圧』1915年) |
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ここで確認の意味で、抑圧論文と同じ年に書かれた無意識論文からも引用しておこう。
ーーここでフロイトは、表象代理がなければ、欲動についてはわからないと言っている。 さて抑圧論文には、「原抑圧により暗闇に異者が蔓延る」とあった。暗闇とは、当時まだエス概念がなかったのでフロイトは暗闇としているが、エスのことであり、異者とは異物(異者としての身体)のことである。 |
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自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es [...] in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕 エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物(異者としての身体 Fremdkörper)ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状と呼んでいる。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
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フロイトの『抑圧』論文に戻れば、そこにあるように原抑圧とは事実上、固着である。 確認しておこう。 |
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抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要) |
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たとえばポール・バーハウは、ラカンのS(Ⱥ)というマテームを使いつつ、こう言っている。 |
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フロイトの原抑圧とは何よりもまず固着である。…この固着とは、身体的なものが心的なものの領野外に置き残されるということである。…原抑圧はS(Ⱥ) に関わる [Primary repression concerns S(Ⱥ)]。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997) |
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このS(Ⱥ)とはエスの《境界表象 S(Ⱥ)[boundary signifier [Grenzvorstellung ]: S(Ⱥ)]》(PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)であり、欲動の表象代理 [Vorstellungs-repräsentanz des Triebes]とはこの意味である。 |
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(原)抑圧は、過度に強い対立表象の構築によってではなく、境界表象 [Grenzvorstellung ]の強化によって起こる。Die Verdrängung geschieht nicht durch Bildung einer überstarken Gegenvorstellung, sondern durch Verstärkung einer Grenzvorstellung (Freud Brief Fließ, 1. Januar 1896) |
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さらにS(Ⱥ)とはリアルな症状(サントーム)のマテームでもあるが、サントームとは固着のことである。 |
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シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される。c'est sigma, le sigma du sinthome, […] que écrire grand S de grand A barré comme sigma (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001) |
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サントームは固着である[Le sinthome est la fixation] (J.-A. Miller, L'ÊTRE ET L'UN - 23/03-30/03/2011, 摘要) |
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なおS(Ⱥ)とは、いくつかある対象aの意味のひとつでもある。 |
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S(Ⱥ)の代わりに対象aを代替しうる。substituer l'objet petit a au signifiant de l'Autre barré.(J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005) |
さらにもうひとつ、S(Ⱥ)は超自我のマテームでもある。 |
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S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳を見い出しうる。S(Ⱥ) […] on pourrait retrouver une transcription du surmoi freudien. (J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96) |
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このジャック=アラン・ミレールのS(Ⱥ)=超自我は、次の発言とともに読むとわかりやすくなる。 |
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超自我は多くの特徴がある。ラカンはこの超自我を二項シニフィアンと同一のものとした。le surmoi a bien des traits que Lacan a repérés avec son signifiant binaire〔・・・〕 二項シニフィアンの場に超自我を位置付けることの結果は、超自我と原抑圧を同じものと扱うことになる。超自我と原抑圧を一緒にするのは慣例ではないように見える。だが私はそう主張する。私は断固としてそう言い、署名する。Le résultat de repérer le surmoi sur ce signifiant binaire, c'est de rapprocher le surmoi et le refoulement originaire. Ca ne paraît pas habituel que le surmoi et le refoulement originaire puissent être rapprochés, mais je le maintiens. Je persiste et je signe.〔・・・〕 |
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あなたがたは盲目的でさえ見ることができる、超自我は原抑圧と合致しうしるのを。実際、古典的なフロイトの超自我は、エディプスコンプレクスの失墜においてのみ現れる。それゆえ超自我と原抑圧との一致がある。Vous voyez bien que, même à l'aveugle, on est conduit à rapprocher le surmoi du refoulement originaire. En effet, le surmoi freudien classique n'émerge qu'au déclin du complexe d'OEdipe, et il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire. . (J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982) |
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要するに《超自我と原抑圧との一致がある il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire. 》。
ラカンの発言にても確認しておこう。 |
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絵自身のなかにある表象代理とは、対象aである。ce représentant de la représentation qu'est le tableau en soi, c'est cet objet(a) (ラカン, S13, 18 Mai 1966) |
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我々がよく知っているこの対象a、私はあなた方に説明しなければならないーーそしてこの今ーーこの対象aは超自我と関係がある。Ce petit(a) que nous connaissons bien, j'aurai à vous expliquer - et seulement maintenant - son rapport au surmoi : (Lacan, S13, 09 Février 1966) |
ここまでにて次のことを示した。
S(Ⱥ) |
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原抑圧 |
Urverdrängung |
引力 |
Anziehung |
欲動代理 |
Triebrepräsentanz |
固着 |
Fixerung |
超自我 |
Überich |
エスの境界表象 |
Grenzvorstellung des Es |
穴の表象 |
le signifiant du trou |
サントームΣ |
Sinthome |
対象a |
l'objet (a) |
そしてS(Ⱥ)は次のポジションに置ける。
ところで途中で示した異物Fremdkörper(異者としての身体)もS(Ⱥ)と等価なものと扱いうるだろうか。ラカンはサントームを異者と等置しうることを言っている(参照)。
とはいえここでは上に示した『抑圧』論文の「固着によって、暗闇(エス)に異者が蔓延る」に則って、次の形で異物のポジションを示しておこう。
なお最晩年のフロイトは異物について次のようの記述している。
個人の初期の記憶痕跡は、その個人のなかに保存されている。しかし独特な心理学的条件でである。〔・・・〕忘却されたものは消滅されず、ただ「抑圧」されるだけである。その記憶痕跡は、全き新鮮さのままで現存するが、対抗備給により分離されているのである。〔・・・〕それは無意識的であり、意識にはアクセス不能である。抑圧されたものの或る部分は、対抗過程をすり抜け、記憶にアクセス可能なものもある。だがそうであっても、異物[Fremdkörper] のように分離されている。 Die Erinnerungsspur des früh Erlebten ist in ihm erhalten geblieben, nur in einem besonderen psychologischen Zustand. […] Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«, seine Erinnerungsspuren sind in aller Frische vorhanden, aber durch »Gegenbesetzungen« isoliert. […] Sie können sind unbewußt, dem Bewußtsein unzugänglich. Es kann auch sein, daß gewisse Anteile des Verdrängten sich dem Prozeß entzogen haben, der Erinnerung zugänglich bleiben, gelegentlich im Bewußtsein auftauchen, aber auch dann sind sie isoliert, wie Fremdkörper außer Zusammenhang mit dem anderen.〔・・・〕 |
抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う。〔・・・〕自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである。Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, […] das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. (フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年) |
この文は同時期に書かれた次の文とともに読むことができる。 |
人の発達史と人の心的装置において、原初はすべてがエスであったのであり、自我は、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態に変わり、そうして自我の中に受け入れられた。他のものは エスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核として置き残された 。die Entwicklungsgeschichte der Person und ihres psychischen Apparates […] Ursprünglich war ja alles Es, das Ich ist durch den fortgesetzten Einfluss der Aussenwelt aus dem Es entwickelt worden. Während dieser langsamen Entwicklung sind gewisse Inhalte des Es in den vorbewussten Zustand gewandelt und so ins Ich aufgenommen worden. Andere sind unverändert im Es als dessen schwer zugänglicher Kern geblieben. (フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第4章、1939年) |
すなわち異物(異者としての身体)はエスの核なのである。 ラカンを引こう。 |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ。La Chose freudienne […] ce que j'appelle le Réel (ラカン, S23, 13 Avril 1976) |
このモノは分離されており、異者の特性がある。ce Ding […] isolé comme ce qui est de sa nature étranger, fremde. …モノの概念、それは異者としてのモノである。La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, (Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste, (Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
享楽は、残滓 (а) を通している。la jouissance[…]par ce reste : (а) (ラカン, S10, 13 Mars 1963) |
というわけでジャック=アラン・ミレールは次のように言うことになる。 |
現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
そして残滓とは固着の残滓ーーリビドー固着(享楽の固着)ーーの残滓である。 |
常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。 Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
簡潔に図式化しておこう。
結局、このエスの核[Kern des Esと」しての異者としての身体[Fremdkörper]が究極の引力=穴であろう。別名、ブラックホール[Trou Noir]だ。
ラカンは異者としての身体をフロイト注釈版トーラス円図の次のポジションにおいている(参照)。
不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異物として区別される。c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt : (Lacan, S11, 17 Juin 1964) |
この不快はもちろん快原理の彼岸にある快、つまり享楽であるーー《不快は享楽以外の何ものでもない déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. 》(Lacan, S17, 11 Février 1970) |
ここに快自我と不快の領野が構成される。すなわち、残滓としての対象、異者としての対象である。Ici se constitue le Lust-Ich et le champ de l'Unlust : l'objet comme reste, l'objet comme …étranger, (Lacan, S11, 20 Mai 1964) |
ここでポール・バーハウ版トーラス円図を示そう。
中心のaを上に示したように異者=引力とすれば、これは物理学のシロウトの目からみたら、カオス理論のアトラクターあるいはストレンジアトラクターstrange attractor
図とそっくりである。
ところで人間にとっての究極のストレンジアトラクターはなんだろうか。 |
ひとりの女は異者である。 une femme, … c'est une étrangeté. (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年) |
この女性器というストレンジアトラクターは、フロイトにとって男性にとってだけの引力ではない。両性にとってのアトラクターである。 |
男性と女性とを比較してみると、対象選択の類型に関して両者のあいだに、必ずというわけではもちろんないが、いくつかの基本的な相違の生じてくることが分かる。アタッチメント型[Anlehnungstypus]にのっとった完全な対象愛 [volle Objektliebe]は、本来男性の特色をなすものである。このような対象愛は際立った性的過大評価 [Sexualüberschätzung]をしている。〔・・・〕 |
女性の場合にもっともよくみうけられ、おそらくもっとも純粋一で真正な類型と考えられるものにあっては、その発展のぐあいがこれとは異なっている。ここでは思春期になるにつれて、今まで潜伏していた女性の性器[latenten weiblichen Sexualorgane]が発達するために、根源的ナルシシズム[ursprünglichen Narzißmus]の高まりが現われてくるように見えるが、この高まりは性的過大評価をともなう正規の対象愛を構成しがたいものにする。とくに美しく発育してゆくような場合には女性の自己満足が生じてくる。〔・・・〕このような女性は厳密にいうならば、男性が彼女を愛するのと同じような強さでもって自分自身を愛しているにすぎない[Solche Frauen lieben, strenggenommen, nur sich selbst mit ähnlicher Intensität, wie der Mann sie liebt.]。 |
彼女が求めているものは愛することではなくて、愛されることであり、このような条件をみたしてくれる男性を彼女は受け入れるのである[Ihr Bedürfnis geht auch nicht dahin zu lieben, sondern geliebt zu werden, und sie lassen sich den Mann gefallen, welcher diese Bedingung erfüllt. ](フロイト『ナルシシズム入門』第2章1914年) |
なおーー上にも示したがーー、このフロイトラカン的なストレンジアトラクターはブラックホールのことである。 |
ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールのみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。[toujours le désolera de son angoisse l'apparition sur la scène d'une forme de femme qui, son voile tombé, ne laisse voir qu'un trou noir 2, ou bien se dérobe en flux de sable à son étreinte ](Lacan, Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir, Écrits 750、1958) |
ーー《あなたを吸い込むヴァギナデンタータ、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ)の効果[an effect of S(Ⱥ) as a sucking vagina dentata, eventually as an astronomical black hole absorbing all energy ]》(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?、1997)
結局、S(Ⱥ)のなかに異者としての身体[Fremdkörper]ーー究極的には女性器あるいは母胎ーーを含めてもよいのかもしれない。実際、ジャック=アラン・ミレールは、固着は《1と身体の結びつきla conjonction de Un et du corps, l'événement de corps》 (J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN – 18/05/2011)としている。この1のシニフィアンが「欲動の表象代理」で、身体が「エスに置き残された異者としての身体」と解釈しうる。
少なくともこう解釈して初めて次の三文の整合性が生まれる。 |
ひとりの女は、他の身体の症状(リアルな身体の症状)である Une femme par exemple, elle est symptôme d'un autre corps. (Lacan, JOYCE LE SYMPTOME, AE569、1975) |
ひとりの女はサントームである une femme est un sinthome (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
ひとりの女は異者である。 une femme, …c'est une étrangeté. (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
当面、先ほどの図に異者を付記しておく。