この排除された女性器が、ラカンのラメラ神話の内実である。
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享楽の排除の穴=トラウマ、…それは皮肉にも、ラメラ神話、つまり高等動物の性的再生産によって現実的に喪われた生の部分の神話を生み出した。…つまりリアルな穴の神話である。Le troumatisme de la forclusion de la jouissance [...] En produisant ironiquement le mythe de la lamelle [...] mythe d'une part de vie perdue réellement du fait de la reproduction sexuée des espèces supérieures [...] Un mythe du trou réel (Colette Soler, Les affects lacaniens, 2011)
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長いのでいくらかカットしつつラカン自身の文を引いておこう。
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このラメラ、 それはリビドーである。Cette lamelle, …c'est la libido.
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リビドー、生の純粋な本能としてのリビドー 、不死の生としてのリビドーは、人が性的再生産の循環に従うことにより、生きる存在から控除される。La libido, …en tant que pur instinct de vie, […] de vie immortelle[…] de ce qui est justement soustrait à l'être vivant, d'être soumis au cycle de la reproduction sexuée.〔・・・〕
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対象 a[ l'objet(a)]について挙げることのできるすべての形態は、これと等価、潜在的な等価物の代理表象である。C'est de cela que représente l'équivalent, les équivalents possibles, toutes les formes que l'on peut énumérer, de l'objet(a). 〔・・・〕
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例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深い喪われた対象を表象する。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. (ラカン, S11, 20 Mai 1964, 摘要訳)
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胎盤とあるが、つまりは母胎である。この喪われた母胎の周りを循環することが原対象aの意味である。
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喪われ対象aの形態…永遠に喪われている対象の周りを循環すること自体が対象aの起源である[la forme de la fonction de l'objet perdu (a), …l'origine…il est à contourner cet objet éternellement manquant. ](Lacan, S11, 13 Mai 1964)
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この対象aはモノとも呼ばれるが、母の身体のことだ。
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享楽の対象としてのモノは喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose …cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)
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モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20 Janvier 1960)
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そしてモノ=対象aの別名は異者としての身体である。
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モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, ](Lacan, S7, 09 Décembre 1959)
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異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger] (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)
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母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).] (Lacan, S10, 15 Mai 1963)
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要するに「対象a=モノ=母の身体=異者としての身体」とは喪われた対象であり、トラウマのことである。
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異物 (異者としての身体[Fremdkörper] )のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
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この異者は「ひとりの女=不気味なもの」でもある。
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ひとりの女は異者である[une femme …c'est une étrangeté. ](Lacan, S25, 11 Avril 1978)
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異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[…étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)
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まずフロイトの不気味なものの定義をひとつ掲げよう。
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不気味なものはかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである[Das Unheimliche ist … das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)
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不気味なもの[Das Unheimliche]の heimは「家」のことであり、フロイトは un は抑圧の徴と言っているが、この抑圧は上に見た「原抑圧=排除」であり、排除[Verwerfung]とは「外に放り投げる」(プラス「回帰を引き起こす」)という意味を持っている。
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そして排除の別名は外立である。ーー外に立つ、タタルである。
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「享楽の排除」、あるいは「享楽の外立」。それは同じ意味である。terme de forclusion de la jouissance, ou d'ex-sistence de la jouissance. C'est le même. (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)
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原抑圧の外立[ l'ex-sistence de l'Urverdrängt] (Lacan, S22, 08 Avril 1975))
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つまり不気味なもの[Das Unheimliche]とは「外にある家」である。究極の喪われた対象としての「外にある家」が何かは、実は誰もが知っている。
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女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches.]
しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である[Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat.]
冗談にも「愛は郷愁だ」と言う[ »Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort,]
そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい[und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)
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この外にある家としての女性器あるいは母胎の別の言い方は、《喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)である。
以上にて、究極の抑圧されたものの回帰とは母胎の回帰であることが確認できた筈である。
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人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)
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…………………
※付記
フロイトは早い段階で既にこう言っている。
本源的に抑圧されている要素は、常に女なるものではないかと思われる[Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist ](フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)
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そしてラカンはこう言った。
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女なるものは、その本質において、女にとっても抑圧されている。男にとって女が抑圧されているのと同じように[La Femme dans son essence, …elle est tout aussi refoulée pour la femme que pour l'homme](Lacan, S16, 12 Mars 1969)
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ここでの抑圧は原抑圧つまり排除のことである。
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私が排除[forclusion]について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、〔・・・〕象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから[Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,…tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. ](Lacan、S16, 14 Mai 1969)
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この排除は「シニフィアンの論理」、つまり女なるものはファルスのシニフィアンがないというレベルで語られてきた。だが究極的には、上に記したように「身体の論理」、つまり母の身体の喪失というレベルで扱うことができる。
最後に二人の注釈者の文を掲げておこう。
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原抑圧の名…話す存在にとっての固有の病い、この病いは排除と呼ばれる。女なるものの排除である。[le nom du refoulement primordial …pour l'être parlant, que la maladie lui est intrinsèque, que cette maladie s'appelle la forclusion, la forclusion de la femme ](J.-A. MILLER, - Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)
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原抑圧は「現実界のなかに女なるものを置き残すこと」として理解されうる[Primary repression can …be understood as the leaving behind of The Woman in the Real.](PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1999)
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