2021年9月19日日曜日

シニフィアンの主体[le sujet du signifiant 」と享楽の主体[le sujet de la jouissance]

別のことを調べていたら、次の文に行き当たったので備忘しておく。


体にはシニフィアンの主体と享楽の主体がある[sujet qui est le sujet du signifiant et le sujet de la jouissance.]〔・・・〕


シニフィアンの主体と享楽の主体の二重の価値は、疎外と分離の二重の作用に基盤がある[cette double valeur du sujet du signifiant et du sujet de la jouissance que se trouvent accordées les deux opérations de l'aliénation et de la séparation, (J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 11 MARS 1987)






ジャック=アラン・ミレールのこのシニフィアンの主体[le sujet du signifiant 」と享楽の主体[le sujet de la jouissance]の区別は、隠喩としての症状と原症状としてのサントームを区別する文脈のなかで語っている。



したがって後年に示された次の図表の左側が「シニフィアンの主体」、右側が「享楽の主体」と置きうる。



ちなみにラカンは「享楽の主体」という表現を、私の知る限り、不安セミネールでのみ二度だけ使っている。ーー《私は、原主体[le sujet primitif]を享楽の主体 le sujet de la jouissance]と呼ぶことにする。 》(Lacan, S10, 13 Mars 1963)