2024年1月13日土曜日

自我とエス・言語と身体・欲望と欲動

 質問を貰っているので、ラカンのつぎの文を軸に可能な限りわかりやすく記す。


欲望は大他者に由来する。そして享楽はモノの側にある[le désir vient de l'Autre, et la jouissance est du côté de la Chose](Lacan, DU « Trieb» DE FREUD, E853, 1964年)



◼️欲望の言語


まず欲望の大他者について。

父の名は、シニフィアンの場としての、大他者のなかのシニフィアンであり、法の場としての大他者のシニフィアンである[Nom-du-Père  - c'est-à-dire du signifiant qui dans l'Autre, en tant que lieu du signifiant, est le signifiant de l'Autre en tant que lieu de la loi »](Lacan, É583, 1958年)

父の名のなかに、我々は象徴的機能の支えを認めねばならない。歴史の夜明け以来、父という人物と法の形象とを等価としてきたのだから。C’est dans le nom du père qu’il nous faut reconnaître le support de la fonction symbolique qui, depuis l’orée des temps historiques, identifie sa personne à la figure de la loi. (ラカン, ローマ講演, E278, 27 SEPTEMBRE 1953 )

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)


したがって、大他者は言語であり、欲望は言語に由来する。

大他者とは父の名の効果としての言語自体である [grand A…c'est que le langage comme tel a l'effet du Nom-du-père.](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 14/1/98)

欲望は言語に結びついている。欲望は象徴界の効果である[le désir: il tient au langage. C'est … un effet du symbolique.](J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)




◼️享楽の身体=欲動の身体


次に享楽のモノについて。

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


つまり母なるモノという現実界の享楽は身体である。

ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる [Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance](J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)


ラカンの享楽はもちろんフロイトの欲動であり、享楽と同様、穴である。

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975)

欲動は、ラカンが享楽の名を与えたものである[pulsions …à quoi Lacan a donné le nom de jouissance.](J. -A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 11/05/2011)


フロイトの定義において欲動は身体的要求である。


エスの要求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.」(フロイト『精神分析概説』第2章1939年)


フロイトはこの欲動の身体を異者としての身体と呼んだ。

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


この異者としての身体はトラウマでもある。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する「das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


ラカンが身体は穴(トラウマ)とするとき、この異者身体を示している。

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

我々にとって異者としての身体 [un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)




なおラカンは自我を想像界としたが、想像界は象徴界の言語に構造化されている。

想像界、自我はその形式のひとつだが、象徴界の機能によって構造化されている[la imaginaire …dont le moi est une des formes…  et structuré :… cette fonction symbolique](ラカン, S2, 29 Juin 1955)


したがってフロイトの自我は大他者つまり欲望の言語に結びついている。

フロイトの自我と快原理、そしてラカンの大他者のあいだには結びつきがある。il y a une connexion entre le moi freudien, le principe du plaisir et le grand Autre lacanien (J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 17/12/97)



以上より、最も簡潔な区分は次のようになる。




ここで注意しなければならないのは、身体というときエスの欲動としての異者身体を指していることであり、より厳密には、人にはファルス化された身体(言語化された身体)もあることである[参照]。





以上、フロイトの欲動は英訳では本能 instinct と訳されてしまった不幸があるのでいまだ誤解があるが、まずは身体ーーフロイトは「有機体の欲動」という言い方もしているーー、つまり有機体と捉えるべきである。



……このような内部興奮の最大の根源は、いわゆる有機体の欲動[Triebe des Organismus]であり、身体内部[Körperinnern]から派生し、心的装置に伝達されたあらゆる力作用の代表であり、心理学的研究のもっとも重要な、またもっとも暗黒な要素 [dunkelste Element]でもある。

Die ausgiebigsten Quellen solch innerer Erregung sind die sogenannten Triebe des Organismus, die Repräsentanten aller aus dem Körperinnern stammenden, auf den seelischen Apparat übertragenen Kraftwirkungen, selbst das wichtigste wie das dunkelste Element der psychologischen Forschung. (フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)