2017年6月8日木曜日

1959年4月8日以降のラカン

1959年4月8日、ラカンは「欲望とその解釈」と名付けられたセミネール6 で、《大他者の大他者はない Il n'y a pas d'Autre de l'Autre》と言った。これは、S(Ⱥ) の論理的形式を示している。ラカンは引き続き次のように言っている、 《これは…、精神分析の大いなる秘密である。c'est, si je puis dire, le grand secret de la psychanalyse》と。(……)

この刻限は決定的転回点である。…ラカンは《大他者の大他者はない》と形式化することにより、己自身に反して考えねばならなかった。…

一年前の1958年には、ラカンは正反対のことを教えていた。大他者の大他者はあった。……

父の名は《シニフィアンの場としての、大他者のなかのシニフィアンであり、法の場としての大他者のシニフィアンである。le Nom-du-Père est le « signifiant qui dans l'Autre, en tant que lieu du signifiant, est le signifiant de l'Autre en tant que lieu de la loi »(Lacan, É 583)

……ここにある「法の大他者」、それは大他者の大他者である。(「大他者の大他者はない」とまったく逆である)。(ジャック=アラン・ミレール「L'Autre sans Autre (大他者なき大他者)」、2013、pdf

肝腎なのは「エクリ」の多くの論文は、1959年4月8日以前に書かれていることをしっかり知っておくことである。

ラカンの観点からは、精神病と神経症の共通の基盤はなにか? 精神生活の始まりはなにか? 古典的ラカンにおいて精神生活の始まりは、ラカンが想像界と呼んだものだ。誰もが想像界とともに始まると想定される。これは古典的ラカンだ。それは疑わしい。というのは、言語の出現を遅らせているから。事実としては、主体は、最初から言語に没入させられいる。だが、古典的ラカンにおいて、精神病についての彼の古典的テキストにおいて、さらに『エクリ』のほとんどすべてのテキストにおいて--ひどく最後のテキストのいくつかを除いてーー、ラカンは、主体の根本次元を想像的次元に付随したものとして「構築」した。(……)私は「構築」と言った。というのは、あなたは、言語の抽象作用を理解しなければならないから。言語は既に最初からある。(Miller, J.-A.. Ordinary psychosis revisited. Psychoanalytic Notebooks of the European School of Psychoanalysis、2008 私訳、PDF


日本でも藤田博史氏はとても「教育的」なことを言っておられる(セミネール断章 2012年 11月10日講義より)。

ラカンについていうと、いまだに『エクリ』にこだわり続けている人たちが沢山います。「《盗まれた手紙》についてのセミネール」とか「論理的時間と予期される確実性の断言」といった論文にいまだにこだわっている人たちが少なからずいるということに驚いてしまう。勿論どちらも重要な論文であることには変わりありませんが、これが今現在における研究対象になり続けてもらっては困る。ラカンが辿り着こうとしていた場所から振り返れば、それらはいずれも遥か手前にあるものです。つまり通過点に過ぎません。ご存じのように、ラカンのエクリは1966年に出版された本ですから、世に現れてからすでに46年の歳月が流れています。これはラカン中期前半までの思想に相当します。当然のことですが、中期の後半から後期の思想は含まれていません。ラカンにおいて真に問題にしなければならないのはむしろエクリ以後の思想の流れです。にもかかわらず殆どの研究者がエクリという迷路のなかで立ち往生している。

そうではなく、わたしはラカンの中期の後半から始めようと思います。ラカンの年齢でいうと70歳から80歳までの10年間の思想です。したがって、そこにたどり着くまでにやっておくべきこと、その時点ではすでに自明になっていることが少なからずありますが、それは各自で勉強してください、と申し上げておきたいと思います。学問に過剰な優しさは禁物です。

出発点まで案内するのに手間がかかって、なかなか頂上目指して出発できないというのは、尖端でものを考えている人の足を引っ張ってしまいます。手取り足取りして出発点まで連れてきてあげる、というのは、学問においては親切でもなんでもなく、単なるお節介になってしまうことが殆どです。

分裂病の原因になる母親 Schizophrenogenic Mother という概念があります。子に過剰に関与して、自我の形成を阻害し、分裂病を発症させてしまうのです。過剰な親切は、ある意味暴力でもあるといってよいでしょう。ですから、わたしは一貫して「ここまでは皆さんが自力で歩いてきてください。わたしは、ここから話をします」という立場を取るのです。もし、麓から一緒に歩こうとしたら、恐らく五合目で疲れ果ててしまいます。

にもかかわらず、世間には「麓から一緒に登りましょう」という優しい先生が溢れています。あるいは、先回りして「五合目で待っているからあなたたちも五合目までは自力で来なさい」という先生もいるでしょう。そのようないい方をするならば、わたしの場合は「九合目で待っています」ということになります。ですから皆さんには、九合目まではとにかくご自分の力で歩いて来てもらいたいのです。そして「そこから頂上を目指す」ことに全力を注ぐのです。

ところが、こんなことをいうと怒られてしまうのですけれど、頂上から見渡すと殆どの学者さんが五合目で休んでいる。ずっと休んでいる。「いつまで休んでいるのですか?」と声を掛けたくなります。そこに二、三十年腰掛けたままの研究者もいるので「ちょっとちょっと」と思ってしまいます。