著者は、中動態に関する諸家の定義を概観し、言語学者エミール・バンヴェニストによる次の明快な定義に辿りつく――「能動では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示している。これに対立する態である中動では、動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり、主語は過程の内部にある」。すなわち、「能動と受動の対立においては、するかされるかが問題になる」のに対して、「能動と中動の対立においては、主語が過程の外にあるか内にあるかが問題になる」のである。(松本卓也『中動態の世界』がひらく臨床)
先ずわたくしは、この書を読んでいないことを断っておこう。ここで記すことは書評を読むかぎりでの感想である。
わたくしの疑問は、このようなことが日本の読者に向けて書かれるとき、なぜ日本における「主体」のあり方ーーかつて、たとえば1970年代にはしきりに議論されたーーにまったく触れられていないのか、というものである。松本卓也による書評を読むかぎりでは、おそらく國分功一郎の『中動態の世界』自体にも、それに触れていないのではないか、と憶測される。あくまで憶測であるが。
たとえば数度にわたる日本旅行ののちにロラン・バルトは『記号の国』を書いた。
バルトは、インドゲルマン語は、ウラルアルタイ語に対して、次のような点があることを指摘している。
……主体と神は、追いはらっても追いはらっても、もどってくる。わたしたちの言語のうえに跨がっているからである。これらの事実やほかのさまざまな事実などから、確信することになる。社会を問題にしようと主張するときに、そうするための(道具になる)言語の限界そのものをまったく考えずに問題にしようとしても、いかに愚かしいことであろうか、と。それは、狼の口のなかに安住しながら狼を殺そうと望むようなものだからである。したがって、わたしたちにとっては常軌を逸している文法を習ってみること。そうすれば、すくなくとも、わたしたちの言葉のイデオロギーそのものに疑念をいだくようになる、という利点はもたらされるであろう。(ロラン・バルト『記号の国』p.15~ 石川美子訳)
これはまさに能動態の主体のあり方である。すなわちバンヴェニスト曰くの「能動では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示している」。
他方、バルトは日本語には次のような特徴があることを示している。
……日本語には機能接尾辞がきわめて多くて、前接語が複雑であるという特徴から、つぎのように推測することができる。主体は、用心や反復や遅滞や強調をつうじて発話行為を進めてゆくのであり、それらが積み重ねられたすえに(そのときには単なる一行の言葉ではおさまらなくなっているだろうが)、まさに主体は、外部や上部からわたしたちの文章を支配するとされているあの充実した核ではなくなり、言葉の空虚な大封筒のようになってしまうのである、と。したがって、西欧人にとっては主観性の過剰のようにみえること(日本人は、確かな事実ではなく印象を述べるらしいから)も、かえって、空虚になるまで細分化され微粒化されて言語のなかに主体が溶解し流出してゆくようなこといなってしまうのである。(ロラン・バルト『記号の国』p15)
この日本的な主体のあり方と、「中動では、動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり、主語は過程の内部にある」というバンヴェニストによる中動態の定義はどう異なるのか。まずそれが問われねばならない。日本語は、もともと中動態の言語ではないか、と。その議論なしでは、バルトのいう《狼の口のなかに安住しながら狼を殺そう》ーーいや狼の口のなかに安住しながら狼を飼い馴らす仕草にしかならない。
いまわたくしは、日本語の風呂敷が中動態と相似的であるだろうという前提のもとに記している。そしてこの前提への反論をききたいのである。その反論、あるいは問いには、松本卓也氏の書評は答えていない。《中動態の場所を中動態的に生き延びることへの注目の高まり》などとあるが日本人はもともとそのような民族ではないのか? 仮に風呂敷的主体と中動態的主体が相似的であるという前提のもとに立てば、松本卓也=國分功一郎の考え方は、あまりに西欧的枠組内での議論であるように感じられれてしまう。
ところでバルトの文には「言葉の空虚な大封筒」という表現があった。原文は「パロールの空虚な大封筒 une grande enveloppe vide de la parole」。バルトは時枝誠記の「風呂敷」理論を読んだのかだれかに聞いたに相違ない。
時枝の「風呂敷」については、まず中井久夫の簡潔な文を掲げよう。
時枝は、英語を天秤に喩えた。主語と述語とが支点の双方にあって釣り合っている。それに対して日本語は「風呂敷」である。中心にあるのは「述語」である。それを包んで「補語」がある。「主語」も「補語」の一種類である! (私はこの指摘を知って雷に打たれたごとく感じた)。「行く」という行為、「美しい」という形容が同心円の中心にある。対人関係や前後の事情によって「誰が?」「どこへ?」「何が?」「どのように?」が明確にされていない時にのみ、これを明言する。(中井久夫「一つの日本語観」『記憶の肖像』所収)
そして時枝誠記の『国語学原論』から抜き出す。
主体的な総括機能或いは統一機能の表現の代表的なものを印欧語に求めるならば、A is Bに於ける“is”であって所謂繋辞copulaである。copulaは即ち繋ぐことの表現である。印欧語に於いては、その言語の構造上、総括機能の表現は、一般に概念表現の語の中間に位して、これを統合する。従ってこれを象徴的に、A-Bの形によって表すのであって、copulaが繋辞と呼ばれる所以である。右のような総括方式における統一形式を私は仮に天秤型統一形式と呼んでいる。この様な形式に対して、国語はその構造上、統一機能の表現は、統一され総括される語の最後に来るのが普通である。
花咲くか。
といった場合、主体の表現である疑問の「か」は最後に来て、「花咲く」という客体的事実を包む且つ統一しているのである。この形式を仮に図をもって示すならば。
或は、
の如き形式を以て示すことが出来る。この統一形式は、これを風呂敷型統一形式と呼ぶことが出来ると思う(時枝誠記『国語学原論』)
問われなければならないのは、日本語のたとえば風呂敷と中動態との相違である。それを指摘して後はじめて中動態の顕揚がありうる(日本語の風呂敷以外の側面の特徴は、「二者関係先進国日本」にいくらかメモがあるので参照のこと)。
なにはともあれ西欧的枠組のなかでのみ能動態と中動態を対比してーー木村敏の「あいだ」をめぐる指摘はあるとはいえーー、中動態を顕揚するだけでは《中動態の世界によって新たな光があてられる臨床のフィールドは広大》(松本卓也)などと呑気なことは言い得ない筈である。
最後に、バルトの議論の源泉のひとつであるだろう、ニーチェにかかわる文、かつまたニーチェの文をひとつを掲げておく。
《……それぞれの国民は、自分の頭上に、正確に分割された概念の空を持っている。そして、真理の要請のもとに、以後、すべて概念の神は自分の天空以外の場所では求められないようになることを望んでいる》(ニーチェ)。すなわち、われわれは、皆、言語活動の真実の中に、つまり、それの地域性の中に捉えられており、近隣同士の恐るべき敵対に引き込まれているのだ。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)
個々の哲学的概念は、けっして任意にそれ自身だけで生ずるものでなく、相互の関係関連のうちに成長するものである。また、それが一見いかに唐突に恣意に思考の歴史のなかにあらわれていようとも、じつは一つの体系に属しているのであって、さながらある大陸に棲むすべての生物が一つの系統に属するようなものである。――以上の事実は、この上なく異なった哲学者たちも、結局は、ある考えられうべき根本方式を、つねにくりかえししかも確実にみたしているということによっても察知されよう。彼らは目に見えぬ呪縛の圏内にあって、同じ軌道をつねにふたたびまわってゆく。かれらはその批判的ないしは体系的意志をもって、互に、独立しているように感じているではあろう。しかも、彼らの内のなにものかがつねに彼らを導いている。なにものかが、すなわち、彼の生得の概念の体系と類縁が、彼らを一定の順序にしたがってつぎつぎと駆り立ててゆく。
事実、彼らの思考は発見ではなくて、むしろ再認識、回想、それらの概念がかつてそれより生まれきたりしところの遠きいにしえの霊魂の共有財への復帰であり、帰郷である。このかぎりにおいて、哲学することは最高級の隔世遺伝の一種である。インド・ギリシャ・ドイツのすべての哲学的思考に通ずる驚くべき血縁の類似は、簡単に説明される。ここには言葉の類縁がある。されば、文法の共通の哲学によって--すなわち、同じ文法的機能による無意識の支配と指導によって--はじめから、哲学体系が同質の展開と順列をなすべき定めを持っていることは、避けがたいことである。同時に、世界解釈の他の可能性への道がとざされてあることも、避けがたいことである。ウラル=アルタイ語においては、主語の概念がはなはだしく発達していないが、この語圏内の哲学者たちが、インドゲルマン族や回教徒とは異なった目で「世界を眺め」、異なった途を歩きつつあることは、ひじょうにありうべきことである。ある文法的機能の呪縛は、窮極において、生理的価値判断と人種条件の呪縛でもある。…(ニーチェ『善悪の彼岸』竹山道雄訳)
…………
※付記
角川の『漢和中辞典』を開いてみると(……)「買」という言葉は、あるものと別のものとを取り替える「貿」という言葉を語源としており、はじめボウと発音されていたが後になってバイと発音されるようになったという。そして、もともとは売り買い両方の意味に用いられていたこの言葉は、後になって一方の買うの意味に用いられるようになり、他方の売るという意味には「買」という字にモノを差し出すという意味の「出」という文字を組み合わせてつくられた「賣」という文字が使われるようになったという。もちろん、現在の「売」という字はこの賣という字の略字体である。
買という言葉と売という言葉とは、中国ではもともと同じ言葉であったのである。
そこで、つぎに日本語ではどうなっているかと思って『大言海』を開いてみると、あった、あった、そのなかの「買ふ」の項には「交ふ(かふ)」の他動の意のものか」という説明がつけられている。さらに岩波の『古語辞典』で「かひ」という項目を調べてみると、この言葉には「交ひ、替ひ、買ひ」という漢字の表記が当たられており、その基本的な語義として「甲乙の二つの別のものが互いに入れちがう意」という説明があたえられている。
すなわち、日本語においても、「買う」という言葉はもともとは売り買いの両方の意味をもっており、あるものと別のものとをたんに交換することをあらわしていたにすぎない。それが売るという言葉と区別されて、お金を支払ってなにかモノを手に入れるという行為をあらわすようになったのは、時代がはるかに降ってからのことのようなのである。
(……)じつは、それは、なにも中国語や日本語に固有の事実ではない。実際、二十世紀最大の言語学者のひとりに数えられているエミール・バンヴェニストがその晩年に出版した『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』(1969年)という大部の本のなかに収められている経済語彙についてのエッセイの多くは、まさにこの事実の解明にあたられているといっても過言ではない。
(……)かれの考察の出発点は、大多数のインド=ヨーロッパ語において「与える」あるいは「贈与する」という意味の動詞の最小単位(語根)をなしているdō- という言葉が、遠い歴史以前の時代においては「与える」という意味だけではなく、それと正反対の「受け取る」という意味をも担っていたという事実の発見にあったのである。バンヴェニストはまさにこの言語的事実のなかに、あの有名な『贈与論』(1923-24年)のなかでマルセル・モースが描き出そうと試みた「古代的な交換形態」というもののひとつの強力な証拠を見いだすことになったのである。
マルセル・モースが、古代的な社会関係を贈与とその返礼によって構成される互酬的な交換の体系と見なしたことはよく知られている。ひとにモノを贈与することは、理論的には自由であっても実際的にはかならず相手側に返礼の義務を負わせることになり、一方からの贈与は他方からの返礼としての贈与とのそれこそ果てしのない繰り返しによって、共同体の内部における財貨の交換が可能になるというのである。この全体的な交換関係のなかでは、与えることは同時に受け取ることであり、受け取ることは同時に与えることである。忘れられてしまった遠い過去において、インド=ヨーロッパ語のdō- という言葉が与えることと受け取ることを同時に意味していたのは、まさにこの「古代的な交換形態」の言語的な反映であったというわけである。(岩井克人「売買と買売」初出1986年『二十一世紀の資本主義論』所収)