2022年5月3日火曜日

市場の蝿

 


のがれよ、わたしの友よ、 君の孤独のなかへ。わたしは見る、君が世の有力者たちの引き起こす喧噪によって聴覚を奪われ、世の小人たちのもつ針に刺されて、責めさいなまれていることを。


森と岩とは、君といっしょに高い品位を保って沈黙することを心得ている。 君は君の愛す木、あの大枝をひろげている木と、ふたたび等しくなれ。無言のまま耳を傾けて、その木は海ぎわに立っているのだ。


孤独がなくなるところ、そこに市場がはじまる。そして市場のはじまるところ、そこにまた大俳優たちの喧噪と毒ある蝿どものうなりがはじまる。


世間では、最善のものも、それをまず演出する者がいなければ、何のたしにもならない。この演出者を民衆は偉大な人物と呼ぶ。


民衆は、真に偉大であるもの、すなわち創造する力にたいしては、ほとんど理解力がない。しかし民衆は、規模の大きいものの演出者と俳優たちとを受け入れる感覚はもっている。


新しい価値の創造者を中心としてーー世界は目に見えずーーめぐる。だが俳優たちを中心としてめぐるのは、民衆と名声である。それが世の姿である。


俳優も精神のはたらきはもっている。しかしそれに伴う良心は、ほとんどもっていない。かれがつねに信ずるものは、人をして最も強く信じさせることに役立つものーーかれ自身を信じさせることに役立つものである。


明日、その俳優は新しい信仰をもつだろう。そして明後日は、いっそう新しい信仰を。かれがすばやい感覚をもっていることは、民衆と同じだ。そして変わりやすい天気のような気分をもっていることも。


ショックを与えて驚かすこと――かれにとっては、それが証明である。熱狂させることーーそれがかれにとっては、説得である。そしてかれにとって、血はあらゆる論拠のうちの最上のものである。


繊細な耳にだけそっとはいる真理を、かれは虚言、無意味と呼ぶ。 まことに、かれが信ずるのは、ただ世に大きい喧噪をひき起こす神々だけである。


市場は、もったいぶった道化役者たちによって満たされている。大人物たちを誇るのだ。それは民衆にとっては、「刻下」の主君である。


しかし、「刻下」は、かれらをじっとさせておかない。同じように、かれらも君をじっとさせておかない。そして君にも、かれらは「賛」か「否」」かを言わせようとする。ああ、君はそういう「賛」か「否」かのただ中に身を置こうとするのか。


真理の求愛者である君よ。こういう押しつけがましい者たち、有無をいわさぬ圧制者たちがいるからといって、嫉妬することはない。いまだかつて真理が、圧制者の腕に抱かれて、身を任せたことはないのだ。


これらの性急な者たちを避けて、君は君の安全な場所に帰れ。市場においてだけ、人は「賛」か「否」かの問いに襲われるのだ。


およそ深い泉の体験は、徐々に成熟する。 何がおのれの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、深い泉は長いあいだ待たねばならぬ。


市場と名声とを離れたところで、すべての偉大なものは生い立つ。市場と名声を離れたところに、昔から、新しい価値の創造者たちは住んでいた。


のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。わたしは、君が毒ある蝿どもの群れに刺されているのを見る。のがれよ、強壮な風の吹くところへ。


のがれよ、君の孤独のなかへ。君は、ちっぽけな者たち、みじめな者たちの、あまりに近くに生きていた。目に見えぬかれらの復讐からのがれよ。君にたいしてかれらは復讐心以外の何物でもないのだ。


かれらにむかって、もはや腕はあげるな。 かれらの数は限りがない。 蝿たたきになることは君の運命でない。


これらのちっぽけな者、みじめな者の数は限りがない。壮麗な建物が、 雨のしずくと雑草とで滅びた例は少なくないのだ。


君は石ではない。だが、すでに多くの雨つぶによって、うつろになっている。これからも多くのつぶを受ければ、君は破れ砕かれるであろう。


君は毒ある蝿に刺されて、疲れている。 百ヵ所に傷を負うて、血によごれている。しかも君の誇りはそれにたいして怒ろうともしない。


蝿どもは、まったく無邪気に、無考えに、君の血を吸おうとする。血液のないかれらの生まれつきが、血をほしがるのだ。 ーーそれゆえ、まったく無考えに君を刺すのだ。


しかし、深い心をもつ君よ。君は小さい傷にも、あまりに深く悩む。そのうえ、その傷がなおらぬうちに、同じ毒虫が君の手の上をはいまわったのだ。


君は、これらの盗み食いする者たちを打ち殺すには、あまりに誇りが高い。しかし、毒あるかれらの不正のすべてに堪えることが、君の宿命、君の非運とならないように気をつけるがいい。


かれらはまた賞識のうなり声をあげて、君の周囲にむらがることがある。押しつけがましくつきまとうのが、かれらの賞讃である。かれらは、君の皮膚と血に近寄ろうとするのだ。


かれらは、神や悪魔に媚びるように、君にむかって媚びを呈する。神や悪魔の前でするように、君の前でしくしく泣く。それが何だというのだ。へつらい者、そして泣き虫。それ以外の何ものでもない。


時にはかれらはやさしい愛嬌の顔を君に見せることがある。しかし、それはいつも臆病者の怜悧さなのだ。臆病者は怜悧なものである。


かれらは君がどんな人間かと、かれらの狭い魂であれこれと推しはかる。 かれらにとって君は常にいかがわしい存在である。どんな人間かと、いろいろに推しはかられる者は、いかがわしい存在になるのだ。


かれらは君を、君のあらゆる徳をとがめて、罰する。かれらが真に許すのは――ただ君の失敗だけである。


君は柔和で、正しい心をもっているから、「かれらの存在が小さいことは罪過ではない」という。しかし、かれらの狭い魂はいう、「大きい存在はすべて罪過である」と。


君がかれらに柔和であっても、かれらは君から軽蔑されていると感ずる。 そして君の恩恵に、ひそかな加害をもって報いるのだ。


君の無言の誇りは、常にかれらの趣味に反する。君が、多弁になって自分を見せびらかそうとするほど謙遜になることがあると、かれらはこおどりして喜ぶ。


われわれがある人間においてある点を認識することは、その人間のそのある点に点火するということである。だから、小さい人間どもに近づくときは気をつけよ。


君に向かうと、かれらは自分を小さく感ずる。 そしてかれらの低劣は、君への目に見えない復響となって燃えあがる。


君は気がつかなかったか、君がかれらの前に姿を現わすと、かれらがしばしば口を閉ざしたことを。そして、消えゆく火から煙が去ってゆくように、かれらから力が抜けていったことを。


そうだ、わたしの友よ。君は君の隣人にとって、良心の呵責なのだ。かれらは君の隣人としての値打ちがないから、それゆえかれらは君を憎み、君から血を吸いたがるのだ。


君の隣人たちは、常に毒ある蝿であるだろう。君の偉大さ――それが、かれらをいよいよ有毒にし、いよいよ蝿にせずにはおかぬのだ。


のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。強壮な風の吹くところへ。蝿たたきになることは君の運命でない。ーー


ツァラトゥストラはこう語った。


(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「市場の蝿」Von den Fliegen des Marktes)