2022年5月18日水曜日

外にある家(外に放り投げられた家)

 ◼️不気味なもの=外にある家(外に放り投げられた家)


不気味なものはかつて親しかった家、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。

Das Unheimliche ist also auch in diesem Falle das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung. (フロイト『不気味なもの』第2章、1919年)

不気味なものは秘密の慣れ親しんだもの(家)であり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである。Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,(フロイト『不気味なもの』第3章、1919年)


ここでフロイトは不気味なものは抑圧の徴、あるいは抑圧されたものの回帰と言っているが、この抑圧は原抑圧である。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。

daß die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


そして原抑圧とは排除のことである。

原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe](フロイト『症例シュレーバー 』1911年)=排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)

この排除 Verwerfungとは「外に放り投げる」という意味をもっている。


したがってフロイトが《不気味なもの[Unheimliche]はかつて親しかった家、昔なじみのもの[ehemals Heimische, Altvertraute]》、そして《この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴[Marke der Verdrängung]》というとき、不気味なものは「外にある家」(外に放り投げられた家)、「外にある親密」のことである。


ラカンがこの不気味なものを外密[extimité]と翻訳したのは、この文脈のなかにある。

親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960)


モノとしての外密[extimité qui est la Chose]とあるが、「モノ=異者=不気味なもの」である。


モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger,](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)


この異者についてフロイト自身、次のように書いている。


不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要)

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである[das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. ]〔・・・〕

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異者身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者身体[Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


不気味なもの(外にある家・排除された親密)は、モノ=異者=エスの欲動蠢動=トラウマであり、これがラカンの現実界のトラウマである。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)


ラカンはトラウマを穴とも表現した。


現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …fait « troumatisme ».](ラカン, S21, 19 Février 1974)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)

享楽は現実界にある…現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel] (Lacan, S23, 10 Février 1976)


すなわち現実界のトラウマとは、現実界の享楽の穴であり、これが不気味なモノである。



◼️究極の「外にある家」

ところで究極の「外にある家」ーー外に放り投げられた家ーーとしての不気味なものが何だかは、実は人はみな知っている筈である。


女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ] (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)

家は母胎の代用品である。最初の住まい、おそらく人間がいまなお渇望し、安全でとても居心地のよかった母胎の代用品である[das Wohnhaus ein Ersatz für den Mutterleib, die erste, wahrscheinlich noch immer ersehnte Behausung, in der man sicher war und sich so wohl fühlte. ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第3章、1930年)


ラカンはモノとしての不気味なものについて次のように言った。


享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の象徴である[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](Lacan, S11, 20 Mai 1964)


すなわち享楽の対象(欲動の対象)としての不気味なモノーー外にある家ーーは、究極的には喪われた母胎である。


以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[ Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)