2024年2月29日木曜日

自我分裂の主体$

 

ラカンの主体はフロイトの自我分裂を基盤としている[Le sujet lacanien se fonde dans cette « Ichspaltung » freudienne.  ](Christian Hoffmann, Pas de clinique sans sujet, 2012)


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セミネールⅩⅠのラカンは、2週間の講義を隔ててだが、二つのトーラス円図を示している。




二つの図は基本的に同じ内容である。まず、左図の中心にある非意味について、《フロイトの表現を借りれば、主体の中には非意味の核がある[dans le sujet, un cœur, un Kern, pour s'exprimer comme FREUD, de non-sense]》 (Lacan, S11, 17 Juin  1964)とあるが、これが自我分裂の核にほかならない。


欲動要求と現実の抗議のあいだに葛藤があり、この二つの相反する反応が自我分裂の核として居残っている。Es ist also ein Konflikt zwischen dem Anspruch des Triebes und dem Einspruch der Realität. …Die beiden entgegengesetzten Reaktionen auf den Konflikt bleiben als Kern einer Ichspaltung bestehen.  (フロイト『防衛過程における自我分裂』1939年)


フロイトはこの自我分裂を自我分離とも言ったが、これが右図にある不快と快自我の分裂である。

感覚総体からの自我の分離[Loslösung des Ichs ]――すなわち「非自我」Draußen や外界の承認――をさらに促進するのは、絶対の支配権を持つ快原理が除去し回避するよう命じている、頻繁で、多様で、不可避な、苦痛感と不快感[Schmerz- und Unlustempfindungen]である。こうして自我の中に、このような不快の源泉となりうるものはすべて自我から隔離し、自我のそとに放り出し、自我の異者[fremdes]で自我を脅かす非自我と対立する純粋快自我[reines Lust-Ich]を形成しようとする傾向が生まれる。

Einen weiteren Antrieb zur Loslösung des Ichs von der Empfindungsmasse, also zur Anerkennung eines »Draußen«, einer Außenwelt, geben die häufigen, vielfältigen, unvermeidlichen Schmerz- und Unlustempfindungen, die das unumschränkt herrschende Lustprinzip aufheben und vermeiden heißt. Es entsteht die Tendenz, alles, was Quelle solcher Unlust werden kann, vom Ich abzusondern, es nach außen zu werfen, ein reines Lust-Ich zu bilden, dem ein fremdes, drohendes Draußen gegenübersteht.(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第1章、1930年)


非自我あるいは異者とあるが、これも右図のラカンの説明に表れている。


不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異者対象として識別される[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt ] (Lacan, S11, 17 Juin  1964)



この不快な非自我=異者としての身体[corps étranger]が、ラカンの享楽であり、フロイトのエスの欲動である。


不快は享楽以外の何ものでもない[déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)




フロイトはこの異者身体を同化不能[unassimilierte]という表現を使って語ってもいるが、これは初期フロイトのモノの定義でもある。


(自我に)同化不能の異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)

同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)


したがってラカンは《モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger]》(Lacan, S7, 09  Décembre  1959)としているが、これがラカンの現実界(現実界の享楽)にほかならない。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)



非意味=非自我=モノ=異者(異者身体)でありーー《われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger]》(Lacan, S23, 11 Mai 1976)ーー、この非意味は「意味の排除」である。

現実界の位置は、私の用語では、意味を排除することだ[L'orientation du Réel, dans mon ternaire à moi, forclot le sens. ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)

意味の排除の不透明な享楽[Jouissance opaque d'exclure le sens ](Lacan,  Joyce le Symptôme, AE 569、1975)


なおラカンの主体$は二段階の分裂があるので注意されたし[参照]。ここで示したのは第一段階目の分裂した主体であり、これが快原理の彼岸にある「欲動の主体(享楽の主体)」である。他方、第二段階目の分裂した主体は快原理内にある「欲望の主体」である。




※附記


なお非自我としての異者なるモノは不気味なものでもある。

不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)


フロイトにおいて不気味なものは抑圧された親密なものである(厳密にはこの抑圧は第一次抑圧としての原抑圧=排除)。

不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの』第3章、1919年)


ラカンはこの不気味な異者なるモノを外密 [extimité]ーー外にある親密ーーともした。


親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960)


この親密な外部こそ非自我の定義であり、エスの欲動にほかならない。




疎外(異者分離 Entfremdungen)は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自我自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, …Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)