最晩年フロイトの母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]はオットー・ランク起源である。 |
オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま原抑圧[Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。 後になってランクは、この原トラウマ [Urtrauma]を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。〔・・・〕 だがおそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかあろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年) |
このフロイト文の前半は次のランクの文の言い換えにほかならない。 |
出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている[Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde](オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年) |
《女性器の機能への不快な固着》とあるが、この「不快」は何よりもまず欲動ーーラカンの享楽ーーである。 |
不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年) |
不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970) |
つまり「母への原固着=女性器への固着」とは、女性器への欲動の固着だ。 |
この不快な欲動は抑圧される。 |
抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年) |
※ここでの抑圧は厳密には抑圧の第一段階としての原抑圧=固着である[参照]。 |
後年のフロイトはこの不快を不安というようになる。 |
不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
不安はトラウマかつ対象の喪失である。 |
自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…) die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
そして原不安が出産外傷である。 |
不安は対象を喪った反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, […] daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand. ](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
原不安=原トラウマ=原固着である。前回示した「母への扉」Weg zu den Mütternの原点には、この「母への原固着」Urfixierung an die Mutterがある。 もっとも冒頭文の後半にあるように分析治療手段としては、フロイトはこの原固着への対応効果を疑っている。 ここで同じ『終りある分析と終わりなき分析』からもう一文掲げよう。 |
欲動要求の永続的解決 [dauernde Erledigung eines Triebanspruchs]とは、欲動の飼い馴らし [die »Bändigung«des Triebes]とでも名づけるべきものである。それは、欲動が完全に自我の調和のなかに受容され、自我の持つそれ以外の志向からのあらゆる影響を受けやすくなり、もはや満足に向けて自らの道を行くことはない、という意味である。 しかし、いかなる方法、いかなる手段によってそれはなされるかと問われると、返答に窮する。われわれは、「するとやはり魔女の厄介になるのですな [So muß denn doch die Hexe dran]」(ゲーテ『ファウスト』)と呟かざるをえない。つまり魔女のメタサイコロジイ[Die Hexe Metapsychologie」である。(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第3章、1937年) |
ーーこの文は必ずしも女性器への欲動の固着に関わる退行に限らない。ーー《リビドーは固着によって退行の道に誘い込まれる[Auf den Weg der Regression wird die Libido durch die Fixierung gelockt]》(フロイト『精神分析入門」第22講、1917年) 欲動要求の治療自体がフロイトにとって「魔女のメタサイコロジー」だったのである。 |