フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。 Freud…Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978) |
ラカンの「人はみな妄想する」とは、結局、「人はみな投射する」ということなんだろうよ、おそらく。「夢と妄想」を等置しているということは、フロイトにおいての「夢と投射」の等置に結びつくから。 |
夢は投射である。つまり内的過程の外在化である[Ein Traum ist also auch eine Projektion, eine Veräußerlichung eines inneren Vorganges. ](フロイト『夢理論へのメタ心理学的補足』1917年) |
内的知覚の外界への投射は原始的メカニズムであり、たとえばわれわれの感覚的知覚もこれにしたがっている。したがってこのメカニズムは普通われわれの外界形成にあずかってもっとも力のあるものである。Die Projektion innerer Wahrnehmungen nach außen ist ein primitiver Mechanismus, dem z. B. auch unsere Sinneswahrnehmungen unterliegen, der also an der Gestaltung unserer Außenwelt normalerweise den größten Anteil hat.(フロイト『トーテムとタブー』「Ⅱ タブーと感情のアンビヴァレンツ」第4節、1913年) |
ーーこの二文からすれば、外界自体が内的過程の投射(投影)だ。つまり現実は投射だ。 「症例シュレーバー」の記述に依拠すれば、究極的には固着の投射ということになる。 |
病理的生産物と思われている妄想形成は、実際は、回復の試み・再構成である。[Was wir für die Krankheitsproduktion halten, die Wahnbildung, ist in Wirklichkeit der Heilungsversuch, die Rekonstruktion.] (フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」第3章、1911年) |
投射メカニズムの使用とその結果において妄想的性格が現れる。発育の過程で、いくつかの固着が置き残されることがあり、その一つ一つが連続して、押しやられていたリビドーの侵入を許すことがあるーーおそらく、後に獲得した固着から始まり、病気の展開とともに、出発点に近いところにある原初の固着へと続いていく。 …den Projektionsmechanismus und den Ausgang dem paranoiden Charakter Rechnung trägt. Es können ja in der Entwicklung mehrere Fixierungen zurückgelassen worden sein und der Reihe nach den Durchbruch der abgedrängten Libido gestatten, etwa die später erworbene zuerst und im weiteren Verlaufe der Krankheit dann die ursprüngliche, dem Ausgangspunkt näher liegende.(同上『症例シュレーバー』第3章、1911年) |
ーー固着は常にトラウマに関わる。ジャック=アラン・ミレールが「人はみなトラウマ化されている」と言っているのは、人はみな《トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]》 (フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)があるということだ。 |
「人はみな狂っている(人はみな妄想する)」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。この意味はすべての人にとって穴があるということである[au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé … ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou. ](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る[Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation]. 〔・・・〕われわれはトラウマ化された享楽を扱っているのである[Nous avons affaire à une jouissance traumatisée]( J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、2011) |
ここでミレールが言っているのは享楽=トラウマ=固着であり、これはラカンの次の三文に現れている。 |
享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel] (Lacan, S23, 10 Février 1976) |
現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964) |
固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1, 07 Juillet 1954) |
先の文で穴とあるのはトラウマの言い換えである。 |
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
………………
話を戻せば、私が最も好む投射の記述は、『精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告』(1915年)にある。 |
ここでフロイトは投射の事例として、さる大企業に勤める30歳のとても魅力的な美人の女性について語っている。《彼女は男性との恋愛を求めたことはなく、年老いた母と静かに暮らしていた[Liebesbeziehungen zu Männern hatte sie nie gesucht; sie lebte ruhig neben einer alten Mutter]》。父親はかなり前になくなっており、母親コンプレクス[Mutterkomplex]-ー母への強い感情的拘束[starke Gefühlsbindung an die Mutter]ーーがある女性である。その女性が30歳になって職場の男と恋に陥り、彼の住まいに訪れた。ソファで抱き合っているとき、彼女は何か音がすると不安に襲われる。男は不思議に思い、たんなる時計の音じゃないかと言う。フロイトは次のように記している。 |
時計の時を刻む音でも、何か別の音でもないと思う。女性の状況を考えると、クリトリスのノックあるいは鼓動の感覚が正当化される。これを彼女が外部の対象の感覚として投射したのである。夢の中でも同じようなことが起こる。私のヒステリー症の女性患者はかつて、自発的に連想することができなかった短い覚醒夢について私に話してくれた。彼女はただ、誰かがノックして目が覚めるという夢を見た。誰もドアをノックしなかったが、前の晩に彼女は性器の湿潤による不愉快な感覚で目が覚めていた。そのため、彼女には性器の興奮の最初の兆候を感じたらすぐに目覚めるという動機があった。彼女のクリトリスには「ノック」があったのである。われわれのパラノイア患者の場合、偶発的なノイズの代わりに同様の投射過程を代替すべきである。 |
Ich glaube überhaupt nicht, daß die Standuhr getickt hat oder daß ein Geräusch zu hören war. Die Situation, in der sie sich befand, rechtfertigte eine Empfindung von Pochen oder Klopfen an der Klitoris. Dies war es dann, was sie nachträglich als Wahrnehmung von einem äußeren Objekt hinausprojizierte. Ganz Ähnliches ist im Traume möglich. Eine meiner hysterischen Patientinnen berichtete einmal einen kurzen Wecktraum, zu dem sich kein Material von Einfällen ergeben wollte. Der Traum hieß: Es klopft, und sie wachte auf. Es hatte niemand an die Tür geklopft, aber sie war in den Nächten vorher durch die peinlichen Sensationen von Pollutionen geweckt worden und hatte nun ein Interesse daran zu erwachen, sobald sich die ersten Zeichen der Genitalerregung einstellten. Es hatte an der Klitoris geklopft. Den nämlichen Projektionsvorgang möchte ich bei unserer Paranoika an die Stelle des zufälligen Geräusches setzen. (フロイト『精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告(Mitteilung eines der psychoanalytischen Theorie widersprechenden Falles von Paranoia)』1915年) |
ーークリトリスのノックが時計の音に投射される・・・これを受け入れるとして、クリトリスのノック自体、やはり性欲動の固着にほかならない。 |
愛の条件は、初期幼児期のリビドーの固着が原因となっている[Liebesbedingung (…) welche eine frühzeitige Fixierung der Libido verschuldet]( フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に見られる若干の神経症的機制について』1922年) |
哲学者プラトンの「エロス」は、その由来や作用や性愛との関係の点で精神分析でいう愛の駆り立てる力[Liebeskraft]、すなわちリビドーと完全に一致している。〔・・・〕 この愛の欲動[Liebestriebe]を精神分析では、その主要特徴からみてまたその起源からみて性欲動[Sexualtriebe]と名づける。 Der »Eros des Philosophen Plato zeigt in seiner Herkunft, Leistung und Beziehung zur Geschlechtsliebe eine vollkommene Deckung mit der Liebeskraft, der Libido der Psychoanalyse(…) Diese Liebestriebe werden nun in der Psychoanalyse a potiori und von ihrer Herkunft her Sexualtriebe geheißen. (フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年) |
何はともあれ、ラカンの「人はみな妄想する」をフロイト的に「人はみな投射する」にすれば多くの人が受け入れるんじゃないかね。こうすると刺激度は全然足りないがね。