以下、いままで繰り返してきたことだが、ある意図があって、享楽=欲動=トラウマ=固着を簡潔に示す。
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ラカンの享楽はフロイトの欲動であり、穴の機能に関わる。 |
享楽は、抹消として、穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
穴とはトラウマあるいは喪失を意味する。 |
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
穴、すなわち喪失の場処 [un trou, un lieu de perte] (Lacan, S20, 09 Janvier 1973) |
かつまた原抑圧の穴である。 |
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.](Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
原抑圧は抑圧の第一段階であり、欲動の固着である。 |
抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕 この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege] (フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )第3章、1911年) |
次の『抑圧』論文に現れる「欲動の心的(表象-)代理」あるいは「欲動代理」という表現は「欲動の固着」と等価である。 |
われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。問題となっている代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。 Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden. 〔・・・〕 この欲動代理[Triebrepräsentanz]は抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものとして現れる。 die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen (フロイト『抑圧』1915年) |
上に、原抑圧つまり固着に伴い「暗闇に異者が蔓延る」とあるが、この異者ーー厳密に言えば「異者としての身体」ーーがトラウマかつエスの欲動である。 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
つまりフロイトにとって事実上、「欲動=トラウマ=固着」なのである。この欲動のトラウマ的固着[traumatischen Fixierung](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)ーーこれは幼児期に起こる、《幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]》( フロイト『性理論三篇』1905年) |
ラカンの享楽、つまり現実界のトラウマももちろん固着である。 |
現実界は、同化不能な形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964) |
固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
上でラカンが言っている「同化不能」とはフロイトのモノかつ異者としての身体の定義である。 |
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同化不能な部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
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同化不能な異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年) |
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したがってラカンの現実界はモノつまり異者としての身体である。 |
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フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
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われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976) |
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以上、ラカンの現実界の享楽はフロイトのエスの欲動であり、固着のトラウマにほかならない。
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