2025年8月24日日曜日

親しい女性のお尻(蓮實重彦)

 


◼️蓮實重彦「些事にこだわり」2023年11月17日 

コーヒーの豆は遍在していながらドリップ・フィルターが近くに見あたらぬと、不意に親しい女性のお尻が見えてきたりするのはなぜか                

……

 あれは一九六六年か六七年のことだったから半世紀を遥かに超えた大昔のことなのだが、シネクラブの活動なるものを定着させたいと思った一人の若い女性が日本の首都にも存在していたと想像されたい。その女性は海外での生活も長く、何しろさる人気男優とも結婚していたのだから、有名人の一人だといってもよい存在だったのだが、「シネクラブ研究会」と名付けたその活動はきわめて地味なもので、月に一度ほど大手町のさる小さなホールを借り切り、そこで重たい複数のロールをつめたバッグをみずから担いで登場し、終映後に、ちょっとした討論のようなものを司会するというのが彼女の仕事だった。


 三年半のフランス滞在を終えたばかりのわたくしは、パリでは見られなかったジャック・ドゥミ監督の短編第一作『ロワール渓谷の木靴職人』(一九五五)を見ることができ、深く感動したことを記憶している。その若い女性が柴田駿とともにフランス映画社を設立するより数年前のことにすぎず、そんなことになろうとは思ってもみぬままその活動に深く共鳴したわたくしは、何であったかの記憶は定かではないが、さるフランス語の文献を日本語に翻訳し、その原稿を六本木にあった彼女のオフィスまで持参したことがある。いまなら、メールに添付して送ればそれですむはずのものだが、そんな便利なものが六〇年も昔のこの国に――いうまでもなく、いかなる国であろうと――存在しているはずもなかった。


 持参した翻訳原稿にざっと目を通したその女性は、まあありがとうというなり、お礼に美味しいコーヒーを淹れてさしあげますわと口にしながら、おそらくはヨーロッパ製のものだろうコーヒー・メイカーに小さな変圧器を添えてソケットに挿入し、それに水を注いでから黒光りのする豆粒を勢いよく投入し、いざ電源を入れようとした瞬間、彼女はドリップ・フィルターの不在に気づき、あらいやだ、絶対に近くにあったはずなのに見あたらないといいながらひどく苛立ち、到るところを探してみたが見つからない。


 彼女は、不意にあっというなり、あの箱の中にあったはずだといいながら、書類棚に立てかけられていた梯子を登りかけた。その瞬間、着ていたドレスの裏のファスナーが引かれてはおらず、背中が丸見えであることに気づいたわたくしは、その背後に貼り付くようにして全身で女の素肌の背中を隠し、ファスナーをあげようとしたところ、何かに引っかかっていたものか、それは一向に動こうともしない。漸くにして事態の緊急性を察知した彼女は、ふと振り返りながら、ファスナーが動かなければいったん勢いよく下まで降ろしてから改めて引き上げてみてはどうかという。そこで、左手を彼女の胴にあて、指示にしたがってファスナーをいったん下まで降ろしたところ、薄手の下着にほとんど蔽われてはいないその裸のお尻の割れ目が、いとも鮮やかにこちらの瞳を不意討ちしたのである。


 あ、見えたと思わず口にすると、唇に人差し指を添えながらも微笑を絶やすことなく梯子を降りた彼女は、どうやらその上のケースの中に見つけだしたらしいドリップ・フィルターを装填しながら、どうしてあなたたち、教えてくれなかったのよとあたりの事務の男女たちに文句をいう。誰もが目をふせて答えようとはしなかったので、それはあなたの可愛らしいお尻を真正面から見る権利を、このわたくしに譲渡してくれたのでしょうというと、彼女は馬鹿ねえといいながらも、満足そうに笑った。


 これで、ドリップ・フィルターの不在とさる女性の可愛らしいお尻の割れ目との必然的な関連を理解していただけたかと思う。その意志などまったくなかったはずなのに思わず素肌のお尻を見せてくれた女性は、川喜多和子といって、戦前に創設された東和商事合資会社という映画の輸入を扱う会社の社長である川喜多長政とかしこ夫妻の一人娘であり、戦後に映画を見始めたわたくしの世代の若者たちにとって、いわばアイドルのような存在だった。その女性が、思わず知らずそのお尻を見せてくれたのは、ことによると、わたくしの翻訳への謝意だったのかも知れないといまにして思う。


 では、半世紀以上も昔に起こった性的とはいっさい無縁ともいいがたい奇妙なできごとについて、なぜ、いま語ったりするのか。それは、現下の社会状況において、かつてわたくしがその気もないままに演じてしまった行為が、性犯罪と見なされても不思議ではないものだからである。


 いうまでもなく、わたくしがたまたま見てしまった女性のお尻の割れ目は、その持ち主の同意によるものではいささかもない。内閣府のホームページやその周辺の記事によれば、「同意のない性的な行為は、性暴力であり、重大な人権侵害です」とあるが、その「性的な行為」なるものを「性交」と理解すればいっさい問題はないといえようが、「性的な被害の具体例は?」として、「たとえば、盗撮や痴漢、セクシュアルハラスメント、子どもへの性的虐待(括弧内:省略)、デートDVやSNSでの性的な嫌がらせなども性暴力に該当します」とも書かれているところを見ると、わたくしの場合、「それはあなたの可愛らしいお尻を真正面から見る権利を、このわたくしに譲渡してくれたのでしょう」などとわざわざ口にしているのだから、いま風にいうなら、それを「セクハラ」と認定されてもおかしくはなかろうとは思う。もちろん、半世紀以上も昔のことだから「時効」とやらも成立していようし、彼女もまたその言葉を笑って許してくれたのだから、以後、彼女の思いもよらぬ死の瞬間まで、わたくしたちは、異性の友人として、ごく親しい関係を維持することができたのである。

 ここではむしろ、コーヒー好きを自認している多くの男女が、豆については律儀にその有無を確かめていながら、ドリップ・フィルターに関してはその身近な存在を確かめようともせず、いざという瞬間に慌てて探し始めるのはなぜか、と問うべきかも知れぬ。実際、川喜多和子は、かりにドリップ・フィルターが身近にあったなら、その素肌のお尻をわざわざわたくしに見せずにすんだはずなのである。ことによると、男女間の友愛というものは、セクハラに限りなく近い関係を維持していることで、より親しく深いものとなるものかもしれぬといういささか危うげな教訓を、ここでのいささか強引な結論とすべきかもしれない。その結論を、いまは鎌倉の墓に眠る川喜多和子の霊に向けて、深い友愛の念をこめて送り届けたいと思う。


2025年8月21日木曜日

小林秀雄の批評

 

私は、自分の批評的気質なり、また、そこからきわめて自然に生れてきた批評的方法なりの性質を明言する術を持たないが、実際の仕事をする上で、じょうずに書こうとする努力は払って来たわけで、努力を重ねるにつれて、私は、自分の批評精神なり批評方法なりを、意識的にも無意識的にも育成し、明瞭化して来たはずである。そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だと言えそうだ。 人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。


そう言うと、あるいは逆説的言辞と取られるかも知れない。批評家と言えば、悪口にたけた人と一般に考えられているから。また、そう考えるのが、全く間違っているとも言えない。試みに「大言海」で、批評という言葉を引いてみると、「非ヲ摘ミテ評スルコト」とある。批評、批判の批という言葉の本来の義は、「手ヲ反シテ撃ツ」という事だそうである。してみると、クリチックという外来語に、批評、批判の字を当てたのは、ちとまずかったという事にもなろうか。クリチックという言葉には、非を難ずるという意味はあるまい。カントのような厳格な思想家は、クリチックという言葉を厳格に使ったと考えてよさそうだが、普通「批判哲学」と言われている彼の仕事は、人間理性の在るがままの形をつかむには、独断的態度はもちろん懐疑的態度もすてなければならない、すててみれば、そこにおのずから批判的態度と呼ぶべきものが現れる、そういう姿をしている、と言ってもいいだろう。


ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。カントの批判は、そういう働きをしている。彼の開いたのは、近代的クリチックの大道であり、これをあと戻りする理由は、どこにもない。批評、批判が、クリチックの誤訳であろうとなかろうと。


批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を言う退屈を、非難否定の働きの非生産性を、よく承知しているはずなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張というものがあるからだろう。主張するためには、非難もやむを得ない、というわけだろう。文学界でも、論戦は相変らず盛んだが、大体において、非難的主張あるいは主張的非難の形を取っているのが普通である。そういうものが、みな無意味だと言うのではないが、論戦の盛行は、必ずしも批評精神の旺盛を証するものではない。むしろその混乱を証する、という点に注意したいまでだ。


論戦に誘いこまれる批評家は、非難は非生産的な働きだろうが、主張する事は生産する事だという独断に知らず識らずのうちに誘われているものだ。しかし、もし批評精神を、純粋な形で考えるなら、それは、自己主張はおろか、どんな立場からの主張も、極度に抑制する精神であるはずである。でも、そこに、批評的作品が現れ、批評的生産が行われるのは、主張の断念という果敢な精神の活動によるのである。これは、頭で考えず、実行してみれば、だれにも合点のいくきわめて自然な批評道である。論戦は、批評的表現のほんの一形式に過ぎず、しかも、批評的生産に関しては、ほとんど偶然を頼むほかはないほど困難な形式である。


批評的表現は、いよいよ多様になる。文芸批評家が、美的な印象批評をしている時期は、もはや過ぎ去った。日に発達する自然科学なり人文科学なりが供給する学問的諸知識に無関心で、批評活動なぞもうだれにも出来はしない。この多岐にわたった知識は当然生半可な知識であろうし、またこれに文句を附けられる人もあるまい。だが、いずれにしても学問的知識の援用によって、今日の批評的表現が、複雑多様になっているのに間違いないなら、これは、批評精神の強さ、豊かさの証とはなるまい。


批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ。学問の援用を必要としてはいるが、悪く援用すればたちまち死んでしまう、そのような生きた教養に属するものだ。従って、それは、いつも、人間の現に生きている個性的な印しをつかみ、これとの直接な取引きに関する一種の発言を基盤としている。そういう風に、批評そのものと呼んでいいような、批評の純粋な形式というものを、心に描いてみるのは大事な事である。これは観念論ではない。批評家各自が、自分のうちに、批評の具体的な動機を捜し求め、これを明瞭化しようと努力するという、その事にほかならないからだ。今日の批評的表現が、その多様豊富な外観の下に隠している不毛性を教えてくれるのも、そういう反省だけであろう。小林秀雄「批評」1964年)




………………




人々は批評といふ言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいふことを考へるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいふものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考へる、さういふ風に考へる人々は、批評といふものに就いて何一つ知らない人々である。


この事情を悟るには、現実の愛情の問題、而もその極端な場合を考へてみるのが近道だ。〔・・・〕

恋愛は冷徹なものぢやないだらうが、決して間の抜けたものぢやない。それ処か、人間惚れれば惚れない時より数等利口になるとも言へるのである。惚れた同士の認識といふものには、惚れない同士の認識に比べれば比較にならぬ程、迅速な、溌剌とした、又独創的なものがある筈だらう。〔・・・〕

理知はアルコオルで衰弱するかも知れないが、愛情で眠る事はありはしない、寧ろ普段は眠つてゐる様々な可能性が目醒めると言へるのだ。傍目には愚劣とも映ずる程、愛情を孕んだ理知は、覚め切つて鋭いものである。(小林秀雄「批評について」1957年)



君にいわせれば、僕は批評的言語の混乱というものを努めて作り出そうと心掛けて来た男だ。そして愚かなエピゴオネンを製造し、文学の進歩を妨害している。そういう奴は退治してしまわねばならぬという。豪そうな事をいうなとは言うまい。しかし、君が僕を眺める眼は大変感傷的なのである。もし僕がまさしく君のいう様な男であったら、僕が批評文で飯を食って来たという事がそもそも奇怪ではないか。批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ。僕が批評家として存在を許されて来た事には自ら別の理由がある。その理由について僕は自省している。君の論難の矢がそこに当る事を僕は望んでいたのである。君は僕の真の姿を見てくれてはいない。君の癇癪が君の眼を曇らせているのである。〔・・・〕


僕は「様々なる意匠」という感想文を「改造」に発表して以来、あらゆる批評方法は評家のまとった意匠に過ぎぬ、そういう意匠を一切放棄して、まだいう事があったら真の批評はそこからはじまる筈だ、という建前で批評文を書いて来た。今もその根本の信念には少しも変わりはない。僕が今まで書いて来た批評的雑文(謙遜の意味で雑文というのではない、たしかに雑文だと自分で思っているのだ)が、その時々でどんな恰好を取ろうとも、原理はまことに簡明なのである。原理などと呼べないものかも知れぬ。まして非合理主義だなぞといわれておかしくなるくらいである。愚かなるエピゴオネンの如き糞でも食らえだ。〔・・・〕


君は僕の文章の曖昧さを責め、曖昧にしかものがいえない男だとさえ極言しているが、無論曖昧さは自分の不才によるところ多い事は自認している。又、以前フランス象徴派詩人等の強い影響を受けたために、言葉の曖昧さに媚びていた時期もあった。しかし、僕は自分の言葉の曖昧さについては監視を怠った事はない積りである。僕はいつも合理的に語ろうと努めている。どうしても合理的に語り難い場合に、或は暗示的に或は心理的に表現するに過ぎぬ。その場合僕の文章が曖昧に見えるというところには、僕の才能の不足か読者の鈍感性か二つの問題しかありはしない。僕が論理的な正確な表現を軽蔑していると見られるのは残念な事である。僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである。〔・・・〕


僕等は、専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱に傷ついて来た。混乱を製造しようなどと誰一人思った者はない、混乱を強いられて来たのだ。その君も同様である。今はこの日本の近代文化の特殊性によって傷ついた僕等の傷を反省すべき時だ、負傷者がお互いに争うべき時ではないと思う。(小林秀雄「中野重治君へ」1936年)




2025年8月12日火曜日

米国の新宗教「ジェノサイド」

 

少し過去の記事だが、主にマイケル・ハドソンからの引用を列挙する。


◾️マイケル・ハドソン「危機の中の主権:イスラエル、パレスチナ、そして米国のグローバルアジェンダ」

Sovereignty in Crisis: Israel, Palestine, and America’s Global Agenda 

By Michael Hudson, October 10, 2024

ネタニヤフはまさに米国が望んでいることをやっている。ネタニヤフの夢は米国ネオコンの夢と同じだ。イランとの戦争だ。なぜなら、もしイランを征服できれば、イスラエルとイランの間のすべてを封鎖すればいい。シリア、イラクを占領し、クウェート、サウジアラビアに侵攻する。近東全体を掌握する。


明らかに、ネタニヤフは米国が望んでいることをやっている。なぜなら、米国は毎週爆弾を投下させ、それが続けられるように毎月資金を与えているからだ。


つまり、私たちが見ているのは、良い警官と悪い警官のふりなのだ。 米国は、イスラエルで起こっていることについて、全世界の非難を浴びたくない。 だから、「あれは私たちではない。私たちは善玉でありたい。爆弾を投下するときは優しく、誰も殺さないようにと彼に言った」というふりをしている。 しかし、彼は人々を殺している。 でも、私たちは彼に爆弾を与え続け、穏やかに扱えと言い続けている。 我々に何ができる? 冒頭であなたが言ったように、彼は「主権国家」なのだから。 だから、すべては見せかけなのだ。

Netanyahu is doing just what the United States wants. The dream of Netanyahu is the same dream of the US neo-cons: war with Iran. Because if you can conquer Iran, then you just close up everything between Israel and Iran. You take up Syria, Iraq; you move down into Kuwait and Saudi Arabia. You take over the whole Near East.

Obviously, Netanyahu is doing what the United States wants, because the United States is giving it the bombs every week to drop, giving it the money every month so that it can continue.

So what we’re seeing is a good cop-bad cop pretending. The United States doesn’t want to be blamed by the whole-world abhorrence for what is happening in Israel. So it pretends to say, “That’s not us; we want to be the good guys; we told him to be gentle when he dropped his bombs and not kill anybody.” But he’s killing people. And we keep giving him bombs and telling him to be gentle with it. Well, what can we do? We don’t have control – he’s a “sovereign country” as you played at the beginning. So all of this is just a charade.



◾️マイケル・ハドソン「シオニストは米国のトラブルメーカー」

Zionists the USA’s Trouble Makers By Michael Hudson, October 7, 2024

ブレジンスキーは、すべてを実行した大計画者だった。 スンニ派のジハード戦士たちは、イラク、シリア、イラン、そしてロシア国境までのイスラム諸国を含む中東におけるアメリカの外国軍団となった。

そしてアメリカの目的は、石油がこの政策の中心だった。 つまり、米国は近東を確保しなければならず、そのために2つの代理軍が存在した。 そしてこの2つの軍隊は、今日に至るまで同盟国として共に戦ってきた。 一方はアルカイダのジハードで、もう一方は彼らのマネージャーであるイスラエルだ。


そして彼らは、米国が戦闘をしなくても済むように、戦闘を行ってきた。


外交政策はイスラエルとウクライナを支援し、彼らに武器を提供し、指導者に莫大な額の賄賂を渡し、彼らが行っているすべてのことに電子衛星による誘導を行ってきた。

バイデン大統領はネタニヤフ首相にこう言い続けている、「真新しい燃料庫、クラスター爆弾、巨大爆弾を与えたばかりだ。 爆弾を落とすときに誰も傷つけないように」と。

これこそ偽善であり、良い警官と悪い警官だ。 バイデンとアメリカは過去50年間、良い警官を装って、悪い警官を批判してきた。 悪い警官のISISとアルカイダ、悪い警官のネタニヤフだ。

Well, Brzezinski was the grand planner who did all that. The Sunni Jihad fighters became America’s foreign legion in the Middle East and that includes Iraq, Syria and Iran and also Muslim states going up to Russia’s border.

And the aim of the United States was, oil was the center of this policy. That meant the United States had to secure the Near East and there were two proxy armies for it. And these two armies fought together as allies down to today. On the one hand, the al-Qaeda jihadis, on the other hand, their managers, the Israelis, hand in hand.

And they’ve done the fighting so that the United States doesn’t have to do it.

The foreign policy has backed Israel and Ukraine, providing them with arms, bribing their leaders with enormous sums of money, and electronic satellite guidance for everything they’re doing.

President Biden keeps telling Netanyahu, “Well, we’ve just given you a brand new bunker, cluster bombs and huge bombs – please drop them on your enemies, but do it gently. We don’t want you to hurt anybody when you drop these bombs.”

Well, that’s the hypocrisy – it’s a good cop, bad cop. Biden and the United States for the last 50 years has posed as a good cop criticizing the bad cops that it’s been backing. Bad cop ISIS and al-Qaeda, bad cop Netanyahu.




ブレジンスキーについては、ジェフリー・サックスにていくらか補足しておく。


◾️ジェフリー・サックス「BRICS首脳会議はネオコンの妄信の終焉を告げるものであるべきだ」

The BRICS Summit Should Mark the End of Neocon Delusions, JEFFREY D. SACHS Nov 02, 2024

ロシアのカザンで最近開かれたBRICS首脳会談は、ズビグネフ・ブレジンスキーの1997年の著書『世界のチェス盤:アメリカの優位性とその地政学的義務』の副題に要約されたネオコンの妄想の終焉を象徴するものである。1990年代以来、アメリカの外交政策の目標は「優位性」、つまり世界覇権であった。アメリカが選んだ手段は、戦争、政権交代作戦、一方的な強制措置(経済制裁)であった。カザンには、アメリカの威圧を拒否し、覇権を主張するアメリカに屈しない、世界人口の半分以上を占める35カ国が集まった。

The recent BRICS Summit in Kazan, Russia should mark the end of the Neocon delusions encapsulated in the subtitle of Zbigniew Brzezinski’s 1997 book, The Global Chessboard: American Primacy and its Geostrategic Imperatives. Since the 1990s, the goal of American foreign policy has been “primacy,” aka global hegemony. The U.S. methods of choice have been wars, regime change operations, and unilateral coercive measures (economic sanctions). Kazan brought together 35 countries with more than half the world population that reject the U.S. bullying and that are not cowed by U.S. claims of hegemony.




マイケル・ハドソンに戻る、表題の米国の新宗教「ジェノサイド」についてである。


◾️マイケル・ハドソン「倫理の壁」

The Moral Wall By Michael Hudson, October 22, 2024

さて、問題はどうするかだ。 その結果はどうなるのか? イギリス人がネイティブ・アメリカンを攻撃したとき、彼らには代替案を生み出す機会はなかった。 彼らにできたのは、居留地やナチスが強制収容所と呼んだ場所に追いやられるまで、西へ西へと後退していくことだけだった。


バイデン米大統領もドナルド・トランプも、ネイティブ・アメリカンやパレスチナ人ができなかったこと、つまり代替案を生み出すことを、他国が行うのではないかという大きな恐れを繰り返し表明しようとしてきた。 だからこそ、彼らは中国をアメリカの存亡の敵と定め、中国を征服するための地ならしをするために、ロシアとイランを弱体化させる必要があるのだ、ロシアとイランは中国の2大軍事同盟国であり、中国が必要とするエネルギーの石油供給国であるため。


しかしアメリカの外交政策は、常に抱いている傲慢さに苦しんでいる。 外国は積極的な反応を示さないと思い込んでいるのだ。、ネイティブ・アメリカンが入植者にしたように、あるいはパレスチナ人が国を去ったり殺されたりしたように、彼らは受動的に降伏するだろうと。

Well then, the question is what are we going to do about it? What’s the outcome going to be? When the English attacked the Native Americans, they didn’t have an opportunity to create an alternative. All they could do is retreat further and further westward until they were backed into reservations, or what the Nazis called concentration camps.

Well, U.S. Presidents Biden and Donald Trump both have repeatedly tried to express their great fear that other countries will do what the Native Americans and the Palestinians couldn’t do, that they’d create an alternative. And that’s why they’ve designated China as America’s existential enemy, and to prepare the ground for conquering it, they’ve said, ‘well, that requires weakening Russia and Iran because they’re China’s two great military allies and suppliers of oil of the energy that it needs.’

However U.S. foreign policy suffers from the Hubris that it has always had. It assumes that foreign countries will have no active response. They’ll passively surrender like the Native Americans did to the settlers or, like the Palestinians did when they simply left the country or got killed.


中国とロシアは、自分たちの独立を守るために、代替的な世界秩序を作ろうと率先して動いている。 この番組で1カ月ほど前から話してきたことだ。 彼らは西側諸国の組織に代わる一連の組織を創設した。

上海協力機構はNATOに対する防衛的な対抗軸となり、BRICSは米国やNATO圏から独立して貿易と金融の自立を達成するための全面的な同盟を創設しようとしている。 さて、NATOはロシアの財政国家としての存続能力を止めようとウクライナに進出したが、失敗した。 ロシアはさらに強くなり、ウクライナのNATO支援軍は完全敗北に近づいている。


そこでアメリカは、世界の石油貿易を掌握するという長期的な目標に軍事的支援をシフトさせた。 例えば、戦場で勝てないなら、重要な支配機関を支配しようというわけだ。 そしてここでの政策は、ウクライナでのそれと非常によく似ている。 イスラエルを支援し、近東全域を征服しようとしているのだ。パレスチナ国内から始まり、レバノン、シリア、イラクを吸収して領土を拡大し、イランを倒して大イスラエルに引き込み、地中海からインド洋に至る石油、土地、地理の全領域を支配することができるという、長い間表明してきた希望に至るまで。 そしてウクライナと同様、イスラエル軍は軍事目標よりも、その行く手を阻む住民にずっと重点を置いている。イスラエル軍はそんなことはまったく気にしていない。

China and Russia have taken the lead in moving to create an alternative world order that is going to defend their independence. And that’s what we’ve been talking about on this show for about a month now. They’ve created a set of alternative organizations to those of the West.

The Shanghai Cooperation Organization has become a defensive counterweight to NATO, and the BRICS are creating a full-spectrum alliance to achieve trade and financial self-reliance independent of the U.S. and NATO bloc. Well, NATO’s foray into Ukraine to try to end Russia’s ability to survive as a fiscal state has failed. Russia’s got even stronger and Ukraine’s NATO-backed troops are close to total defeat.

So, the United States has shifted its military support to its long-term aim of gaining control of the world’s oil trade. For instance, well, if we can’t win on the battlefield, let’s control the key organs of control. And its policy here is very similar to that which it followed in Ukraine. It’s backing Israel to conquer the entire Near East, starting with the domestic Palestinian population and extending territory to absorb Lebanon, Syria, Iraq, culminating in the long-expressed hope that they’re going to be able to defeat Iran and pull it into greater Israel and control, as I said, the whole swath of oil, lands, and geography from the Mediterranean to the Indian Ocean. And like Ukraine, Israel’s military is focused much more on the population that’s in its way than on military targets. It really doesn’t care about that.


文明社会の病院やインフラ、文化、政治的・文化的にその文明を支えている基盤を破壊できるのであれば、確実に負ける軍事戦争に参戦する必要はない。 民間人への攻撃や文化的虐殺に焦点を当てることこそ、冒頭で述べた文明世界の戦争ルールに違反するのだ。 米・NATO諸国は自国の軍隊を持たないので、その標的は住民全体にまで拡大される: 空爆すればいい。 我々は彼らと戦うつもりはない。


彼らが反撃のための爆弾を持っていない限り、我々ができるのは空爆だけだ。 パレスチナ人は爆弾を持っていないし、他のイスラム諸国からの支援も受けていない。 近東および西アジア地域の国々には、宗教的あるいはイデオロギー的支えはない。自分たちが脅威にさらされていること、生存圏を求めるこの動きが単にユダヤの生存圏、つまり自国民のためではない。天然資源、地下資源、石油、鉱物、土地、インフラを支配する西側の生存権のためのものなのだ。


生存権という概念は、社会的生存の前提条件すべてを支配するものへと姿を変えた。 イスラエル兵が子どもたちを殺し、病院や学校を爆撃することに集中するのはそのためだ。 子どもたちを殺せば、将来戦わなければならない人口はいなくなる。 ネタニヤフ首相とイスラエル内閣は、「だから子どもたちを殺すのだ。 だから病院を爆撃する。 住民を生き残らせたくないからだ」と繰り返している。

If you can destroy a civilization’s hospitals, infrastructure, its culture, the basis that holds it together politically and culturally, then you don’t need to engage in a military war that you’re sure to lose. Well, it is this focus on attacking civilians and cultural genocide that violates the civilized world’s rules of warfare that I talked about at the beginning. The U.S.-NATO countries don’t have any troops of their own, so their target is extended to include entire populations: ‘Well, we can bomb them. We’re not going to fight them.

All we can do is bomb them, as long as they don’t have a bomb to fight back.’ And the Palestinians have no bombs, and they’re not being supported by other Islamic countries. There’s no religious or ideological support of the countries around the Near East and West Asian area that are willing to realize that they’re all under threat, that this drive for Lebensraum is not simply a Judaic Lebensraum, for its own population, it’s for the Western Lebensraum to control natural resources, sub-soil resources, oil, minerals, the land, infrastructure.

The concept of Lebensraum has morphed into great control of all of the pre-conditions of social survival. That’s why the Israeli soldiers concentrate on killing children and bombing hospitals and schools. If you kill the children, there won’t be any population you have to fight in the future. Netanyahu and the Israeli cabinet: Again, ‘that’s why we’re killing children. That’s why we’re bombing hospitals. We don’t want the population to survive.’


そう、その目的はジェノサイドであり、他の民族や国が生き残り、生きることを妨げ、代替案を提供することだを阻止することだ。 ウクライナと同様、イスラエルはパレスチナ人やアラブ人に対するジェノサイドを正当化するために人種的憎悪を煽っている。 ウクライナ人がロシア語を話す人々をゴキブリと呼んだように、敵対する人々を人間以下と呼び、イスラエル人はアラブ人をそのように扱っている。 ハンチントンの『文明の衝突』が意味するのは、まさにこのことだ: 彼の考えでは、文明は実際にはひとつしかなく、他の文明は入植者の邪魔をする先住民なのだ。 これは何を意味するのか? 第二次世界大戦時のナチスの憎悪イデオロギーを復活させ、それがあまりにも衝撃的であったため、全世界を自衛のための同盟へと駆り立てているのだ。


米国、我々の計画者たちが理解していなかったのは、ガザ地区やイスラエルのヨルダン川西岸地区でのジェノサイドが自国の運命となるかもしれないという各国の恐怖だ。それらの国々が、独立や自立、通貨制度、貿易、米国企業への課税や、国土を汚染している国や米国の新自由主義政策から逸脱している国に罰金を科す権限を阻止しようとすれば起こり得るジェノサイド。これは基本的に米国の新宗教だ。他国がドル債務や絶え間ない政権交代の影響から逃れようとすれば、入植者の犠牲者と同じ結末を迎えることになるだろう。

Well, that aim is genocide and it’s to prevent other peoples and countries from surviving and living to provide an alternative. Like Ukraine, Israel’s promoting racial hatred to justify its genocide against the Palestinians and Arabs. Just as it calls adversaries sub-human, just as the Ukrainians called the Russian speakers cockroaches, sub-human, the Israelis are treating the Arabs as that. That’s really what Huntington’s Clash of Civilizations means in progress, in practice: There’s really only one civilization in his view, and the other civilizations are the indigenous population in the way of the settlers. What’s this done? It’s reviving World War II Nazi ideology of hatred that was so shocking that it’s driving the whole world into an alliance to defend itself.


That’s what the United States, our planners, didn’t realize: that countries fear that the genocide in Gaza and Israel’s West Bank may be their own fate if the United States seeks to prevent them from following their own independence or achieving their own self-reliance, their own monetary system, their own trade, their ability to tax American corporations or to fine them if they’re polluting their land, if they deviate from the U.S. neoliberal policies. That is basically the U.S.-new religion. If other countries try to escape from their dollar debt or the incessant regime change consequences, they’re going to end up like the victims of the settlers.


つまり、ある国の経済的解決とは、アメリカやヨーロッパの企業にその国の貿易ルールや国内法、石油や鉱物資源を支配するための企業への課税能力などを取り返すことであり、アメリカやヨーロッパの企業にそれらを支配させ、その生産量や経済的価値をすべて自分たちのために吸い上げることではないのだ。

私たちは今、どのような文明を手に入れるかをめぐって戦っている。 世界的な亀裂が生じるかもしれないが、人口の15%を占める米・北大西洋条約機構(U.S. -NATO)と、それ以外の85%、つまり工業化された世界の一部、天然資源を持つ世界の一部との間に、世界的な亀裂が生じるとすれば、今日私たちが目にしている戦い、つまりこの新たな冷戦は、米・北大西洋条約機構(U.S. -NATO)の反文明主義とは対照的に、文明のあり方をめぐる戦いなのだ。

So we can think of economic settlement of a country, economic settlement of taking over the rules of a country’s trade, its domestic laws, its ability to tax corporations to control its oil and mineral resources in its own natural interest, instead of letting American and European firms take them over and siphon off all of their output and the economic value of these resources for itself.

So we’re really in a fight for what kind of civilization we’re going to have. And there may be a global fracture, but if there is a global fracture between the 15% of the population that’s U.S.-NATO and the 85% of all the rest of the world, the part of the world that is industrialized, the part of the world that has the natural resources, well then, the fight that we’re seeing today, this new Cold War is really about what civilization’s all about, in contrast to the U.S.-NATO’s really anti-civilization.


………………


※附記

今後、米国は、米国をユーラシアから追い出し、ひいては世界大国としての米国の地位を脅かそうとする地域連合にどう対処するかを決定しなければならないかもしれない。 〔・・・〕潜在的に最も危険なシナリオは、中国、ロシア、そしておそらくイランによる大連合、つまりイデオロギーではなく相互補完的な不満によって結束した「反覇権主義的」連合である。これは、かつて中ソ連圏が直面した脅威を規模と範囲において彷彿とさせる。ただし今回は中国が主導権を握り、ロシアが追随する可能性が高い。この不測の事態を回避するには、たとえ可能性がいかに低くても、ユーラシア大陸の西、東、南の境界において、米国の地政学的手腕を同時に駆使する必要がある。

Henceforth, the United States may have to determine how to cope with regional coalitions that seek to push America out of Eurasia, thereby threatening America's status as a global power.(…) 

Potentially, the most dangerous scenario would be a grand coalition of China, Russia, and perhaps Iran, an "antihegemonic" coalition united not by ideology but by complementary grievances. It would be reminiscent in scale and scope of the challenge once posed by the Sino-Soviet bloc, though this time China would likely be the leader and Russia the follower. Averting this contingency, however remote it may be, will require a display of U.S. geostrategic skill on the western, eastern, and southern perimeters of Eurasia simultaneously.

(ズビグネフ・ブレジンスキー『グランドチェス盤アメリカの優位性とその地政学的義務

』ZBIGNIEW BRZEZINSKI, THE GRAND CHESSBOARD American Primacy and Its Geostrategic Imperatives,1997)



◼️セルゲイ・グラジエフ、2025年6月13日

Sergey Glazyev, Telegram Jun 13 2025 Академик для думающих людей

ワシントンはブレジンスキーの自殺的な戦略を遂行し続けている。それは5段階から成る。ウクライナの掌握、ヨーロッパとロシアの分離、ロシアの征服、イランの破壊、そして中国の孤立化だ。彼らは第3段階でつまずき、今や第4段階に突入したのだ。

"Washington continues to implement Brzezinski's suicidal strategy, which consists of five stages: the seizure of Ukraine, the separation of Europe from Russia, the subjugation of Russia, the destruction of Iran, and the isolation of China. Having stumbled on the third stage, they have now begun the fourth."