2025年8月21日木曜日

小林秀雄の批評

 

私は、自分の批評的気質なり、また、そこからきわめて自然に生れてきた批評的方法なりの性質を明言する術を持たないが、実際の仕事をする上で、じょうずに書こうとする努力は払って来たわけで、努力を重ねるにつれて、私は、自分の批評精神なり批評方法なりを、意識的にも無意識的にも育成し、明瞭化して来たはずである。そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だと言えそうだ。 人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。


そう言うと、あるいは逆説的言辞と取られるかも知れない。批評家と言えば、悪口にたけた人と一般に考えられているから。また、そう考えるのが、全く間違っているとも言えない。試みに「大言海」で、批評という言葉を引いてみると、「非ヲ摘ミテ評スルコト」とある。批評、批判の批という言葉の本来の義は、「手ヲ反シテ撃ツ」という事だそうである。してみると、クリチックという外来語に、批評、批判の字を当てたのは、ちとまずかったという事にもなろうか。クリチックという言葉には、非を難ずるという意味はあるまい。カントのような厳格な思想家は、クリチックという言葉を厳格に使ったと考えてよさそうだが、普通「批判哲学」と言われている彼の仕事は、人間理性の在るがままの形をつかむには、独断的態度はもちろん懐疑的態度もすてなければならない、すててみれば、そこにおのずから批判的態度と呼ぶべきものが現れる、そういう姿をしている、と言ってもいいだろう。


ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。カントの批判は、そういう働きをしている。彼の開いたのは、近代的クリチックの大道であり、これをあと戻りする理由は、どこにもない。批評、批判が、クリチックの誤訳であろうとなかろうと。


批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を言う退屈を、非難否定の働きの非生産性を、よく承知しているはずなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張というものがあるからだろう。主張するためには、非難もやむを得ない、というわけだろう。文学界でも、論戦は相変らず盛んだが、大体において、非難的主張あるいは主張的非難の形を取っているのが普通である。そういうものが、みな無意味だと言うのではないが、論戦の盛行は、必ずしも批評精神の旺盛を証するものではない。むしろその混乱を証する、という点に注意したいまでだ。


論戦に誘いこまれる批評家は、非難は非生産的な働きだろうが、主張する事は生産する事だという独断に知らず識らずのうちに誘われているものだ。しかし、もし批評精神を、純粋な形で考えるなら、それは、自己主張はおろか、どんな立場からの主張も、極度に抑制する精神であるはずである。でも、そこに、批評的作品が現れ、批評的生産が行われるのは、主張の断念という果敢な精神の活動によるのである。これは、頭で考えず、実行してみれば、だれにも合点のいくきわめて自然な批評道である。論戦は、批評的表現のほんの一形式に過ぎず、しかも、批評的生産に関しては、ほとんど偶然を頼むほかはないほど困難な形式である。


批評的表現は、いよいよ多様になる。文芸批評家が、美的な印象批評をしている時期は、もはや過ぎ去った。日に発達する自然科学なり人文科学なりが供給する学問的諸知識に無関心で、批評活動なぞもうだれにも出来はしない。この多岐にわたった知識は当然生半可な知識であろうし、またこれに文句を附けられる人もあるまい。だが、いずれにしても学問的知識の援用によって、今日の批評的表現が、複雑多様になっているのに間違いないなら、これは、批評精神の強さ、豊かさの証とはなるまい。


批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ。学問の援用を必要としてはいるが、悪く援用すればたちまち死んでしまう、そのような生きた教養に属するものだ。従って、それは、いつも、人間の現に生きている個性的な印しをつかみ、これとの直接な取引きに関する一種の発言を基盤としている。そういう風に、批評そのものと呼んでいいような、批評の純粋な形式というものを、心に描いてみるのは大事な事である。これは観念論ではない。批評家各自が、自分のうちに、批評の具体的な動機を捜し求め、これを明瞭化しようと努力するという、その事にほかならないからだ。今日の批評的表現が、その多様豊富な外観の下に隠している不毛性を教えてくれるのも、そういう反省だけであろう。小林秀雄「批評」1964年)




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人々は批評といふ言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいふことを考へるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいふものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考へる、さういふ風に考へる人々は、批評といふものに就いて何一つ知らない人々である。


この事情を悟るには、現実の愛情の問題、而もその極端な場合を考へてみるのが近道だ。〔・・・〕

恋愛は冷徹なものぢやないだらうが、決して間の抜けたものぢやない。それ処か、人間惚れれば惚れない時より数等利口になるとも言へるのである。惚れた同士の認識といふものには、惚れない同士の認識に比べれば比較にならぬ程、迅速な、溌剌とした、又独創的なものがある筈だらう。〔・・・〕

理知はアルコオルで衰弱するかも知れないが、愛情で眠る事はありはしない、寧ろ普段は眠つてゐる様々な可能性が目醒めると言へるのだ。傍目には愚劣とも映ずる程、愛情を孕んだ理知は、覚め切つて鋭いものである。(小林秀雄「批評について」1957年)



君にいわせれば、僕は批評的言語の混乱というものを努めて作り出そうと心掛けて来た男だ。そして愚かなエピゴオネンを製造し、文学の進歩を妨害している。そういう奴は退治してしまわねばならぬという。豪そうな事をいうなとは言うまい。しかし、君が僕を眺める眼は大変感傷的なのである。もし僕がまさしく君のいう様な男であったら、僕が批評文で飯を食って来たという事がそもそも奇怪ではないか。批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ。僕が批評家として存在を許されて来た事には自ら別の理由がある。その理由について僕は自省している。君の論難の矢がそこに当る事を僕は望んでいたのである。君は僕の真の姿を見てくれてはいない。君の癇癪が君の眼を曇らせているのである。〔・・・〕


僕は「様々なる意匠」という感想文を「改造」に発表して以来、あらゆる批評方法は評家のまとった意匠に過ぎぬ、そういう意匠を一切放棄して、まだいう事があったら真の批評はそこからはじまる筈だ、という建前で批評文を書いて来た。今もその根本の信念には少しも変わりはない。僕が今まで書いて来た批評的雑文(謙遜の意味で雑文というのではない、たしかに雑文だと自分で思っているのだ)が、その時々でどんな恰好を取ろうとも、原理はまことに簡明なのである。原理などと呼べないものかも知れぬ。まして非合理主義だなぞといわれておかしくなるくらいである。愚かなるエピゴオネンの如き糞でも食らえだ。〔・・・〕


君は僕の文章の曖昧さを責め、曖昧にしかものがいえない男だとさえ極言しているが、無論曖昧さは自分の不才によるところ多い事は自認している。又、以前フランス象徴派詩人等の強い影響を受けたために、言葉の曖昧さに媚びていた時期もあった。しかし、僕は自分の言葉の曖昧さについては監視を怠った事はない積りである。僕はいつも合理的に語ろうと努めている。どうしても合理的に語り難い場合に、或は暗示的に或は心理的に表現するに過ぎぬ。その場合僕の文章が曖昧に見えるというところには、僕の才能の不足か読者の鈍感性か二つの問題しかありはしない。僕が論理的な正確な表現を軽蔑していると見られるのは残念な事である。僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである。〔・・・〕


僕等は、専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱に傷ついて来た。混乱を製造しようなどと誰一人思った者はない、混乱を強いられて来たのだ。その君も同様である。今はこの日本の近代文化の特殊性によって傷ついた僕等の傷を反省すべき時だ、負傷者がお互いに争うべき時ではないと思う。(小林秀雄「中野重治君へ」1936年)