◼️蓮實重彦「些事にこだわり」2023年11月17日
コーヒーの豆は遍在していながらドリップ・フィルターが近くに見あたらぬと、不意に親しい女性のお尻が見えてきたりするのはなぜか
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あれは一九六六年か六七年のことだったから半世紀を遥かに超えた大昔のことなのだが、シネクラブの活動なるものを定着させたいと思った一人の若い女性が日本の首都にも存在していたと想像されたい。その女性は海外での生活も長く、何しろさる人気男優とも結婚していたのだから、有名人の一人だといってもよい存在だったのだが、「シネクラブ研究会」と名付けたその活動はきわめて地味なもので、月に一度ほど大手町のさる小さなホールを借り切り、そこで重たい複数のロールをつめたバッグをみずから担いで登場し、終映後に、ちょっとした討論のようなものを司会するというのが彼女の仕事だった。
三年半のフランス滞在を終えたばかりのわたくしは、パリでは見られなかったジャック・ドゥミ監督の短編第一作『ロワール渓谷の木靴職人』(一九五五)を見ることができ、深く感動したことを記憶している。その若い女性が柴田駿とともにフランス映画社を設立するより数年前のことにすぎず、そんなことになろうとは思ってもみぬままその活動に深く共鳴したわたくしは、何であったかの記憶は定かではないが、さるフランス語の文献を日本語に翻訳し、その原稿を六本木にあった彼女のオフィスまで持参したことがある。いまなら、メールに添付して送ればそれですむはずのものだが、そんな便利なものが六〇年も昔のこの国に――いうまでもなく、いかなる国であろうと――存在しているはずもなかった。
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持参した翻訳原稿にざっと目を通したその女性は、まあありがとうというなり、お礼に美味しいコーヒーを淹れてさしあげますわと口にしながら、おそらくはヨーロッパ製のものだろうコーヒー・メイカーに小さな変圧器を添えてソケットに挿入し、それに水を注いでから黒光りのする豆粒を勢いよく投入し、いざ電源を入れようとした瞬間、彼女はドリップ・フィルターの不在に気づき、あらいやだ、絶対に近くにあったはずなのに見あたらないといいながらひどく苛立ち、到るところを探してみたが見つからない。
彼女は、不意にあっというなり、あの箱の中にあったはずだといいながら、書類棚に立てかけられていた梯子を登りかけた。その瞬間、着ていたドレスの裏のファスナーが引かれてはおらず、背中が丸見えであることに気づいたわたくしは、その背後に貼り付くようにして全身で女の素肌の背中を隠し、ファスナーをあげようとしたところ、何かに引っかかっていたものか、それは一向に動こうともしない。漸くにして事態の緊急性を察知した彼女は、ふと振り返りながら、ファスナーが動かなければいったん勢いよく下まで降ろしてから改めて引き上げてみてはどうかという。そこで、左手を彼女の胴にあて、指示にしたがってファスナーをいったん下まで降ろしたところ、薄手の下着にほとんど蔽われてはいないその裸のお尻の割れ目が、いとも鮮やかにこちらの瞳を不意討ちしたのである。
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あ、見えたと思わず口にすると、唇に人差し指を添えながらも微笑を絶やすことなく梯子を降りた彼女は、どうやらその上のケースの中に見つけだしたらしいドリップ・フィルターを装填しながら、どうしてあなたたち、教えてくれなかったのよとあたりの事務の男女たちに文句をいう。誰もが目をふせて答えようとはしなかったので、それはあなたの可愛らしいお尻を真正面から見る権利を、このわたくしに譲渡してくれたのでしょうというと、彼女は馬鹿ねえといいながらも、満足そうに笑った。
これで、ドリップ・フィルターの不在とさる女性の可愛らしいお尻の割れ目との必然的な関連を理解していただけたかと思う。その意志などまったくなかったはずなのに思わず素肌のお尻を見せてくれた女性は、川喜多和子といって、戦前に創設された東和商事合資会社という映画の輸入を扱う会社の社長である川喜多長政とかしこ夫妻の一人娘であり、戦後に映画を見始めたわたくしの世代の若者たちにとって、いわばアイドルのような存在だった。その女性が、思わず知らずそのお尻を見せてくれたのは、ことによると、わたくしの翻訳への謝意だったのかも知れないといまにして思う。
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では、半世紀以上も昔に起こった性的とはいっさい無縁ともいいがたい奇妙なできごとについて、なぜ、いま語ったりするのか。それは、現下の社会状況において、かつてわたくしがその気もないままに演じてしまった行為が、性犯罪と見なされても不思議ではないものだからである。
いうまでもなく、わたくしがたまたま見てしまった女性のお尻の割れ目は、その持ち主の同意によるものではいささかもない。内閣府のホームページやその周辺の記事によれば、「同意のない性的な行為は、性暴力であり、重大な人権侵害です」とあるが、その「性的な行為」なるものを「性交」と理解すればいっさい問題はないといえようが、「性的な被害の具体例は?」として、「たとえば、盗撮や痴漢、セクシュアルハラスメント、子どもへの性的虐待(括弧内:省略)、デートDVやSNSでの性的な嫌がらせなども性暴力に該当します」とも書かれているところを見ると、わたくしの場合、「それはあなたの可愛らしいお尻を真正面から見る権利を、このわたくしに譲渡してくれたのでしょう」などとわざわざ口にしているのだから、いま風にいうなら、それを「セクハラ」と認定されてもおかしくはなかろうとは思う。もちろん、半世紀以上も昔のことだから「時効」とやらも成立していようし、彼女もまたその言葉を笑って許してくれたのだから、以後、彼女の思いもよらぬ死の瞬間まで、わたくしたちは、異性の友人として、ごく親しい関係を維持することができたのである。
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ここではむしろ、コーヒー好きを自認している多くの男女が、豆については律儀にその有無を確かめていながら、ドリップ・フィルターに関してはその身近な存在を確かめようともせず、いざという瞬間に慌てて探し始めるのはなぜか、と問うべきかも知れぬ。実際、川喜多和子は、かりにドリップ・フィルターが身近にあったなら、その素肌のお尻をわざわざわたくしに見せずにすんだはずなのである。ことによると、男女間の友愛というものは、セクハラに限りなく近い関係を維持していることで、より親しく深いものとなるものかもしれぬといういささか危うげな教訓を、ここでのいささか強引な結論とすべきかもしれない。その結論を、いまは鎌倉の墓に眠る川喜多和子の霊に向けて、深い友愛の念をこめて送り届けたいと思う。
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