「フロイトの自我分裂とラカンの主体$」簡潔版。
① 主体にはシニフィアンの主体と享楽の主体がある[sujet qui est le sujet du signifiant et le sujet de la jouissance.](J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 11 MARS 1987) |
現実界のなかの異者概念(異者身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
➡︎享楽の主体は異者身体の主体である。 |
② 享楽は、身体の享楽と言語の享楽の二つの顔の下に考えうる[on peut considérer la jouissance soit sous sa face de jouissance du corps, soit sous celle de la jouissance du langage] (J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 27/5/98) |
自己身体の享楽はあなたを異者身体とする[la jouissance du corps propre vous rende ce corps étranger](J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20 mai 2009) |
➡︎身体の享楽は異者身体の享楽である。 |
享楽には反復の意味がある。 |
享楽と反復は繋がっている[Jouissance et répétition ont partie liée] (François Bony, Jouissance et répétition, 2015) |
以上、 ①主体は異者身体の主体と言語の主体である(現実界の主体と象徴界の主体) ②享楽は異者身体の反復と言語の反復である(現実界の反復と象徴界の反復) |
①②は同じ意味である。つまり現実界に関して異者身体概念が核心。 |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者身体[Fremdkörper]の症状の症状と呼んでいる。[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
簡潔に言えば、「あなたのなかには異者がいる」である。
疎外(異者分離 Entfremdungen)は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, […] Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年) |
ラカン風に言えば、「あなたのなかにはーー男女両性ともーーひとりの女がいる」である。 |
ひとりの女は異者である[une femme, … c'est une étrangeté.] (Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
カミール・パーリア風に言えば、「男女とも、母に支配された内部の女性的領域に隠れ場をもっている」である。 |
どの男も、母に支配された内部の女性的領域に隠れ場をもっている。男は母から完全には決して自由になれない[Every man harbors an inner female territory ruled by his mother, from whom he can never entirely break free. ](カミール・パーリア 『性のペルソナ』1990年) |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976) |
モノは母である[das Ding, qui est la mère ](Lacan, S7 16 Décembre 1959) |
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
石倭裕子風に言えば、「荒木さんのエロトスは私の中に潜んでいる『女』に声をかけてくれたんです」である。 |
荒木さんは私の中に潜んでいるその『女』に声をかけてくれた。私もそれを出すために荒木さんが必要だったんです。(石倭裕子ーー桐山秀樹『荒木経惟の「物語」』1998年) |
現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている[Jouissance du réel comporte le masochisme](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
マゾヒズムは、生命にとってきわめて重要な死の欲動とエロス欲動との合金化が行なわれたあの形成過程の証人であり、残滓である[So wäre dieser Masochismus ein Zeuge und Überrest jener Bildungsphase, in der die für das Leben so wichtige Legierung von Todestrieb und Eros geschah. ](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年) |
カイエ風に言えば、「オレの鉢の張った頭はいる女いねえかな」である。 |
子供はもともと母、母の身体に生きていた [l'enfant originellement habite la mère …avec le corps de la mère]。…子供は、母の身体に関して、異者身体、寄生体、子宮のなかの、羊膜によって覆われた身体である[il est, par rapport au corps de la mère, corps étranger, parasite, corps incrusté par les racines villeuses de son chorion dans …l'utérus](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |