したがって現実界の外立[l'ex-sistence du Réel]とは穴=トラウマの外立[l'ex-sistence du Trou-matisme]である。
ここまで示してきた用語をここでいったん整理しよう。
これらは全部同じ意味である。もっともトラウマという語には注意しなければならない。われわれが通常使う事故的トラウマよりももっと大きな意味をもっており、心的装置に同化不能の、自我の外に投げ出された何ものかということである。
ここでこれらの用語の原点であるフロイトへと向きを変える。
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フロイトはモノという語を頻用しているわけではなく、私の知る限りで、初期の論文に数度使われているだけである。ここでは二文抜き出そう。
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(心的装置、あるいは自我に)同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)
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我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste,](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)
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モノとは、自我に同化されず自我の外部に放り投げられた何ものかである。残滓とはこのモノが消え去らずに生涯残存して反復強迫を生むということである。このモノと等価の概念としてフロイトが初期から最晩年まで多用した語が、邦訳では「異物」と訳されてきた異者[Fremde]あるいは異者身体[Fremdkörper]である。
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このモノは分離されており、異者の特性がある[ce Ding … isolé comme ce qui est de sa nature étranger, fremde.] 〔・・・〕モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger] (Lacan, S7, 09 Décembre 1959)
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モノ=異者身体がトラウマである。
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異者身体 [Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
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異者が原抑圧にかかわるのは、1915年の『抑圧』論文に明示されている。
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固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)
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1915年のフロイトにはまだエス概念はない。だが「暗闇に異者が蔓延る」の暗闇とはエスのことである。
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エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。
Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)
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話が前後するが、上に引用した抑圧論文に《固着に伴う原抑圧が行われる》とあるように、原抑圧とは固着のことであり、固着とは、欲動=リビドーがある対象に固く付着して離れないことである。
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抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察(症例シュレーバー)』1911年、摘要)
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ここまでで先ほどの外立用語群と等価の表現が既に三つある。
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エスの外立[ l'ex-sistence de Es]
異者身体の外立[l'ex-sistence de Fremdkörper]
固着の外立[l'ex-sistence de Fixierung]
ジャック=アラン・ミレールの注釈で確認しておこう。
悦=固着=異者=モノ=エスである。
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悦は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation … on y revient toujours. ](Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
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現実界のなかの異者概念は明瞭に、悦と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004)
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モノをフロイトは異者とも呼んだ[das Ding…ce que Freud appelle Fremde – étranger. ](J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 26/04/2006)
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フロイトのモノ、これが後にラカンにとってエスとなる[das Ding –, qui sera plus tard pour lui la jouissance]。…フロイトのエス、欲動の無意識。事実上、このエスがモノである。[ça freudien, l'inconscient de la pulsion. En fait, cette jouissance, la Chose](J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)
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外立、タタルもの、回帰するものは次の用語群である。
実はまだ用語ヴァリエーションがいくらでもある。以下、ざっと見よう。
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母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding. ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)
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すなわち母の外立[ l'ex-sistence de la mère]
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症状の外立[L'ex-sistence du symptôme ] (Lacan S23, 18 Novembre 1975)
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この症状はリアルな症状、つまりサントームである。
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サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)
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すなわちサントームの外立[L'ex-sistence du sinthome]
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そもそもサントームは現実界の悦としてのモノであり固着である。
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サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である[Le sinthome, c'est le réel et sa répétition.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)
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サントームという悦自体[la jouissance propre du sinthome」 (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008)
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ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens](J.-A.MILLER,, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)
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サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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こんなのもある。
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神の外立[l'ex-sistence de Dieu] (Lacan, S22, 08 Avril 1975)
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この神とは超自我であり、女なるものである。
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一般的に神と呼ばれるもの、それは超自我と呼ばれるものの作用である[on appelle généralement Dieu …, c'est-à-dire ce fonctionnement qu'on appelle le surmoi. ](ラカン, S17, 18 Février 1970)
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すなわち、超自我の外立[l'ex-sistence du surmoi]
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一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである[C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». ](ラカン, S23, 16 Mars 1976)
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すなわち、女なるものの外立[l'ex-sistence de la femme]。
上に示したように外立=排除=固着である。
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原抑圧の名、それは女なるものの排除である[le nom du refoulement primordial …la forclusion de la femme](J.-A. MILLER, - Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)
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女への固着(おおむね母への固着)[Fixierung an das Weib (meist an die Mutter)](フロイト『性理論三篇』1905年、1910年注)
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そして、
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超自我と原抑圧との一致がある[ il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire .] (J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)
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原抑圧=固着であり、超自我はフロイトの定義において固着である。
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超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)
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自己破壊とあるが、フロイトの定義においてマゾヒズムのことである、ーー《マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている[Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. ]》(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活」1933年)
そしてこれが現実界の悦である。
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現実界の悦はマゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた悦の主要形態である[Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel ](Lacan, S23, 10 Février 1976)
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すなわち、マゾヒズムの外立[l'ex-sistence du masochisme]
次。
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対象aの外立[l'ex-sistence de l'objet a] (J.-A. Miller LE LIEU ET LE LIEN, 23 mai 2001)
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この対象aはリアルな対象aということであり固着である。
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対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)
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無意識の最もリアルな対象a、それが悦の固着である[ce qui a (l'objet petit a) de plus réel de l'inconscient, c'est une fixation de jouissance.](J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
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ここでモノに戻ろう。
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私の最も内にある親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960)
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対象aは外密である[l'objet(a) est extime](Lacan, S16, 26 Mars 1969)
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すなわち外密の外立[l'ex-sistence de l'extimité]
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モノ=異者=外密=不気味なもの=対象aである。
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モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger] (Lacan, S7, 09 Décembre 1959)
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異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,… le (a) dont il s'agit,… absolument étranger] (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)
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異者がいる。異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)
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フロイトの不気味なものの定義はラカンの外密の定義と同一である、《不気味ななかの親密さ[heimisch im Unheimlichen]》(フロイト『ある錯覚の未来』第3章、1927年)
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すなわち不気味なものの外立[l'ex-sistence de l'Unheimlich]
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ここでは外立(排除)を軸に種々の用語群を見てみたが、すべて同じことを言っている、少なくとも殆ど同じことを。
混乱を招かないためにも可能ならどれかひとつに用語を絞るべきだろう。現代主流臨床ラカン派は徐々に固着用語へと焦点を絞りつつあるように見える。
とはいえそれぞれの語に味があるのである。例えば、外密の外立[l'ex-sistence de l'extimité ]とはジョークっぽくてよろしい。ネット上でざっと見る限りでは誰もそう言っていないが、論理的には必ずこう置ける。
いや、単純に次の三文を組み合わせればそうなる。
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現実界の外立[l'ex-sistence du Réel](Lacan, S22, 11 Mars 1975 )
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フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel](Lacan, S23, 13 Avril 1976)
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私の最も内にある親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960)
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