2024年3月14日木曜日

抑圧文献②ーー抑圧されたマゾヒズム[verdrängte Masochismus]


ところで次のフロイトとラカンはなに言ってんだろ?


本源的に抑圧されている要素は、常に女性的なものではないかと思われる[Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist ](フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)

女なるものは、その本質において、女にとっても抑圧されている。男にとって女なるものが抑圧されているのと同じように[La Femme dans son essence,  …elle est tout aussi refoulée pour la femme que pour l'homme](ラカン, S16, 12 Mars 1969)


わかるかい、ふつうはイミフだろうよ。


ここで私が10年近く前に読んでこれまた最初はまったくイミフだったベルギーのゲント大学ーーフロイトラカン研究のメッカのひとつーーのポール・バーハウの文をまず掲げよう。


どの神経症も受動的なトラウマ的光景として出発している。それは不快なものとして経験される。受動性は女性性を意味する。抑圧されたものの核は女性性である。心的経済において女なるものの場処はないように見える。

every neurosis starts as a passive traumatic scene which is experienced as unpleasurable; passivity means femininity; hence, the core of the repressed is femininity. There does not seem to be a place for the woman in the psychical economy.(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE,  DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)




さて上のポール・バーハウの文を当面受け入れて、ひとつひとつ見ていこう。

まずフロイトにとって原初の不快は受動性だ。

原初の不快な出来事は受動性である[primäres Unlusterlebnis also passiver Natur voraus.] (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ,  Brief vom 1. 1. 1896)


そして受動性は女性性だ。

男性的と女性的とは、あるときは能動性と受動性の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている。これら三つのつの意味のうち最初の意味が、本質的なものであり、精神分析において最も有用なものである。Man gebraucht männlich und weiblich bald im Sinne von Aktivität und Passivität, bald im biologischen und dann auch im soziologischen Sinne. Die erste dieser drei Bedeutungen ist die wesentliche und die in der Psychoanalyse zumeist verwertbare. 〔・・・〕


人間にとっては、心理学的な意味でも生物学的な意味でも、純粋な男性性または女性性は見出されない。個々の人間はすべて、自らの生物学的な性特徴と異性の生物学的な特徴との混淆をしめしており、また能動性と受動性という心的な性格特徴が生物学的なものに依存しようと、それに依存しまいと同じように、この能動性と受動性との融合をしめしている。

Diese ergibt für den Menschen, daß weder im psychologischen noch im biologischen Sinne eine reine Männlichkeit oder Weiblichkeit gefunden wird. Jede Einzelperson weist vielmehr eine Vermengung ihres biologischen Geschlechtscharakters mit biologischen Zügen des anderen Geschlechts und eine Vereinigung von Aktivität und Passivität auf, sowohl insofern diese psychischen Charakterzüge von den biologischen abhängen als auch insoweit sie unabhängig von ihnen sind.. (フロイト『性理論三篇』第三篇、1905年、1915年註)


さらに受動性はトラウマだ。

トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


まずここまでで、不快=受動性=女性性=トラウマとなる。


つまり冒頭の抑圧された女性性は抑圧された不快、あるいは抑圧されたトラウマとなる。

抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年)

抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)


え、ホントにそうなの?・・・だろうな、ふつうは。



さらに先の書ではポール・バーハウが指摘していない受動性がある。


マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)

サディズムは男性性、マゾヒズムは女性性とより密接な関係がある[daß der Sadismus zur Männlichkeit, der Masochismus zur Weiblichkeit eine intimere Beziehung unterhält ](フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


つまり受動性=女性性はマゾヒズムだ。


さらにーー、

不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年)

欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕

自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926)



以上からこうなるね、




つまり《抑圧された欲動 [verdrängte Trieb]》(『快原理の彼岸』第5章、1920年)

は「抑圧された女性性」であり「抑圧されたマゾヒズム」verdrängte Masochismusだな。


奇妙だねえ、フロイトってのは。ラカンも同じだけど。



不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)

享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il (Freud) l'a découvert ](Lacan, S23, 10 Février 1976)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976)




ひとりの女は不快である。

ひとりの女は異者である[une femme, … c'est une étrangeté].  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)

不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異物として識別される[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt ] (Lacan, S11, 17 Juin  1964)


ひとりの女は欲動のトラウマである。

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


すなわちひとりの女は抑圧されたマゾヒズムである。