2024年3月13日水曜日

抑圧文献①ーー抑圧された幼児期の出来事[verdrängten Kindererlebnisse]

 


さてフロイトにとって抑圧の第一段階の原抑圧ーー「抑圧文献簡易版」で示したように、この原抑圧をフロイトは中期の一時期以外は抑圧としか言わなくなるーーは幼児期の出来事の抑圧であり、これは最初期に既にそう言っている。


次の1896年の記述と最晩年の記述は等価である。

抑圧された幼児期の出来事[verdrängten Kindererlebnisse](フロイト『防衛 - 神経精神症再論』Weitere Bemerkungen über die Abwehr-Neuropsychosen, 1896)

抑圧はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段である[Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit; es sind primitive Abwehrmaßregeln des unreifen, schwachen Ichs.](フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第3章、1937 年)


この「抑圧された幼児期の出来事」が実は「原抑圧された幼児期の出来事」であり、抑圧された欲動の固着なのである。ーー《幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年)、《抑圧された固着[verdrängten Fixierungen]》 (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年)



さらに中期においてもフロイトは「原抑圧された(Urverdrängten)○○という表現は使っておらず、例えば次の「抑圧された不快」は文脈上、実際は「原抑圧された不快」である。



抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年)


というのは同時期のフロイトは次のように記しているから。

不快な性質をもった身体感覚[daß Körpersensationen unlustiger Art](フロイト『ナルシシズム入門』1914年)

不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年)


この身体感覚と内的欲動刺激は等価である。なぜなら、フロイトにとって欲動は身体的要求だから。

エスの要求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である。Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.(フロイト『精神分析概説』第2章1939年)


結局、原抑圧されたものとは、一言でいえば、欲動の身体であるーー《抑圧された欲動[verdrängte Trieb]》(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)。

他方、後期抑圧されたものとは願望の言語(語表象[Wortvorstellung])であるーー《抑圧された願望[verdrängte Wünsche]》(フロイト『夢解釈』第5章、1900年)、《抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen]》(フロイト『夢解釈』第7章、1900年)


この願望がラカン派の欲望である。


フロイト用語の願望をわれわれは欲望と翻訳する[Wunsch, qui est le terme freudien que nous traduisons par désir.](J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016)

欲望は言語に結びついている[le désir: il tient au langage](J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)



つまり「原抑圧された欲動の身体/後期抑圧された欲望の言語」である。先の原抑圧された欲動をフロイトは排除とも呼んだ。


排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)

原抑圧の名は排除と呼ばれる[le nom du refoulement primordial…s'appelle la forclusion](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008)


他方、後期抑圧された欲望の言語は、錯誤行為も含まれる。



神経症患者の夢は、彼の錯誤行為やそれに対する彼の自由連想と同様に、彼の症状の意味を発見し、彼のリビドーがどのように配分されているかを明らかにするのに役立つ。夢は願望充足の形で、どのような願望衝動が抑圧にさらされ、自我から引き離されたリビドーがどのような対象に執着するようになったかを教えてくれる。

Die Träume der Neurotiker dienen uns wie ihre Fehlleistungen und ihre freien Einfälle dazu, den Sinn der Symptome zu erraten und die Unterbringung der Libido aufzudecken. Sie zeigen uns in der Form der Wunscherfüllung, welche Wunschregungen der Verdrängung verfallen sind und an welche Objekte sich die dem Ich entzogene Libido gehängt hat. (フロイト『精神分析入門』第28講、1917年)


フロイトはこの錯誤行為=失策行為[Fehlleistungen]について、言い間違い[Versprechen]以外に、読み間違え「Verlesen]、聞き間違え[Verhören]、 忘却[Vergessen]等々を挙げている。(主にジョーク論及び『精神分析入門』第2講から4講)


フロイトの臨床は自由連想が主なので、彼は一時期、この後期抑圧を「正式な抑圧」として前面に出したが、実際は欲動の身体に関わる原抑圧が彼の思考の核なのである(身体的なものゆえに自由連想は機能しない)。


抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.]〔・・・〕

主に第一段階の原初に抑圧された欲動がこの後期抑圧に貢献する[…Beitrag von Seiten der primär verdrängten Triebe unterscheiden. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )第3章、1911年、摘要)



…………………


ところで晩年のフロイトは抑圧(原抑圧)について面白い言い方をしている。

抑圧は、水の圧力に対するダムのように振る舞う[Die Verdrängungen benehmen sich wie Dämme gegen den Andrang der Gewässer. ](フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第3章、1937 年)


この水の圧力に対するダムが崩壊するのが抑圧されたものの回帰である。

あるいはーー、

抑圧されたものは自我にとって異郷、内的異郷である[das Verdrängte ist aber für das Ich Ausland, inneres Ausland](フロイト『新精神分析入門』第31講、1933年)


この内的異郷[inneres Ausland]が異者身体[Fremdkörper]にほかならない。

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。〔・・・〕この異者身体は内界にある自我の異郷部分である[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen …das ichfremde Stück der Innenwelt ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


そしてこの異者身体は身体の出来事という意味でのトラウマでもある。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


つまりフロイトが《抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma]》(『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)というとき、抑圧された異者身体(エスの欲動)であると同時に、抑圧された身体の出来事を意味しているのである。

こうして第一次抑圧としての原抑圧がすべて欲動の身体にかかわることがハッキリした筈である。