2024年3月22日金曜日

超自我文献①ーーエディプス的超自我[Ödipales Über-Ich]と前エディプス的超自我[Präödipales Über-Ich]

 


フロイトは超自我概念を初めて提出した『自我とエス』で次のように記した。

自我内部の分化は、自我理想あるいは超自我と呼びうる[eine Differenzierung innerhalb des Ichs, die Ich-Ideal oder Über-Ich zu nennen ist](フロイト『自我とエス』第3章、1923年)


この自我理想は父の代理である。

自我理想は父の代理である[Ichideals …ist ihnen ein Vaterersatz.](フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、摘要、1921年)


したがってフロイトの超自我はエディプス的超自我[Ödipales Über-Ich]だと一般には見なされてきた。

エディプスコンプレクスの代理となる超自我[das Über-Ich, der Ersatz des Ödipuskomplexes](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)


だがその後、フロイトの記述には揺れ動きがある。父あるいは育ての親(父母)とあるのである。

父あるいは育ての親の権威の自我への取り入れは超自我の核である[Die ins Ich introjizierte Vater- oder Elternautorität bildet dort den Kern des Über-Ichs](フロイト『エディプスコンプレクスの崩壊』1924年)

超自我は外界の代理であると同時にエスの代理である。超自我は、エスのリビドー蠢動の最初の対象、つまり育ての親の自我への取り入れである[Dies Über-Ich ist nämlich ebensosehr der Vertreter des Es wie der Außenwelt. Es ist dadurch entstanden, daß die ersten Objekte der libidinösen Regungen des Es, das Elternpaar, ins Ich introjiziert wurden](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)

超自我への取り入れ[Introjektion ins Über-Ich]……幼児は、優位に立つ権威を同一化によって自分の中に取り入れる。 するとこの他者は、幼児の超自我になる[das Kind ...indem es diese unangreifbare Autorität durch Identifizierung in sich aufnimmt, die nun das Über-Ich wird ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第7章、1930年)


ーーフロイトは取り入れ[Introjektion]と同一化 [Identifizierung ]用語を使って超自我を語っている。さらに上の二番目の文には「エスのリビドー蠢動の最初の対象の取り入れ」ともある。この最初の対象は常識的に考えて幼児に滋養を与えて世話をする母であるだろう。



ここで同一化用語におけるフロイトの記述を見てみよう。

父との同一化と同時に、おそらくはそれ以前にも、幼児は、母にたいする依存型の本格的対象備給を向け始める。

Gleichzeitig mit dieser Identifizierung mit dem Vater, vielleicht sogar vorher, hat der Knabe begonnen, eine richtige Objektbesetzung der Mutter nach dem Anlehnungstypus vorzunehmen.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第7章「同一化」、1921年)


母に対する対象備給とあるが、これが事実上の原同一化である。

個人の原始的な口唇期の初めにおいて、対象備給と同一化は互いに区別されていなかった。Uranfänglich in der primitiven oralen Phase des Individuums sind Objektbesetzung und Identifizierung wohl nicht voneinander zu unterscheiden. (フロイト『自我とエス』第3章、1923年)


つまり、《前エディプス期の母との同一化[Die Mutteridentifizierung …die präödipale]》(フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『続精神分析入門講義』第33講、1933年)がある。


先に見たようにフロイトにおいて同一化によって自我に取り入れられた養育者が超自我である。とすれば、エディプス的超自我[Ödipales Über-Ich]以外に前エディプス的超自我[Präödipales Über-Ich]をフロイトは語っていることになる。



原超自我が母であるだろうことが最も鮮明に表現されているのは最晩年の『精神分析概説』においてである。

心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく想定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)


ーー高等動物にもある幼児の依存[kindlicher Abhängigkeit]は《母への依存性[Mutterabhängigkeit]》(フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)にほかならない。


これはセミネールⅤのラカンも指摘している。

母なる超自我は原超自我である[le surmoi maternel… est le surmoi primordial ]〔・・・〕母なる超自我に属する全ては、この母への依存の周りに表現される[c'est bien autour de ce quelque chose qui s'appelle dépendance que tout ce qui est du surmoi maternel s'articule](Lacan, S5, 02 Juillet 1958、摘要)


この前エディプス的母なる原超自我以外に《エディプス的超自我[surmoi œdipien]》(Lacan, S7, 29  Juin  1960)、つまり父なる超自我があるとするのが、フロイトを読み込んだラカンである。

エディプスなき神経症概念、それは母なる超自我と呼ばれる。Cette notion de la névrose sans Œdipe, … ce qu'on a appellé le surmoi maternel : 

…問いがある。父なる超自我の背後にこの母なる超自我がないだろうか? 神経症においての父なる超自我よりも、さらにいっそう要求し、さらにいっそう圧制的、さらにいっそう破壊的、さらにいっそう執着的な母なる超自我が。

on posait la question : est-ce qu'il n'y a pas, derrière le surmoi paternel, ce surmoi maternel encore plus exigeant, encore plus opprimant, encore plus ravageant, encore plus insistant, dans la névrose, que le surmoi paternel ?   

 (Lacan, S5, 15 Janvier 1958)


ラカンにとってこのエディプス的父なる超自我が事実上の父の名である。ーー《ラカンが、フロイトのエディプスの形式化から抽出した「父の名」[Le Nom-du-Père que Lacan avait extrait de sa formalisation de l'Œdipe freudien]》(ジャン=ルイ・ゴー Jean-Louis Gault, Hommes et femmes selon Lacan, 2019)


ラカン派用語では自我理想としてのエディプス的超自我あるいは父の名は、象徴界の言語の審級にある。

要するに自我理想は象徴界で終わる[l'Idéal du Moi, en somme, ça serait d'en finir avec le Symbolique](Lacan, S24, 08 Février 1977)

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)

父の名は象徴界にあり、現実界にはない[le Nom du père est dans le symbolique, il n'est pas dans le réel]( J.-A. MILLER, - Pièces détachées - 23/03/2005)


他方、前エディプス的母なる超自我は現実界の身体の審級にある。

私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。この対象aは現実界であり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a).   …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : ](Lacan, S13, 09 Février 1966)

母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).]  (Lacan, S10, 15 Mai 1963 )


そして母なる対象aの穴は身体である。

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)

母なる対象はいくつかの顔がある。まずは「要求の大他者」である。だがまた「身体の大他者」、「原享楽の大他者」である[L'objet maternel a plusieurs faces : c'est l'Autre de la demande, mais c'est aussi l'Autre du corps…, l'Autre de la jouissance primaire.](Colette Soler , LE DÉSIR, PAS SANS LA JOUISSANCE Auteur :30 novembre 2017)



以上、次のようになる。