2024年3月25日月曜日

超自我文献⑥ーーマゾヒズムへの固着[Fixierung an der Masochismus]


 前回の超自我文献⑤で、超自我をめぐる備忘はいったんお終いにしようと思ったが、もう一つ重要事項を思い出したので、ここに付加的にメモする。

前回示したのは次の表現は等置できるということだった。


ここではこの三つにマゾヒズムへの固着[Fixierung an der Masochismus]が付加できることを示すが、いくらか廻り道して記述する。

……………


リビドーは欲動エネルギーと完全に一致する[Libido mit Triebenergie überhaupt zusammenfallen zu lassen]フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第6章、1930年)


フロイトにおいてリビドーの固着、つまり欲動の固着は事実上、マゾヒズム的固着である。

フロイトは1905年の『性理論』の時点で既に次のように記している。


幼児期のリビドーの固着[infantilen Fixierung der Libido]( フロイト『性理論三篇』1905年)

幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年)

無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido  …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年)


しかも後年のフロイトはリアルな欲動自体がマゾヒズムだとしている。

欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)


さらに、超自我の設置も欲動のマゾヒズム的固着をもたらす。

超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)

マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている[Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat.] (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


これが、ラカンの次の二文の意味にほかならない。


超自我はマゾヒズムの原因である[le surmoi est la cause du masochisme](Lacan, S10, l6  janvier  1963)

享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)


すなわち超自我はマゾヒズムの原因とは超自我は現実界の享楽の原因、つまりリアルな欲動の原因である。



……………………


マゾヒズムとは何よりもまず受動性、あるいは受動的出来事に関わる。

マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)


上に、女性的受動的[weiblich passiv]とあるのは畳語法であり、フロイトにとって女性的とは受動的であり、この女性性は生物学的女性とは異なる。

男性的と女性的とは、あるときは能動性と受動性の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている。これら三つのつの意味のうち最初の意味が、本質的なものであり、精神分析において最も有用なものである。Man gebraucht männlich und weiblich bald im Sinne von Aktivität und Passivität, bald im biologischen und dann auch im soziologischen Sinne. Die erste dieser drei Bedeutungen ist die wesentliche und die in der Psychoanalyse zumeist verwertbare.(フロイト『性理論三篇』第三篇、1905年、1915年註)


そして初期幼児期のトラウマも受動的な身体の出来事である。

トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる。

ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an〔・・・〕トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我の傷である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs ] (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


さらに原幼児期の不快な出来事は受動性つまりマゾヒズム性であり、母のもとでの出来事である。

原初の不快な出来事は受動性である[primäres Unlusterlebnis also passiver Natur voraus.] (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ,  Brief vom 1. 1. 1896)

母のもとにいる幼児の最初の出来事は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動性である[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)



この不快な出来事自体、トラウマあるいはリビドーに関わる。

不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma]。(フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

不安とリビドーには密接な関係がある[ergab sich der Anschein einer besonders innigen Beziehung von Angst und Libido](フロイト『制止、症状、不安』第11章A 、1926年)


事実上、不快=不安=トラウマ=リビドーである。


以上、マゾヒズムは次の用語群と結びついている。



つまり、


トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]

母への固着[Fixierung an die Mutter]

超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]


とは、マゾヒズムへの固着[Fixierung an der Masochismus]である。



フロイトは幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]》. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)とは、幼児期の母なる超自我へのマゾヒズム的欲動の固着の反復強迫を発見したということである。