少し退屈してきたので(?)、超自我をめぐる記述は今回で当面、打ち止めにする。あくまで「当面」であり、そのうち補遺があるかもしれないが。
簡単に振り返ってみる。
エディプス的超自我[Ödipales Über-Ich]と前エディプス的超自我[Präödipales Über-Ich] |
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超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich] |
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エロス的固着[erotischen Fixierung]とトラウマ的固着[traumatischen Fixierung] |
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超自我に見捨てられる死の不安[Todesangst] |
超自我文献①にて、フロイトにはエディプス的超自我[Ödipales Über-Ich]と前エディプス的超自我[Präödipales Über-Ich]があり、後者の超自我は母だということを示した。 |
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超自我文献②では、フロイトの記述には直接的にはないにしろ、超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]と捉えうる表現があることを示した。 |
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超自我文献③では、フロイトのエロス的固着[erotischen Fixierung の主要な内実は、トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]ーー愛の喪失に対するトラウマ的不安への固着[Fixierung an die traumatischen Angst vor dem Liebesverlust]ーーであり、これが欲動の固着[Fixierung der Triebe]あるいはリビドーの固着[Fixierung der libido]の核心であるだろうことを示した。 |
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超自我文献④では、超自我文献①の別の相からの確認とラカンの現実界の内実は次の用語群に代表されることを示した。 要するにフロイト・ラカンにおいて原超自我は母であり、トラウマであり、固着である。 前エディプス期の超自我への固着とは母への固着であり、つまりはトラウマへの固着となる。
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幼児期に起こる身体の出来事はほとんど常に身体を世話する養育者としての母に関わるに違いない。つまりトラウマへの固着とは母への固着であり、これが超自我への固着ーーより厳密には超自我への欲動の固着[Fixierung der Triebe an das Über-Ich]ーーである。(《幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]》( フロイト『性理論三篇』1905年))
この身体の出来事への固着という不変の個性刻印[unwandelbare Charakterzüge]は母なる超自我の刻印なのである。
おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) |
以上、少なくとも前エディプス期における次の三つの表現は基本的に等置しうる。 確認のために、これに関わる四つの文を簡略化して抽出しておこう。 |
母は幼児にとって過酷なトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
前エディプス的母への拘束[Mutterbindung]はこよなく重要であり永続的な固着[nachhaltige Fixierungen]を置き残す[in dessen präödipale Mutterbindung verhüllt, die doch so wichtig ist und so nachhaltige Fixierungen hinterläßt.](フロイト『新精神分析入門講義』第33講、 1933年) |
超自我への拘束[Bindung an das Über-Ich](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』8章、1930年) |
欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に、対象への欲動の拘束[Bindung des Triebes ]がある場合、それを固着[Fixierung]と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。 Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. (…) Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト『欲動とその運命』1915年) |