2021年2月3日水曜日

詩の基底にあるもの


詩は身体の共鳴が表現される。 la poésie, la résonance du corps s'exprime (Lacan, S24, 19 Avril 1977)

詩は意味の効果だけでなく、穴の効果である。la poésie qui est effet de sens, mais aussi bien effet de trou.  (Lacan, S24, 17 Mai 1977)


 ➡︎骨象と固着、あるいは境界表象と残滓

享楽に固有の空胞、穴の配置は、欲動における境界構造と私が呼ぶものにある。configuration de vacuole, de trou propre à la jouissance…à ce que j'appelle dans la pulsion une structure de bord.   (Lacan, S16, 12 Mars 1969)



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■中井久夫「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底


精神科医として、私は精神分裂病における言語危機、特に最初期の言語意識の危機に多少立ち会ってきた。それが詩を生み出す生理・心理的状態と同一であるというつもりはないが、多くの共通点がある。人間の脳がとりうる様態は多様ではあるが、ある幅の中に収まり、その幅は予想よりも狭いものであって、それが人間同士の相互理解を可能にしていると思われるが、中でも言語に関与し、言語を用いる意識は、比較的新しく登場しただけあって、自由度はそれほど大きいものではないと私は思う。


言語危機としての両者の共通点は、言語が単なる意味の担い手でなくなっているということである。語の意味ひとつを取り上げてみても、その辺縁的な意味、個人的記憶と結びついた意味、状況を離れては理解しにくい意味、語が喚起する表象の群れとさらにそれらが喚起する意味、ふだんは通用の意味の背後に収まり返っている、そういったものが雲のように語を取り囲む。


この変化が、語を単なる意味の運搬体でなくする要因であろう。語の物質的側面が尖鋭に意識される。音調が無視できない要素となる。発語における口腔あるいは喉頭の感覚あるいはその記憶あるいはその表象が喚起される。舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もある。


これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。


さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。


このような言語の例外状態は、語の「徴候」的あるいは「余韻」的な面を意識の前面に出し、ついに語は自らの徴候性あるいは余韻性によってほとんど覆われるに至る。実際には、意味の連想的喚起も、表象の連想的喚起も、感覚の連想的喚起も、空間的・同時的ではなく、現在に遅れあるいは先立つものとして現れる。それらの連想が語より遅れて出現することはもとより少なくないが、それだけとするのは余りに言語を図式化したものである。連想はしばしば言語に先行する。


当然、発語というものは、同時には一つの語しかできない。文字言語でも同じである。それは、感覚から意味が一体となった、さだかならぬ雲のようなものから競争に勝ち抜いて、明確な言語意識の座を当面獲得したものである。


詩作者と、精神分裂病患者の、特に最初期との言語意識は、以上の点で共通すると私は考える。


私がかつて「詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である」と述べた(『現代ギリシャ詩選』みすず書房、一九八五年、序文)のは、この意味においてである。この場合、「徴候」の中に非図式的、非道具的なもの、たとえば「余韻」を含めていた。その後、私はこの辺りの事情を多少洗練させようとしたが、私の哲学的思考の射程がどうしても伸びないために徹底させられずに終わっている(「世界における索引と徴候」『ヘルメス』 26号、岩波書店、1990年、「世界における索引と徴候 ――再考」同27 号、1990年)。「索引」とは「余韻」を含んでいるが、それだけではない。


その基底には、意識の過剰覚醒が共通点としてある。同時に、それは古型の言語意識への回帰がある。どうして同時にそうなのであろうか。過剰覚醒は、通用言語の持つ覆いを取り除いて、その基盤を露出すると私は考える。


言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。言語の「発見論的」 heuristicな使用が改めて起こる。これは通常十五歳から十八歳ぐらいに発現する。「妄想を生み出す能力」の発生と同時である。



実際、妄想は未曾有の事態に対する言語意識の発見論的使用がなければ成立しない。幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない。しかし、妄想は単に言語の発見論的使用ではない。妄想が妄想として認識されるのは決してその内容ではなく、問題の陳腐な解決、特にその解決に権力欲がまつわりついた場合であり、さらに発語内容のみならず形式のほとんど一字一句に至るまでの反復によって「妄想」と認識される(初期分裂病の「妄想的」発語は妄想ではない)。妄想を、通常人が「奇想天外」と余裕を以て驚いてみせるのは、実はその意外性、未曾有性でなく、その陳腐さを高みから眺められるからである。もし陳腐でなければ(いやいささか陳腐であっても)、啓示として跪拝するのは日常見られることではないか(ここで分裂病が一次的には妄想病ではないかと私が考えていることを言っておく必要があるだろう)。


むろん一方は病いであり、一方は病いではないといちおうは言うことができる。しかし、分裂病の場合でも、その最初期、病いといえるか否かの「未病」の時期に言語の徴候的側面への過敏が顕著であり、また一般には、この過敏はその時期の徴候一般に対する過敏の一部として出現する。逆に、詩人の場合も、何の危機もなくて徴候性への敏感さが現れるかどうか。


散文を書く時は、たとえ難渋するにしても、それは主題との格闘であって、言語そのものに対しては「大地の感覚」を維持している。散文においても言語は「発見」の道具でありうるが、言語を「発見論」的にしようしてはいない。「発見論」的使用とは、発見のために闇を探ることであり、それは決して何かを証明することはなく、常に「悪魔と深い海との間に落ちる」危うさがある。詩とは言語の「発見論的」使用であり、それゆえの徴候あるいは余韻、索引への敏感性があるということができると私は考える。詩を書き始める年齢は「妄想能力」の成立の年齢とほぼ一致する。


かりに、貴重な薄氷感を失えば、言語の発見論的使用は「妄想」に堕する危険がある。実際、妄想は全面的危機に際して一つの解釈を示して救い手として現れるものであり、患者が妄想にその内容にふさわしい恐怖を示さないかに見えることは、何よりもまず、それに先行する事態がはるかにおそるべきものであって、それに比すれば何ほどのことはないからである。実際、妄想の反復性と一義性とは、内容の恐怖性を補って余りある安定を与える。ここに妄想の抜けにくさがある。それは不要になった時に自然に消滅する他はないものである。しかし、安んじて共存できるものでもない。また問題は、新しい体験が入ってこなくなることであり、それゆえに妄想を持つ人の「心が痩せる」。詩と妄想とは最終的には相互排除的であるが、出発点においては、まったく別個のものではないと私は考える。むろん、発見論的使用と無縁な韻文はありうる。それは韻文であるが「詩」との相違は、数学の論文とパズルとの差に近くはないか。もっとも、詩作のある段階においてはパズル的側面、言語ゲーム的側面が前に出ることもある。それが詩を完成させる救いになることもある。





私がここでポール・ヴァレリーに触れるのは、ただ私が無謀にも彼の詩の若干を訳したことがあるというだけではない(『ヘルメス』 40号、同47 号)。むろん、翻訳は、出来ばえはどうであっても通常よりも徹底的な読みであり、その過程で気づいた襞もある。しかし、それよりも、詩作の生理学を自ら述べているのがなかんづく彼だからである。ここでは紙幅の関係もあり、主に「太公と若きパルク」によって述べよう。


彼は一八九二年に詩作を廃し、一九一二年に四十一歳にして友人の促しによって詩に回帰する。彼は、「自分ではわからない青春への回帰によって二十年を隔てて詩に感興を覚えるようになった」と述べている。外的原因も無視できないが、彼は「長周期の記憶あるいは共鳴があって、それがにわかに己の性癖、力、遠い過去の希望も返してくれるのではないか」と述べている。これについては人生の入口および出口近くに詩作のピークを持つ詩人が少なくないことを付言しておこう。さしあたりT・S・エリオットあるいはリルケが念頭にある。


最初には、ことばの響き、その「音楽」への敏感性を自覚し、さらにそれを味到しようと努力するようになる。「語を耳にすると私の中で自分でもわからない和音的相互依存関係や皮一枚下まできている律動の、まだ声にならない存在〔もの〕が揺らいだ」。この「うたう状態」の始まりは「演奏前のオーケストラの楽器の低い呟きのような甘美」であった。彼は自分の中に詩人を認め、それに馴染み、成り行きに任せる。ここで彼が「当時は難問に取り組むことにとうの昔からうんざりしていた」と述べているのは事実であろう。彼が書き続けてきた「カイエ」による探求は「地獄のような悪循環」になっていた。彼の中に再生した詩への傾斜は、救いとして、さらに青春の再生として感受されている。


これは、彼を「若きパルク」制作に誘い込む陥穽であった。しかし、彼は詩に回帰してもこの地獄から逃避できなかった。「新しい季節の初花の下には抽象的問題と謎とが群集していることをすぐに認めた。見たいと思うところには必ずあった。詩にも」。「粗書きの幸福の後、かいま見た将来の美、内面の声のこの神のような囁きの後、まだ指紋のついていない断片がすでに生れているというのに、そこから苦役にむかって、このざわめきを文節し、断片を繋ぎ合わせ、全知性に問いかけ ……そして待たねばならないのであった」。「最初の一句はミューズから与えられる。後は努力である」と彼は別のところで言っている。ある日、「すでにある部分の構築と推敲とに疲れて」絶望的嫌悪感に陥り、ある部分の断念を自分に言い聞かせて、雑踏の中を彷徨する。一九一三年十二月のことである。


神秘家は、召命の後、ある時期には aridity(不毛)に耐えなければならないと聞く。このことは詩人にもある。


彼はあるカフェに入り、散らばっている新聞に、あるドイツの大公が、愛人であった女優の演技と台詞を具体的に細部にわたって記してあるのに遭遇する。それは「まさにしかるべき瞬間に到来して、もっとも予想外の経路によって必要であった救いをもたらした」。これはサン・ピエトロ広場のオベリスクが建立中途で進退谷〔きわ〕まった時、厳禁されている沈黙を破った「綱を湿せ」の一声が綱の強度を増して破局を救ったのに例えられている。劇はシラーの「メアリ・スチュアート」の処刑寸前の一節を音の高さから沈黙まで記述したものであるが、どうして彼を救ったかは自分ではわからないという。


この時までに彼が現在刊行されている「若きパルク」の草稿のどの段階に達していたかは、それらの多く、特に初期のものに日付がない以上、確定できないが、この特権的な救いによって、「パレット」と「断片」にすっと筋が一本通ったのであろう。棋士が勝負を進める時、あらゆる可能性を読むうちはまだ駄目で、他の可能性がおのずと排除されてすっと一筋の道が見えるようになる必要があるというが、それに似た転換である。


パレットに絵の具を並べるようにさまざまの語や観念とその相関とが乱舞するのは、分裂病の言語危機においても見られるところである。分裂病が創造性にもっとも近づく一時期である。もし、そのまま推移して、パレットが自動的に増殖し、ついには認知が追いつけないほど加速され、また、語の「自由基」ともいうべき未成の観念の犇めきが意識されるようになれば、病いのほうに近づく。精神は集中に過ぎれば不毛になり(それゆえカイエの「地獄」、散乱にすぎれば解体の危機に近づく(「パレット」の時期)からである。あらゆる可能性をきわめようとしつつ、精神の統一を強化しようとする矛盾した自己激励は、時に創造的であるが、しばしば袋小路に自らを追い込む。



この瞬間によって「若きパルク」に坦々とした道が開けたわけではない。一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。


第一部といわれる入水への暗示に終わる三二四行の後、下降の余波はありつつも再生と睡眠へ覚醒へと移行する現在の形は一九一六年秋の第五項からであり、一九一七年初頭にはほぼ完成する。この間にあるのは、パリに迫っていたドイツ軍が撃退されたヴェルダン戦である。彼が同一化している文明の危機が彼の中の何かを変えた。さらにこの時期までの彼は、別の詩となる予定のものも「若きパルク」に投じている。あたかも備品さえ缶に投じて走る絶望的な船の観がある。ところがこの時を契機に「パルク」の一部、時には一句を本歌として「魅惑」の諸詩篇が生まれてゆく。収斂から発散への転換が行われたということができる。


この変化と並んで、ずっと題が決まらなかったこの詩に「若きパルク」LA JEUNE PARQUE の名が与えられる。それは私には PAUL VALÉRY のアナグラムに感じられる。なお、本歌の見つからない「魅惑」詩篇に「失われた酒」LE VIN PERDU があるが、これは VERDUN のアナグラムではないだろうか。内容も「失われた血」を歌ったものである(「精神の危機」に同じ比喩が使用されている)。両者相まって一九一六年夏が彼にとってもヴェルダンであったことを示唆するように私には思われる。(中井久夫「詩の基底にあるもの」初出「現代詩手帳」第37巻5号、1994年5月『家族の深淵』所収)



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外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。


二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩として結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。

しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。


他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)



排除のあるところには、現実界の応答がある。Là où il y a forclusion, il y a réponse du réel   (J.-A. Miller, Ce qui fait insigne,  3 JUIN 1987)

私が排除[forclusion]について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、〔・・・〕象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから。


Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,[…]tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. (ラカン、S16, 14 Mai 1969)





「私なら失われた時など求めはしない。そういうものはむしろ退けるくらいだ」とプルースト追悼の際にポール・ヴァレリーは書いた。彼が「知性の巨人」で済まされなくなった今、彼はむしろ過剰な記憶に苛まれた人 hypermnesiqueではなかったかと思われる。「初めから失われていた恋人」ともいうべき二十八歳年長のロヴィラ夫人への生涯の執着はほとんど時間が停まっているかのようである。サマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」といって九十歳になんなんとして自殺した。忘却を人は恐れるが忘却できないことはいっそう苛酷である。プルーストも、母の死後の時間は停止していたに近い。最後はカフェ・オ・レによって辛うじて生存し、もっぱら月光のもとでのみ外出し、ひたすら執筆に没入した。記述を読むと鬼気がせまってくる。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)




現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  (Lacan, S23, 13 Avril 1976)

ラカンの現実界は、フロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である。ce réel de Lacan […], c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours.  (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)


享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される。[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)

現実界の享楽 Jouissance du réel …享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. (ラカン、S23, 10 Février 1976)

われわれはトラウマ化された享楽を扱っている。Nous avons affaire à une jouissance traumatisée. (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20 mai 2009)