享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)
|
死の欲動とは何よりもまずトラウマの回帰なのである。
ところでジャック=アラン・ミレールは抑圧されたものの回帰は享楽の回帰と相同的だと言っている。
|
「抑圧されたものの回帰」のスキーマは、症状の形態における「享楽の回帰」と相同的である。[C'est symétrique du schéma du retour du refoulé, …symétriquement il y a retour de jouissance, sous la forme du symptôme.](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97)
|
ここでの抑圧とは厳密には原抑圧であり、《症状の形態における「享楽の回帰」》における症状とは固着のことである。
|
抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕
抑圧されたものの回帰は固着点から始まる[Wiederkehr des Verdrängten…erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察(症例シュレーバー)』1911年、摘要)
|
ラカン語彙ならこの固着は現実界の症状(トラウマの症状)である。
|
症状は現実界について書かれることを止めない[le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel ](ラカン『三人目の女 La Troisième』1974)
|
現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire ](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)
|
この「書かれることを止めない」とは固着を通した無意識のエスの反復強迫「Wiederholungszwang des unbewußten Es]である。
|
フロイトにとって症状は反復強迫[compulsion de répétition]に結びついたこの「止めないもの qui ne cesse pas」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している、症状は固着を意味し、固着する契機は無意識のエスの反復強迫に見出されると。[le symptôme implique une fixation et que le facteur de cette fixation est à trouver dans la compulsion de répétition du ça inconscient. ](J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique - 26/2/97)
|
フロイトにおいて固着とはトラウマ的固着[traumatischen Fixierung]、トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]等々の表現があるが、さらには原固着[Urfixierung]を原トラウマ[Urtrauma]と等置しており、固着とは事実上、トラウマであり、ラカンの享楽である。
|
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours.] (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)
|
享楽は身体の出来事である[la jouissance est un événement de corps. 身体の出来事の価値は、トラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。この身体の出来事は固着の対象である[ La valeur d'événement de corps est […] de l'ordre du traumatisme , du choc, de la contingence, du pur hasard,[…] elle est l'objet d'une fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
|
以上、原抑圧されたものの回帰は、トラウマの回帰、固着点への回帰であり、これが無意識のエスの反復強迫、つまり上に見た「反復強迫=死の欲動」となる。
現実界のトラウマ(固着)は、常に同じ場処に回帰する。
|
私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。Je considère que […] le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976)
|
現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »] (Lacan, S16, 05 Mars 1969 )
|
フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える。ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
|
なお原抑圧されたものの回帰は「排除されたものの回帰」Wiederkehr des Verworfenenと言い換えてもよい。
原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe](『症例シュレーバー』1911年)
|
排除された欲動 [verworfenen Trieb](『快原理の彼岸』第4章、1920年)
|
……………
※付記
フロイトは一時的には抑圧と排除を区別した。
|
抑圧は排除とは別の何ものかである[Eine Verdrängung ist etwas anderes als eine Verwerfung. DER WOLF MAN ](フロイト『ある幼児期神経症の病歴より』(症例狼男)1918年)
|
だが1926年に次のように記してからは原抑圧という語を使わなくなっている。
|
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。[daß die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)
|
例えば1915 年には異者をめぐって原抑圧と言った。
|
固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)
|
だが1926年には同じ異者をめぐって抑圧と言っている。
|
自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである[das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. ]〔・・・〕
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異者(異者身体 Fremdkörper)の症状と呼んでいる。[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)
|
この異者とはトラウマのことである。
|
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者(異者身体 [Fremdkörper] )のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
|
(原)抑圧されたものの回帰(排除されたものの回帰[Wiederkehr des Verworfenen])は常に異者=トラウマにかかわる。
|
抑圧されたものは異者身体[Fremdkörper]として分離されている[Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper] 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う[Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben]。〔・・・〕
自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、原無意識としてエスのなかに置き残されたままである[das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)
|
同じ『モーセ』でこの異者をトラウマと言い換えている。
|
抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは叙述する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年)
|
この文は1917年の次の文とともに読むことができる。
|
神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる。Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1917年)
|
ここでの神経症は現勢神経症のことである。
|
おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す[die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, ]〔・・・〕
精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する[daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
|
現勢神経症/精神神経症は、ラカン語彙で言えば、現実界の症状/象徴界の症状である。
|
フロイトにおいて欲動自体(ラカンの現実界の享楽)がトラウマあるいはトラウマ的固着にかかわる。
|
すべての神経症的障害の原因[Die Ätiologie aller neurotischen Störungen]は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動[widerspenstige Triebe]が自我による飼い馴らし[Bändigung]に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期のトラウマ体験[frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumen]を、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。
概してそれは二つの契機、素因的なものと偶然的なもの[des konstitutionellen und des akzidentellen]との結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかにトラウマは固着を生じやすく[Trauma zur Fixierung führen]、精神発達の障害を後に残すものであるし、トラウマ的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態においてもその障害が現われる可能性は増大する[je stärker das Trauma, desto sicherer wird es seine Schädigung auch unter normalen Triebverhältnissen äußern.](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章, 1937年)
|
この文のエキスがラカンの次の文である。穴はトラウマ、原抑圧は固着であることを思い出しつつ読もう。
|
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧と関係がある。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.[…]La relation de cet Urverdrängt(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
|
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même. (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
|
|
|