2022年4月18日月曜日

母はトラウマである[Mutter ist ein Trauma]

 

◼️母はトラウマである[Mutter ist ein Trauma]


人はみな幼児期に母の下で受動的立場に置かれる。


母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)


フロイトはこの受動性をトラウマと呼んだ。


トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


したがってフロイトにおいて母はトラウマ[Mutter ist ein Trauma]である。


フロイトはこのトラウマ的受動性を最初期には「不快」とした。


原初の不快の経験は受動性である[primäres Unlusterlebnis …passiver Natur] (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ, Dezember 1895)


後には不安とした。


不快(不安)[ Unlust-(Angst).](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


ここでラカンの思考を見てみよう。


ラカンはフロイトのモノを現実界とし、現実界はトラウマとしている。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)


「モノは現実界のトラウマ」とは、究極的には「母はトラウマ」La mère est un traumatismeという意味である。


母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)


この母なるモノは異者でもある。


モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)


異者とはフロイトの定義においてトラウマである。


トラウマないしはトラウマの記憶は、異者(異者身体[Fremdkörper] )のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


したがって母なるモノはトラウマであり、上に示した「母はトラウマ」と合致する。




◼️トラウマへの固着の原像は母への固着である


フロイトにおけるトラウマとは幼児期における身体の出来事という意味である。


トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。


この固着は標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939 年)


上にあるようにこの身体の出来事としてのトラウマは固着して、不変の個性刻印となり、反復強迫する。


このトラウマへの固着による反復強迫はトラウマの回帰という意味でもある。


結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


上に示したように、原トラウマ的不安状況とは母(あるいは乳幼児の最初の世話役)に関して起こる。


(初期幼児期における)母の喪失(母を見失う)というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objektsへの強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)


したがってトラウマへの固着とは母への固着がその原点にある。


おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)


母=モノ=異者=トラウマであり、母への固着[Fixierung an die Mutter」とはモノへの固着、異者への固着とも言い換えうる。


もっとも母への固着がトラウマへの固着のすべてではなく、後の生においても人は種々の固着が生じる。

(性的生における)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年)


とはいえフロイトの思考における最も原点にある固着は「出産外傷=母への原固着」である。


オットー・ランクは『出産外傷[Das Trauma der Geburt]』にて、出生という行為は、一般に、母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなうと仮定した。これが原トラウマ[Urtrauma]である。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)

出産過程は最初の危険状況であって、それから生ずる経済論的動揺は、不安反応の原像になる。Der Geburtsvorgang ist die erste Gefahrsituation, der von ihm produzierte ökonomische Aufruhr wird das Vorbild der Angstreaktion(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


オットー・ランクはこの原トラウマとしての母への原固着を女性器への固着とした。


出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている[Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde](オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年)





◼️サントームは母への固着の名


ラカンの現実界の症状であるサントームは、ジャック=アラン・ミレールによってモノの名と定義されている。


ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens]。ラカンはこのモノをサントームと呼んだのである。サントームはエスの形象である[ce qu'il appelle le sinthome, c'est une figure du ça ] (J.-A.MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 4 mars 2009)


モノとは上にも示したように母である。《母はモノの場に来ると言うことが出来る[on peut dire la mère vient à la place de das Ding]》 (J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 23/03/99)


したがって「サントームは母の名」である。

より厳密に言えば、サントームは母へのトラウマ的固着の名である。


サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である[Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)


このミレール文は、「サントームはトラウマであり、トラウマの反復である」と言い換えうるーー《ラカンの現実界は、フロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。ce réel de Lacan […], c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique.》  (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)


そしてサントームは固着である。


サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要

われわれは言うことができる、サントームは固着の反復だと。サントームは反復プラス固着である。[On peut dire que le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)



フロイトは出産外傷をめぐって原固着[Urfixierung]=原トラウマ[Urtrauma]としているのを上に見た。したがって出産トラウマには直接には関係がない固着もトラウマとして扱いうる。つまり固着の反復とは、トラウマの反復である。