2023年8月16日水曜日

抑圧された欲動文献

 


前回の「抑圧された欲動の回帰[Wiederkehr der verdrängten Triebe]」にて掲げた、抑圧された欲動[Der verdrängte Trieb]についてここではもう少し詳しく見る。



◼️ 抑圧された欲動は束縛を排して休みなく前へと突き進む

抑圧された欲動は、一次的な満足体験の反復を本質とする満足達成の努力をけっして放棄しない。あらゆる代理形成と反動形成と昇華は、欲動の止むことなき緊張を除くには不充分であり、見出された満足快感と求められたそれとの相違から、あらたな状況にとどまっているわけにゆかず、詩人の言葉にあるとおり、「束縛を排して休みなく前へと突き進む」(メフィストフェレスーー『ファウスト』第一部)のを余儀なくする動因が生ずる。

Der verdrängte Trieb gibt es nie auf, nach seiner vollen Befriedigung zu streben, die in der Wiederholung eines primären Befriedigungserlebnisses bestünde; alle Ersatz-, Reaktionsbildungen und Sublimierungen sind ungenügend, um seine anhaltende Spannung aufzuheben, und aus der Differenz zwischen der gefundenen und der geforderten Befriedigungslust ergibt sich das treibende Moment, welches bei keiner der hergestellten Situationen zu verharren gestattet, sondern nach des Dichters Worten »ungebändigt immer vorwärts dringt« (Mephisto im Faust, I, Studierzimmer)

(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)



これも同様に前回示したが、欲動ーーラカンの享楽ーーは主に次の用語群と等価であることも確認の意味で再掲しておく。




以上は前段であり、以下から本題である。



◼️心的装置は不快な欲動に不寛容

欲動過程による不快[die Unlust, die durch den Triebvorgang](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)

心的装置は不快に不寛容である 。 あらゆる犠牲を払っても不快を避けようとする。現実の知覚 が不快をもたらすのなら、その知覚ーーすなわち真理 --は、犠牲にされなければならない。

Der psychische Apparat verträgt die Unlust nicht, er muß sich ihrer um jeden Preis erwehren, und wenn die Wahrnehmung der Realität Unlust bringt, muß sie – die Wahrheit also – geopfert werden. 


外的危険に直面した場合、かなりの時間のあいだ危険状況からの逃避と回避によって切り抜けうる。そしてついには現実の能動的改変によって危険を取り除くまでの力を獲得することもある。

Gegen die äußere Gefahr kann man sich eine ganze Weile durch Flucht und Vermeidung der Gefahrsituation helfen, bis man später einmal stark genug wird, um die Drohung durch aktive Veränderung der Realität aufzuheben. 

しかし自己から逃避することはできない。内的危険にたいしては、逃避は何の役にも立たない。それゆえに自我の防衛機制は、内的知覚を改竄する。したがって我々は、エスについての、欠陥だらけで歪曲された知識を送り届けられるだけである。

Aber vor sich selbst kann man nicht fliehen, gegen die innere Gefahr hilft keine Flucht, und darum sind die Abwehrmechanismen des Ichs dazu verurteilt, die innere Wahrnehmung zu verfälschen und uns nur eine mangelhafte und entstellte Kenntnis unseres Es zu ermöglichen. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第5章、1937年)



◼️抑圧[Verdrängung]=防衛[Abwehr]=逃避[Flucht]


上の『終りある分析と終りなき分析』第5章の文の三点に注釈を加える。


①まずエスとあるが欲動のことである。

エスの欲求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)



②自我の防衛機制[Abwehrmechanismen des Ichs]とあるが、自我の抑圧機制を意味する。

私は(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)防衛過程[Abwehrvorganges]概念のかわりに、後年、抑圧[Verdrängung]概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの防衛[Abwehr]という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。

Ich meine den des Abwehrvorganges [Fußnote]Siehe: ›Die Abwehr-Neuropsychosen«.. Ich ersetzte ihn in der Folge durch den der Verdrängung, das Verhältnis zwischen beiden blieb aber unbestimmt. Ich meine nun, es bringt einen sicheren Vorteil, auf den alten Begriff der Abwehr zurückzugreifen, (フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926 年)



③自我の防衛機制と並置する形で逃避[Flucht]ともあったが、これ自体、抑圧のことである。

たとえば抑圧過程によって、自我が危険な欲動蠢動を防ぐことできたとすると、エスのこの部分は、実際に制止され害されるが、同時にエスにある程度の独立性があたえられ、自我は本来の主権をある程度放棄する。

Wenn es dem Ich gelungen ist, sich einer gefährlichen Triebregung zu erwehren, z. B. durch den Vorgang der Verdrängung, so hat es diesen Teil des Es zwar gehemmt und geschädigt, aber ihm gleichzeitig auch ein Stück Unabhängigkeit gegeben und auf ein Stück seiner eigenen Souveränität verzichtet.



これは抑圧の本質のためであって、抑圧は、根本的には逃避の試み[Fluchtversuch]である。抑圧されたものは、自我という大きな組織から「法外に」置かれ、排除されて、無意識の世界を支配する法則にのみ支配される。危険状況が変わると、自我は、抑圧されていたものと同じ新たな欲動蠢動にたいして、防衛の動機をもたなくなり、したがって自我縮減[Icheinschränkung]という結果がはっきりしてくる。

Das folgt aus der Natur der Verdrängung, die im Grunde ein Fluchtversuch ist. Das Verdrängte ist nun »vogelfrei«, ausgeschlossen aus der großen Organisation des Ichs, nur den Gesetzen unterworfen, die im Bereich des Unbewußten herrschen. Ändert sich nun die Gefahrsituation, so daß das Ich kein Motiv zur Abwehr einer neuerlichen, der verdrängten analogen Triebregung hat, so werden die Folgen der Icheinschränkung manifest.

この新たな欲動過程は自動反復[Automatismus]をたどり、ーー私はこれを反復強迫と呼ぶの好むーーちょうど克服した危険状況がまだあるかのように、以前に抑圧されたものと同じ道をあゆむのである。したがって抑圧においての固着の契機は、無意識のエスの反復強迫であり[Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es]、このエスはふつうは自由にうごける自我のはたらきによって無効にされているのである。

Der neuerliche Triebablauf vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –, er wandelt dieselben Wege wie der früher verdrängte, als ob die überwundene Gefahrsituation noch bestünde. Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. (フロイト『制止、症状、不安』10章、1926年)


②と③により、抑圧[Verdrängung]=防衛[Abwehr]=逃避[Flucht]となる。すなわち、抑圧されたものの回帰は、防衛されたものの回帰、あるいは逃避されたものの回帰と言い換えうる。




◼️抑圧された欲動と無意識のエスの反復強迫


次に直前に引用した『制止、症状、不安』10章の文をもう少し詳しく見る。

引用冒頭に、《抑圧過程[Vorgang der Verdrängung]によって、自我が危険な欲動蠢動 [gefährlichen Triebregung] を防ぐことできたとすると、エスのこの部分は、実際に制止され害されるが、同時にエスにある程度の独立性があたえられ、自我は本来の主権をある程度放棄する》とあったが、これが最初に掲げた『快原理の彼岸』の《抑圧された欲動は束縛を排して休みなく前へと突き進む》を意味する。


さらに《抑圧においての固着が与える契機は、無意識のエスの反復強迫[Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es]》とあるが、つまり抑圧された欲動は無意識のエスの反復強迫を引き起こすのである。


抑圧と固着が等置されているのは、フロイトにとって最初の抑圧(原抑圧Urverdrängung[参照])はもともと欲動の固着だから。


抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ]〔・・・〕この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー)1911年)



現代ラカン派ではこの欲動の固着を通した反復強迫を、簡潔に「享楽の固着の反復」、ーーときにさらにもっとシンプルに「固着の反復」ーーと呼ぶことが多い。


フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[ Freud l'a découvert (…) une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)





◼️抑圧されたものの回帰と代理満足としての症状形成


ここまでは抑圧された欲動がそのまま回帰し、無意識のエスの反復強迫を引き起こすメカニズムを示したが、フロイトは別に代理満足としての症状形成の相としての「抑圧されたものの回帰」について記している。


……神経症の形成に導くメカニズムの現象。ここでも、決定的な出来事は幼児期に起こるが、強調されるのは時期ではなく、その出来事に直面する過程、それに対する反応である。図式的に表現すると、次のように言える。出来事の結果、満足を求める欲動要求が生じる。自我は、要求の大きさに麻痺しているため、あるいはそこに危険を感じているため、この満足を拒否する。これらの根拠のうち最初のものはより原初的であり、両方とも危険な状況を回避することを目的としている。


……Phänomenen bringen die Mechanismen, die zur Neurosenbildung führen. Auch hier fallen die maßgebenden Ereignisse in frühen Kinderzeiten vor, aber der Akzent ruht dabei nicht auf der Zeit, sondern auf dem Vorgang, der dem Ereignis entgegentritt, auf der Reaktion gegen dasselbe.In schematischer Darstellung kann man sagen: Als Folge des Erlebnisses erhebt sich ein Triebanspruch, der nach Befriedigung verlangt. Das Ich verweigert diese Befriedigung, entweder weil es durch die Größe des Anspruchs gelähmt wird oder weil es in ihm eine Gefahr erkennt. Die erstere dieser Begründungen ist die ursprünglichere, beide laufen auf die Vermeidung einer Gefahrsituation hinaus. 


自我は抑圧の過程を通じて危険から身を守る。欲動蠢動はなんとかして抑制され、その誘因やそれに関連する知覚や表象は忘れ去られる。しかし、過程はそれで終わったわけではなく、欲動はその強さを保持しているか、再び強さを集めているか、あるいは新たな誘因によって再び目覚めるかのいずれかである。


Das Ich erwehrt sich der Gefahr durch den Prozeß der Verdrängung. Die Triebregung wird irgendwie gehemmt, der Anlaß mit den zugehörigen Wahrnehmungen und Vorstellungen vergessen. Damit ist aber der Prozeß nicht abgeschlossen, der Trieb hat entweder seine Stärke behalten oder er sammelt sie wieder oder er wird durch einen neuen Anlaß wieder geweckt. 


その後、欲動は自分の主張を更新し、通常の満足への道が抑圧の傷跡と呼ばれるものによって閉ざされているため、どこか弱い部分で欲動は代理満足[Ersatzbefriedigung]と呼ばれるものへの別の道を切り開き、自我の承認もなければ自我の把握もなく、症状として現れる。


Er erneuert dann seinen Anspruch, und da ihm der Weg zur normalen Befriedigung durch das, was wir die Verdrängungsnarbe nennen können, verschlossen bleibt, bahnt er sich irgendwo an einer schwachen Stelle einen anderen Weg zu einer sogenannten Ersatzbefriedigung, die nun als Symptom zum Vorschein kommt, ohne die Einwilligung, aber auch ohne das Verständnis des Ichs. 


症状形成[ Symptombildung]の全ての現象は「抑圧されたものの回帰」として正しく記しうる。だが、それらの際立った特徴は、原初の出来事と比較して、回帰したものが広範囲にわたる歪曲を受けていることである。

Alle Phänomene der Symptombildung können mit gutem Recht als »Wiederkehr des Verdrängten« beschrieben werden. Ihr auszeichnender Charakter ist aber die weitgehende Entstellung, die das Wiederkehrende im Vergleich zum Ursprünglichen erfahren hat. 

(フロイト『モーセと一神教』3.2.6、1939年)



この症状形成については『制止、症状、不安』にも次のように記されている。


すべての症状形成は、不安を避けるためのものである[alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen](フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年)


不安とは不快であり、欲動である。

不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

欲動過程による不快[die Unlust, die durch den Triebvorgang](フロイト『制止、症状、不安』第9章)


すなわち、すべての症状形成は不快な欲動の抑圧によって生じる。


症状は差し止められた欲動満足の徴候かつ代理であり、抑圧過程の結果である[Das Symptom sei Anzeichen und Ersatz einer unterbliebenen Triebbefriedigung](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


先に示したように、抑圧された欲動がそのまま回帰するときは、無意識のエスの反復だが、歪曲されて回帰するときは、代理満足としての症状が生じる。そしてこれ自体、抑圧されたものの回帰である。こういった二重の相が抑圧された欲動としての「抑圧されたものの回帰」という表現に含まれていることに注意しなけれならない。


さらにこれに前期フロイトの「抑圧された願望」の回帰がつけ加わる[参照]。


心的生における抑圧された願望[im Seelenleben verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年)

防衛闘争の発生とは前意識が抑圧された思考(対抗備給)への抵抗を強め、引き続いて無意識の願望の担い手である転移思考が、症状形成を通じてなんらかの形で妥協しながら浸透していくことである。

Es kommt dann zum Abwehrkampf, indem das Vbw den Gegensatz gegen die verdrängten Gedanken verstärkt (Gegenbesetzung), und in weiterer Folge zum Durchdringen der Übertragungsgedanken, welche Träger des unbewußten Wunsches sind, in irgendeiner Form von Kompromiß durch Symptombildung.  (フロイト『夢解釈』第7章)



この「抑圧された願望」は、自我による自我の願望の抑圧(言語的なもの)であり、これ自体、症状形成だが、抑圧された欲動(身体的なもの)への防衛としての症状形成とは異なり、自我内部のみでの操作である。つまりエスへ抑圧されることはない。その意味で、後期フロイトの「抑圧された欲動の回帰」の二重の相とは異質なものと私は思うが、一般的注釈は(私の知る限りで)、抑圧された欲動がそれ自体で回帰する事態を「原抑圧されたものの回帰」(原抑圧=排除であり、通常、「排除されたものの回帰」とされる)、症状形成としての回帰ーーそれが抑圧された欲動の防衛としての歪曲されたものの回帰であれ、抑圧された願望の回帰であれーー、「後期抑圧されたものの回帰」とされている。


ここでフロイトの記述の揺れ動きを示そう。



われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧[Nachdrängen]の場合である。それは早期に起こった原抑圧[Urverdrängungen]を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。

die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)

抑圧はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 [primitive Abwehrmaßregeln]である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御のためにそれを利用しようとする。新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば、後期抑圧[Nachverdrängung]によって解決される。

Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit; es sind primitive Abwehrmaßregeln des unreifen, schwachen Ichs. In späteren Jahren werden keine neuen Verdrängungen vollzogen, aber die alten erhalten sich, und ihre Dienste werden vom Ich weiterhin zur Triebbeherrschung in Anspruch genommen. Neue Konflikte werden, wie wir es ausdrücken, durch »Nachverdrängung«erledigt.

(フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第3章、1937 年)



上にあるように、1926年には「原抑圧/後期抑圧」の区分だったものが、1937年には「抑圧/後期抑圧」としかフロイトは言わなくなる。もっとも原抑圧に相当するものを抑圧とだけするのは、1919年の『不気味なもの』にても既に見られる。この意味は、ある時期以降のフロイトにおいて、抑圧されたものの回帰は「抑圧された欲動の回帰」だということである。


ラカンも、排除つまり原抑圧ーー排除された欲動 [verworfenen Trieb](『快原理の彼岸』第4章、1920年)=抑圧された欲動[verdrängte Trieb](同第5章)であり、中期フロイトはこれを、原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe](『症例シュレーバー』  1911年)と言っていたーーー、 を抑圧としか言っていない場合がある。


私が排除[forclusion]について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、〔・・・〕象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから[Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,…tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. ](Lacan, S16, 14 Mai 1969)


《象徴界は言語[Le Symbolique, c'est le langage]》(Lacan, S25, 10 Janvier 1978)であり、言語から抑圧されたものが欲動的享楽である。ーー《欲動的享楽との関係における抑圧されたものの回帰[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]》(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)



この文脈のなかで前回の冒頭に掲げた次の二文がある。


以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)


ここでフロイトラカン両者は、欲動の回帰、享楽の回帰としか言っていないが、ここまで示してきたように厳密には、「抑圧された欲動の回帰」、「抑圧された享楽の回帰」であり、これが反復ーーあるいは「無意識のエスの反復強迫」ーーを指し示すのである。