このブログは「引用の置き場」としているように、基本的には個人的備忘録なんだよ。だから人にわかるようには書いてないんだ。 で、質問をもらっているから答えるが、次のジャック=アラン・ミレールの「享楽は異者」は独自解釈ではまったくない。 |
残滓…現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
この定義は純粋にラカンに依拠しており、例えば次の二つのラカンの発言でそうなる。 |
不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異物として現れる[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt ] (Lacan, S11, 17 Juin 1964) |
不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance.] (Lacan, S17, 11 Février 1970) |
ーー不快=異者としての身体=享楽である。 |
さらにミレール発言で「残滓」とあるのは、セミネール10の次の発言に現れている。 |
残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu. Ce reste, …c'est le petit(a). ](Lacan, S10, 21 Novembre 1962) |
フロイトの異者は、置き残し、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963 |
享楽は残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
ーー対象a=残滓(置き残し)=異者としての身体=享楽=固着である。 |
残滓とはリビドー固着の残滓であり、これは固着により異者としての身体がエスに置き残されることを意味している。 |
常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。 Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
この異者としての身体の別名が、エスの欲動蠢動かつトラウマである。 |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
要するに、表のほうの「蚊居肢ブログ」で示してある「欲動享楽対照表」の次の語彙群はすべて、固着の残滓としての異者身体を意味している。
この表の準拠となるフロイトとラカンの発言は以下の通り。
◼️欲動=不快=不安=トラウマ=喪失=去勢 |
欲動過程による不快[die Unlust, die durch den Triebvorgang](フロイト『制止、症状、不安』第9章) |
不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…) die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
去勢、すなわち喪失[Kastration, d. h. als Verlust](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) |
◼️享楽=不快=穴=トラウマ=喪失=去勢 |
不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970) |
享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
穴、すなわち喪失の場処 [un trou, un lieu de perte] (Lacan, S20, 09 Janvier 1973) |
享楽は去勢である[la jouissance est la castration](Lacan parle à Bruxelles, 26 Février 1977) |
このなかでは「去勢」がとくに奇妙かも知れないが、去勢とは喪われた自己身体を意味し、究極的には母の身体の喪失である。
乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり、自己身体の重要な一部の喪失と感じるにちがいない。〔・・・〕そればかりか、出生行為はそれまで一体であった母からの分離として、あらゆる去勢の原像である[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration, d. h. als Verlust eines bedeutsamen, …ja daß der Geburtsakt als Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war, das Urbild jeder Kastration ist. ](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) |
|||||||||||||||
母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
|||||||||||||||
母の喪失というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
|||||||||||||||
この去勢された、あるいは喪われた母の身体が、《母へのエロス的固着の残滓 [Rest der erotischen Fixierung an die Mutter]》(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)であり、この残滓の別名が異者としての身体となる。 そしてトラウマとは固着にほかならない。これはラカンの次の二文でそうなる。
以上、これ自体、引用の列挙のようなものだけれど、少しはわかりやすくなっている筈。 |