2023年8月15日火曜日

抑圧された欲動の回帰[Wiederkehr der verdrängte Trieb]

 

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)


ーーこのラカンのセミネール17の発言は、フロイトの『快原理の彼岸』の次の記述に依拠している。


以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)


つまり、欲動の回帰[Wiederherstellen der Triebe]=反復[Wiederholungs]である。


厳密に言えば、この欲動は「抑圧された欲動」であり、欲動の回帰とは「抑圧された欲動の回帰[Wiederkehr der verdrängten Triebe]としうる。


抑圧された欲動は、一次的な満足体験の反復を本質とする満足達成の努力をけっして放棄しない。あらゆる代理形成と反動形成と昇華は、欲動の止むことなき緊張を除くには不充分であり、見出された満足快感と求められたそれとの相違から、あらたな状況にとどまっているわけにゆかず、詩人の言葉にあるとおり、「束縛を排して休みなく前へと突き進む」(メフィストフェレスーー『ファウスト』第一部)のを余儀なくする動因が生ずる。

Der verdrängte Trieb gibt es nie auf, nach seiner vollen Befriedigung zu streben, die in der Wiederholung eines primären Befriedigungserlebnisses bestünde; alle Ersatz-, Reaktionsbildungen und Sublimierungen sind ungenügend, um seine anhaltende Spannung aufzuheben, und aus der Differenz zwischen der gefundenen und der geforderten Befriedigungslust ergibt sich das treibende Moment, welches bei keiner der hergestellten Situationen zu verharren gestattet, sondern nach des Dichters Worten »ungebändigt immer vorwärts dringt« (Mephisto im Faust, I, Studierzimmer)

(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)



ここでジャック=アラン・ミレールの注釈を掲げて確認しておこう。


フロイトが措定したことは、欲動の動きはすべての影響から逃れることである。つまり享楽の抑圧・欲動の抑圧は、欲動要求を黙らせるには十分でない。それは自らを主張する。

ce que Freud pose quand il aperçoit que la motion de la pulsion échappe à toute influence, que le refoulement de la jouissance, le refoulement de la pulsion ne suffit pas à la faire taire, cette exigence. Comme il s'exprime :〔・・・〕


これは「抑圧されたものの回帰」のスキーマと対になっている。それは症状の形態の下での「享楽の回帰」である。C'est symétrique du schéma du retour du refoulé, … il y a retour de jouissance, sous la forme du symptôme. (J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97)

欲動的享楽との関係における抑圧されたものの回帰[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle](J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)


ミレールは「享楽の回帰」と「抑圧されたものの回帰」を事実上等置しているが、これは文脈上ーー享楽の抑圧・欲動の抑圧[le refoulement de la jouissance, le refoulement de la pulsion]とあるようにーー「抑圧された欲動の回帰」である。つまり享楽の回帰は「抑圧された享楽の回帰」である。


ラカンは、享楽の抑圧[le refoulement de la jouissance]という表現は、私の知る限り、直接的には一度も使っていない。だが次のようには言っている。


欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である[le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance]( Lacan, E825、1960)


この防衛は抑圧を意味する。


私は(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)防衛過程[Abwehrvorganges]概念のかわりに、後年、抑圧[Verdrängung]概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの防衛[Abwehr]という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。

Ich meine den des Abwehrvorganges [Fußnote]Siehe: ›Die Abwehr-Neuropsychosen«.. Ich ersetzte ihn in der Folge durch den der Verdrängung, das Verhältnis zwischen beiden blieb aber unbestimmt. Ich meine nun, es bringt einen sicheren Vorteil, auf den alten Begriff der Abwehr zurückzugreifen, (フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926 年)


したがって、先のラカン文は、「欲望は享楽の抑圧[le désir est le refoulement de la jouissance]」と言い換えることができる。ラカンにおける欲望は言語に結びついており[参照]、言語を使用する主体はみな欲望の主体である。つまり人はみな欲動的享楽を抑圧している。しかしながら人には欲動の身体的要求の回帰がある。



エスの欲求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)




……………


なお、主に『制止、症状、不安』のフロイトに依拠すれば、欲動は次の語彙群に相当し、これらが抑圧されたものである。


◼️欲動=不快=不安=トラウマ=喪失=去勢

欲動過程による不快[die Unlust, die durch den Triebvorgang](フロイト『制止、症状、不安』第9章)

不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…)  die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)

去勢、すなわち喪失[Kastration, d. h. als Verlust](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)



ラカンにおいての享楽は次の通り。



◼️享楽=不快=穴=トラウマ=喪失=去勢

不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

穴、すなわち喪失の場処 [un trou, un lieu de perte] (Lacan, S20, 09 Janvier 1973)

享楽は去勢である[la jouissance est la castration](Lacan parle à Bruxelles, 26 Février 1977)



以上を図示しておこう。



こうして見れば、何が抑圧(防衛)されているのか、つまり何が回帰するのかがよく分かる筈である。



結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)



※補足➡︎「抑圧された欲動文献