1946年のラカンは、死の本能と原マゾヒズムを結びつけている(後年のラカンは死の本能[l'instinct de mort]ではなく死の欲動[la pulsion de mort]と言うのを好むようになるが、ここではそのままの用語を使う)。
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自殺性向とイマージュの関係は、本質的にナルシスの神話に表現されている[le rapport de l'image à la tendance suicide que le mythe de Narcisse exprime essentiellement.。この自殺性向は、私の見解では、フロイトがそのメタ心理学において、「死の本能」と「原マゾヒズム 」の名の下に[le nom d'instinct de mort ou encore de masochisme primordial]、探し求めようとしたものである。〔・・・〕これは、私の見解では次の事実に準拠している、すなわちフロイトの思考における最初期の悲惨な段階[la phase de misère originelle]、つまり出産トラウマ[traumatisme de la naissance]から、離乳トラウマ[traumatisme du sevrage]までである。 (Lacan, Propos sur la causalité psychique , Ecrits 187, 1946、摘要)
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20年後の1966年のラカンも、死の本能と原マゾヒズムを結びつけている。
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真理についての唯一の問い、それはフロイトによって名付けられた死の本能、享楽という原マゾヒズムである[cette question qui est la seule, sur la vérité et ce qui s'appelle - et que FREUD a nommée - l'instinct de mort, le masochisme primordial de la jouissance](Lacan, S13, June 8, 1966)
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このまた10年後の後期ラカンも、マゾヒズムと死の欲動[la pulsion de mort]を結びつけている。
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享楽は現実界にある。現実界の享楽はマゾヒズムから構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert, ](Lacan, S23, 10 Février 1976)
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死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel … la mort, dont c'est le fondement de Réel] (Lacan, S23, 16 Mars 1976)
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フロイトにおいては二次マゾヒズム[sekundären Masochismus]
と原マゾヒズム[ursprünglichen Masochismus]概念があるが、ここでのマゾヒズム は原欲動[ursprünglichen trieb]としての原マゾヒズムである。
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この原マゾヒズムを死の欲動とするのは、1946年から晩年の1976年まで一貫している。そして1946年のラカンは原マゾヒズムと出産外傷[traumatisme de la naissance]を関連付けているのを冒頭に見た。
この考え方は変わっていないのだろうか。まずそれを1966年のセミネールⅩⅢに見てみよう。
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マゾヒストは決して次のことによって定義されるものではない、すなわち苦痛や苦痛のなかの快、快のための苦痛ではない[le masochiste ne peut aucunement être défini : ni souffrir, à avoir du plaisir dans la souffrance, ni souffrir pour le plaisir.]
マゾヒストを唯一明示しうるのは、対象aの機能を持ち出す以外ない。それがまったき本質である。私は信じている、重要なのはかつて原ナルシシズムのため確保されていた場処に目星をつけなければならないと。On ne peut articuler le masochiste qu'à faire entrer…que la fonction de l'objet(a) en particulier y est absolument essentielle. Je crois que l'important de ce que…peut être repéré à la place anciennement réservée au narcissisme primaire. (Lacan, S13, 22 juin 1966)
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ラカンは原ナルシシズムと原マゾヒズムを等置している。そして対象aの機能を挙げている。
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1964年のセミネールⅩⅠに次のようにある。
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対象aの起源、喪われた対象aの機能の形態、〔・・・〕それは永遠に喪われている対象の周りを循環すること以外の何ものでもない[l'origine …la forme de la fonction de l'objet perdu (a), …à contourner cet objet éternellement manquant. ](ラカン, S11, 13 Mai 1964)
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1970年のセミネールⅩⅦにもこうある。
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反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。〔・・・〕フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste : que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD]. 〔・・・〕フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある[conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD. ](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)
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喪われた対象、これが原ナルシシズムの対象であり、かつ原マゾヒズムの対象ということになる。ラカンは究極の喪われた対象は胎盤だと言っている。
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例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の象徴である[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. ](ラカン, S11、20 Mai 1964)
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つまりは《喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)であり、出産外傷にかかわる。表現の仕方は異なるとは言え、ラカンはフロイトに従って、1946年に死の欲動の究極の対象を既に示しているということになる。
そしてこれが享楽の対象である。
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享楽の対象としてのモノは快原理の彼岸の水準にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…Au-delà du principe du plaisir …cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)
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モノとは母・母の身体であり、この喪われた母の身体[le corps de la mère perdu]がラカンの現実界の享楽であり、死の欲動の対象=享楽の対象ということになる。
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母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding. ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)
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モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20 Janvier 1960)
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フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne…ce que j'appelle le Réel] (ラカン, S23, 13 Avril 1976)
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ここでフロイトからも、原ナルシシズム、原マゾヒズムのエキス文を抜き出しておこう。
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自我の発達は原ナルシシズムから距離をとることによって成り立ち、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす。Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)
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人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む。 haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)
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つまりは、《子宮内生活は原ナルシシズムの原像である[la vie intrautérine serait le prototype du narcissisme primaire ]》(Jean Cottraux, Tous narcissiques, 2017)ということになる。
マゾヒズムが死の欲動にかかわることは鮮明に示されている。
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マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。そしてマゾヒズムはサディズムより古い。Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat.…daß der Masochismus älter ist als der Sadismus〔・・・〕
我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない。
Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
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結局、フロイトの欲動とは原ナルシシズム欲動かつ原マゾヒズム欲動であり、ラカンがフロイトの表面上の欲動二元論(エロスとタナトス)に対して、《すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort]》(ラカン、E848、1966年)と欲動一元論を言ったのは正しい。
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以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[ Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, ](フロイト『快原理の彼岸』1920年)
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人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)
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最後に確認しておこう、ラカンの究極に享楽の対象とは、原ナルシシズムの対象かつ原マゾヒズムの対象であり、それは喪われた母の身体=子宮だと。
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