2021年12月5日日曜日

マゾヒズムの享楽[Jouissance du masochisme]

 


フロイトにとって、マゾヒズム[Masochismus]、女性性[Femininität]、受動性[Passivität]、トラウマ[Trauma]の四語は等置しうる概念である。


ここでは最もシンプルに短い二文を掲げよう。


マゾヒズム的とはその根において、女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)

トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


つまりこうなる。





ラカンにおいても、享楽、マゾヒズム 、トラウマは等置しうる。


享楽は現実界にある。現実界の享楽はマゾヒズムから構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)



ラカンは別に現実界あるいは享楽を穴と言った。


現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …  fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)



ラカンの享楽自体は、身体の享楽[Jouissance du corps]であるが、身体も穴(トラウマ)である。


身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)



さらにトラウマとしての現実界をモノとしたが、このモノは母である。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel] (ラカン, S23, 13 Avril 1976)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)



この母なるトラウマ自体、次のフロイト文の受動性をトラウマに変換すればよい。


母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)




さらにもうひとつ。


後期ラカンにおいて女性の享楽は享楽自体になった。


確かにラカンは第一期に、女性の享楽[jouissance féminine]の特性を、男性の享楽[jouissance masculine]との関係にて特徴づけた。ラカンがそうしたのは、セミネール18 、19、20とエトゥルデにおいてである。


だが第二期がある。そこでは女性の享楽は、享楽自体の形態として一般化される [la jouissance féminine, il l'a généralisé jusqu'à en faire le régime de la jouissance comme telle]。その時までの精神分析において、享楽形態はつねに男性側から考えられていた。そしてラカンの最後の教えにおいて新たに切り開かれたのは、「享楽自体の形態の原理」として考えられた「女性の享楽」である [c'est la jouissance féminine conçue comme principe du régime de la jouissance comme telle]。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 2/3/2011)



要するに享楽自体[Jouissance comme telle]とは、マゾヒズムの享楽[Jouissance du masochisme]、穴の享楽[Jouissance du trou](=トラウマの享楽[Jouissance du traumatisme])、身体の享楽[Jouissance du corps]、モノの享楽[Jouissance de la Chose]、女性の享楽[Jouissance féminine]だが、語彙的には、いやその内実でさえ[参照]、先程のフロイトの四語で解決するのである。






※付記


ラカンのサントームとは享楽自体である。


サントームという享楽自体 [la jouissance propre du sinthome] (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008)


この前提で以下の引用群を読もう。


ひとりの女はサントームである [une femme est un sinthome] (Lacan, S23, 17 Février 1976)

ひとりの女は異者である[une femme …c'est une étrangeté.]  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)


結局、享楽自体としての女性の享楽とは異者の享楽、モノの享楽であり、これが身体の享楽なのである。


われわれにとって異者としての身体[un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する。das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)