2021年12月23日木曜日

享楽という「不気味なモノなる異者」


◼️現実界の享楽は穴喪失去勢


現実界の享楽は穴=喪失=去勢のことである。

享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)

享楽の喪失がある[il y a déperdition de jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

享楽は去勢である[la jouissance est la castration]( Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)


そして穴はトラウマである。

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel … fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976)


つまり現実界の享楽は去勢というトラウマ的喪失のことである。


◼️現実界の享楽は原抑圧


そしてラカンが「穴は原抑圧」と言ったとき、現実界の享楽は原抑圧だと言ったのである。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


この原抑圧は享楽の項で示したのと同様、去勢であり、喪失である。

原抑圧は常に去勢に関わる[refoulement originaire…ce qui concerne toujours la castration.] (J.-A. Miller, CE QUI FAIT INSIGNE COURS, 3 JUIN 1987)

去勢は享楽の喪失である[ la castration… une perte de jouissance](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011)



◼️現実界の享楽は固着


ところでフロイトにとって原抑圧は固着である。

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)

固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)


異者とあるのはトラウマである。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


したがって現実界の享楽は固着である。この固着自体、穴=喪失=去勢に関わる。

固着が身体の物質性としての享楽の実体のなかに穴をなす。固着が無意識のリアルな穴を身体に掘る。このリアルな穴は閉じられることはない。Une fixation qui finalement fait trou dans la substance jouissance qu'est le corps matériel, qui y creuse le trou réel de l'inconscient, celui qui ne se referme pas(ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, ON NE GUÉRIT PAS DE L'INCONSCIENT, 2015)


身体とは固着の穴(トラウマ)、つまり固着による喪失、去勢なのである。

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


この身体が「欲動の身体」である。

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧と関係がある[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)


欲動はもちろん享楽である。したがって欲動の身体は「享楽の身体」であり、これが異者としての身体である。


欲動は、ラカンが享楽の名を与えたものである[pulsions …à quoi Lacan a donné le nom de jouissance.](J. -A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 11/05/2011)

ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる[ Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance](J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)

われわれにとって異者としての身体[un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)


◼️現実界の享楽はモノなる異者


享楽が異者であるのはモノ概念を通しても確認できる。

モノなる異者[Dingen Fremder](フロイト「フリース宛書簡」13. 2. 1896)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)


すなわちモノなる異者、これが享楽である。


フロイトのモノ、これが後にラカンにとって享楽となる[das Ding –, qui sera plus tard pour lui la jouissance]。…フロイトのエス、欲動の無意識。事実上、この享楽がモノである。[ça freudien, l'inconscient de la pulsion. En fait, cette jouissance, la Chose](J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)


エスあるいは欲動とあるが、これはモノなる異者のエスの欲動蠢動である。

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。

Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)




◼️現実界の享楽としての異者はレミニサンスする


フロイトはトラウマとしての異者はレミニサンスすると言った。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt]

ほとんどの場合、異者としての身体はレミニサンスを引き起こす[Fremdkörper …leide größtenteils an Reminiszenzen.](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


次のラカンはこのフロイトの言い換えである。


問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ]〔・・・〕

この現実界に触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって[le Réel, …qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)



◼️不気味な異者は反復強迫する


異者とは不気味なものである。

不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)


フロイトのこの不気味な異者は同一のものの回帰=反復強迫する。

いかに同一のものの回帰という不気味なものが、幼児期の心的生活から引き出しうるか。〔・・・〕心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。〔・・・〕不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫を思い起こさせるものである。

Wie das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr aus dem infantilen Seelenleben abzuleiten ist  […]Im seelisch Unbewußten läßt sich nämlich die Herrschaft eines von den Triebregungen ausgehenden Wiederholungszwanges erkennen, der wahrscheinlich von der innersten Natur der Triebe selbst abhängt, stark genug ist, sich über das Lustprinzip hinauszusetzen, gewissen Seiten des Seelenlebens den dämonischen Charakter verleiht,[…] daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann. (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)


フロイトはこの反復強迫を永遠回帰と言った。

同一の体験の反復の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)


この反復強迫としての永遠回帰が何よりもまず死の欲動である。

われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす。

Charakter eines Wiederholungszwanges […] der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.(フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)


以上、不気味なモノなる異者は、反復強迫=レミニサンス=永遠回帰=死の欲動を引き起こす。これがラカンの現実界の享楽である。