以下、 |
母なるシニフィアンは享楽の原因である[le signifiant maternel est la cause de la jouissance] |
母なる超自我は享楽の原因である[le surmoi maternel est la cause de la jouissance] |
について記述する。 |
享楽とはマゾヒズムのことであり、 |
母なるシニフィアンはマゾヒズムの原因である[le signifiant maternel est la cause du masochisme] |
母なる超自我はマゾヒズムの原因である[le surmoi maternel est la cause de la jouissance] |
としてもよい。 |
現実界の享楽はマゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である[Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
…………………
まず、母なるシニフィアンは享楽の原因である[le signifiant maternel est la cause de la jouissance]から始まる。 |
シニフィアンは享楽の原因である。シニフィアンなしで、身体のこの部分にどうやって接近できよう? [Le signifiant c'est la cause de la jouissance : sans le signifiant, comment même aborder cette partie du corps ?](Lacan, S20, December 19, 1972) |
この身体に関わるシニフィアンは原シニフィアンでありーー身体の世話に伴う乳幼児の身体の上への原刻印ーー、母なるシニフィアンである。 |
エディプスコンプレックスにおける父の機能は、他のシニフィアンの代理シニフィアンである…他のシニフィアンとは、象徴化を導入する最初のシニフィアン(原シニフィアン)、母なるシニフィアン である[La fonction du père dans le complexe d'Œdipe, est d'être un signifiant substitué au signifiant,… c'est-à-dire au premier signifiant introduit dans la symbolisation, le signifiant maternel. ](Lacan, S5, 15 Janvier 1958) |
この文は、母なる女が享楽を与えるという次の文とともに読むべきである。 |
(原初には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女なるものは、享楽を与えるのである、反復の仮面の下に。…une dominance de la femme en tant que mère, et : - mère qui dit, - mère à qui l'on demande, - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme. La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition. (ラカン, S17, 11 Février 1970) |
次に、母なる超自我は享楽の原因[le surmoi maternel est la cause de la jouissance ]=母なる超自我はマゾヒズムの原因[le surmoi maternel est la cause de la jouissance] についてである。 |
超自我はマゾヒズムの原因である[le surmoi est la cause du masochisme],(Lacan, S10, 16 janvier 1963) |
この超自我は原超自我、つまり母なる超自我である。 |
母なる超自我[surmoi maternel]・太古の超自我[surmoi archaïque]、この超自我は、メラニー・クラインが語る原超自我 [surmoi primordial]の効果に結びついているde la jouissance ものである。…最初の他者の水準において、ーーそれが最初の要求[demandes]の単純な支えである限りであるがーー私は言おう、幼児の欲求[besoin]の最初の漠然とした分節化、その水準における最初の欲求不満[frustrations]において、…母なる超自我に属する全ては、この母への依存[dépendance]の周りに分節化される。 (Lacan, S5, 02 Juillet 1958) |
ここでフロイトから引用しよう。 |
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
超自我の設置に伴って欲動の固着があり自己破壊的に作用するとあるが、自己破壊的とはマゾヒズム的である。 |
マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。〔・・・〕そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に残存したままでありうる。 Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. …daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年) |
ところでジャック=アラン・ミレールは次の注釈をしている。 |
フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
結局、母なる原シニフィアンとは、超自我と同様、固着なのである。 |
S2に付着したS1ではない単独的な一者のシニフィアン[le signifiant, et singulièrement le signifiant Un – …non pas le S1 attaché au S2 ]ーーS2なきS1[S1 sans S2]ーーこれが厳密にフロイトが固着と呼んだものである[précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要) |
最初にある固着は、母への固着である。 |
おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) |
母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
隷属、すなわちマゾヒズムである。 |
男性はしばしば女性にたいしてマゾヒズム的態度、隷属さえ示す[daß solche Männer häufig ein masochistisches Verhalten gegen das Weib, geradezu eine Hörigkeit zur Schau tragen](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年) |
以上、1963年のラカンと1972年のラカンの次の二文は同じことを言っていることを示した。 |
超自我はマゾヒズムの原因である[le surmoi est la cause du masochisme](Lacan, S10, 16 janvier 1963) |
シニフィアンは享楽の原因である[Le signifiant c'est la cause de la jouissance ](Lacan, S20, December 19, 1972) |
すなわち、母への固着は享楽のマゾヒズムの原因[La fixation sur la mère est la cause du masochisme de la jouissance]である。 |