2022年11月3日木曜日

コンサート批判(シュネデールのグールド論)[未定稿]

Michel Schneider, Glenn Gould, piano solo : aria et trente variations, 1988


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 一九六四年十一月十一日にトロント王立音楽院でおこなわれた彼の講演で、学生たちが耳にしたのは次のような勧めだった。すなわちひとりきりでいること、瞑想のなかに沈潜し、それをいわば恩寵としてうけとめるようにということだった。グールドは、この孤独の勤めを、その数ヵ月前シカゴでおこなわれたあの最後のコンサート以来ずっと終わりまで守り通したのだ。

彼は〈フーガの技法〉からフーガを数曲弾いた(どの曲かはわからないが、わたし個人としては「聖アンナ」と呼ばれる四曲目のフーガもそのなかにあったと思いたい)。それから〈パルティータ〉第四番とベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品110、最後にクシェネクのピアノ・ソナタ第三番が演奏された。たぶんすべてが瓦解してしまったのはベートーヴェンのソナタの第二楽章でのことだったのではなかったのか。むしろすべてが明るみに出たというべきなのかもしれない。彼を演奏会場に結びつける絆、変記号のかぶさる旋律線(ミ-レ-ド-シ-ド-ラ-ラ-ソ)がほどけた。指は音を奏でつづけたが、もはや彼はその場にはいなかった。指はコンサートの最後まで働きつづけ、聴衆は気づきはしないだろう。いわば指だけがひとりで動いているのだ。彼は接触を失ってしまっていた。まずは聴衆との接触だ。


実際コンサート・ホールという場にあっては、音楽はめったに人の心に届かないと彼はすでに感じていた。うとうとしている人々、終わったあとの食事を思い浮かべている人々、翌日になって演奏会に行ったと語るのが目的で来ている人々、彼らを除いてしまえば、ほとんど誰もいなくなる。ぬるま湯につかったような態度で音楽に接する人々や、音楽を聞きながら夢想や計算をやめずにいられる人々に比べれば、音楽に恐れをなして逃げ出してしまう人々のほうがよかった。(ミシェル・シュネデール『グールド ピアノソロ』アリア、1988年)



一九六四年にグールドがきっぱり背を向けてしまったのは、中世において実践生活[ヴィタ・アクティヴァvita activa]と呼ばれたものにあたる。彼はもう一方の極にある観想生活[ヴィタ・コンテンポラティヴァvita contemplativa]にピアノと一緒にひきこもり、そこから出ることはなかった。 「実践生活は仕事に明け暮れる日々であり、観想生活は静かな日々である。実践生活は公衆のなかで送られ、観想生活は人のいないところで送られる。 実践生活は隣人を必要とし、観想生活は神を見つめることに捧げられる。」これが十二世紀初頭、サン=ヴィクトルのフーゴーによって描き出された対比の規範的構図である。改革への熱い想いにつきうごかされ、また純粋なシンメトリーの魅惑にとらわれた揺るぎない主張だった。


スタジオでのグールドは、僧院がつくりあげた修道者なる理念とふたたび手を結んだ。すなわち世俗的欲望を棄てた生活に入り、自己完成への道を清貧、純潔、服従の精神をもってあゆむのだ。彼にとって、音楽へのかかわりは、神秘思想家たちにとっての神へのかかわりと同一であった。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド ピアノソロ』第2変奏)



グールドの孤独は引き裂かれる痛みではない。癒着する傷口なのだ。豊かな実りをもたらす囲い地であり、集合の場であり、彼はそこで自己に思いを凝らしていた。彼はリルケのように「果実の芯が果肉のなかにあるように、わたしは仕事のなかにいる」と語ることもできたはずだ。〔・・・〕


ひとりでいることは孤独のなかにあることとは違う。孤独という言葉は、たしかにほかに誰も一緒にいる人間がいなくとも、自分を相手としている状態を語るものとしたい。ひとりでいようが、それともほかの人間と一緒にいようが、自分を相手としていない時間、「誰かの不在が意識される」としても、それがほかの誰かというよりも自分自身の不在であるような瞬間を自己喪失と呼びたい(その逆に、愛とは、ほかの誰かがいるのに、まるでいないような意識が生じる場合だ)。孤独のなかにあること、それは他者がそこに、わたしの内部にいるという確実さの体験である。そのほかに孤立ということがある。この場合は他者も自己も不在なのだ。


思惟は孤独の営みである。 世界は少しばかり沈黙しなければならない。だが自己喪失は思考のはたらきに致命傷を与える。想像するに、グールドがどうしようもなく孤独だったのは、「イン・オン・ザ・パーク」の部屋でフーガの対主題の開始のフレージングをどのようにやるべきかひとりで考えているときではなくて、コンサートの終わった後、満足したファンがいい気になって楽屋に押し寄せるのを迎えるときだったと思う。たぶんそのときの彼は、悪を「外で吠える犬だ」と呼んだ聖女テレサと同じように、悪霊に対して苛立っていたにちがいない。


ピィロン、プロティヌス、聖アウグスティヌス以来、何世紀ものあいだ繰り返し示されてきた内的生活の概要はサン=ヴィクトルのフーゴーの手で体系化された。道は「熟察」を起点として出発する。これは相矛盾する探求、 すなわち世界と自己と神にそそがれる眼差しである。次に「観想」がくる。 これは確固とした真理の概念であり、そこには痛みがない。観想は「同意(コンセンサス)」によってなされる。グールドの演奏においては、たえずある種の肯定の表明がなされ、しだいに力を強めてゆく。 同意の対象の姿が見えないならばそれにつれて同意は緊迫したものとなり、同意が幸不幸の感情から発するものであればあるほど同意は強まる。グールドは嫌う(モーツァルト、ロマン派、ヴィルトゥオーゾのピアノ曲) 自由を手に入れ、その結果、愛着(ギボンズ、シュトラウス、フーガ形式)には軽やかな強度が加わった。最後に「脱我(エクスタシス)」がやってくる。魂は肉体から離れ、そのとき心眼があらわれる。魂は運び去られrapitur、 やがて神の喜悦が訪れるのだ。


「観想(コンテンプラチオ)」の最初の段階は「瞑想(メデイタチオ)」である。三分法的表現を好むフーゴーは、これを定義して「あらゆるものごとについて様態と原因と理由を探る不断の考察、しかるに様態とはそれがあるところのもの、原因はなぜそれがあるか、理由はいかにそれがあるかをいう」としている。


三種類の瞑想がある。被造物についての瞑想、書物についての瞑想、生活習慣についての瞑想である。最初の瞑想は賛嘆の念から、第二の瞑想は読書から、 第三の瞑想は慎重さから生まれる。おそらくグールドにとって、「被造物についての瞑想」と「生活習慣についての瞑想」は痛みをともなうものであっただろう。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド ピアノソロ』第2変奏)




1968年、彼はジョン・マクルーアに向かってこう語っている――「コンサート活動の時代は死んだ歳月だ。悪夢のようにおぞましく、不快だった。」彼は自分のレコードの聴衆を獲得するには、我慢してそこを通過しなければならないとみずからに言い聞かせながらこの時期を生きたのだ。〔・・・〕


コンサートは音楽を現在時に結び付けるものだとされるが、グールドによれば、それは聴くべき対象から引き離すものなのだ。〔・・・〕


だが間違えないようにしよう。コンサートに対する彼の最終的拒否は倫理的性格をおびたものだった。「聴衆にとっても演奏者にとっても音楽は黙想にまで高められなきゃならない。自分の周囲に二九九九人の他人の魂が存在するなかでそんな境地に到達できるわけはない。」(ミシェル・シュネデール『グールド ピアノソロ』第4変奏)



彼のスタジオ擁護論は、同一楽曲をコンサート録音で聴く人間を納得させるにはいたらない。一九五九年八月二十五日ザルツブルグでの〈ゴールドベルク変奏曲〉、一九五七年五月十二日モスクワで演奏されたベルクのピアノ・ソナタ、あるいは一九五八年六月十日ストックホルムで演奏された同じ曲、ストックホルムでのベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品110などはスタジオ録音によるそれらの姉妹よりもはるかに美しい。

 

スタジオ録音が絶対的にすぐれているとするグールドの主張は間違っていた。ストックホルムでのピアノ・ソナタ作品110の実況録音には厚みがある。時間に対してどこか緊張したところ、なにか奪われたもの、最後のシカゴ・コンサートで同じ曲目の演奏がどのようなものだったかを想像させるに足るなにかが存在する。時間の切迫が動作を鋭くし思考の速度をはやめるチェスの勝負のように、ある種の絶対的必然性があるのだ。スタジオの場合、時間はじゅうぶんにある。あらゆる方向で時間をたどりなおすことができる。自由だともいえるが、それなりの代価を払わねばならない。(ミシェル・シュネデール『グールド 孤独のアリア』第6変奏)



コンサート・ホールの限界ーーほとんど誰も聴いていないし、レコードを聴く者にくらべると演奏会の聴衆は注意力が散漫であり、それに二十万人という数の人間に触れることができるのに、二千人の人間に語りかけてどうなるというのかーーに甘んじようとはしないあのような孤独はたしかに傲慢といえるかもしれない。グールドは同類とのコミュニケーションを拒否したが、それはただコミュニケーションではないもの、「コミュニケーションの時代」という名のもとに売られるあの空虚な文句に対する拒否反応だったのだ。彼の孤独は、個々の人間とその孤独において結合するための手段だった。グールドがわれわれに示したのは、彼を聴こうとするとき、もはやそこに彼はいないという恥じらい、あるいは友愛だった。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド ピアノソロ』第6変奏)




孤独のなかにあるとき人はどこにいるのか。 内部なのか、それとも外部なのか。 音楽のなかにあるとき人はどこにいるのか。音楽がすべてに侵入し、すべてをかき消してしまうことがある。音しか存在しなくなる。わたし自身はそこに存在しなくなるようなのだ。音がそこにある。音はそこにあるもの、存在するものなのだ。ときに音楽はほんのかすかなものであり、ほとんど消滅し、壊れかかっている。だがこれはどこなのだろうか。音楽はわたしの内部にあり、わたしは音楽の内部にいる。ピアノの演奏は、たえず内部から外部へと出てゆくことであるが、それは内部に変わりゆく外部であり、まさに内部にはすでに外部が存在していたように思われる。聖アウグスティヌスによれば、神とは包み込みながら満たすものだというが、音楽はそのような神の属性をそなえている。音楽はまわりを取り巻き、包囲し、しかも内部にとどまっている。それは部分の部分であり、耳に向かってたちのぼってくる苦痛あるいは快楽の切っ先である。〔・・・〕


グールドにとって、ピアノ演奏は内的人間[ホモ・インテリオール]を見いだす手段だった。内的人間とは、それまでソリストがすっかり陰に追いやってしまっていたものだった。サン=ヴィクトル学派の伝統は内部[イントウス]と外部[フオリス]との対立を瞑想の核心においているが、このような対立が彼の脳裏を離れなかった。彼にとって、音楽は外の世界のためのものではなかった。


音楽を聞くには隠れなければならないと思うことがある。音楽は手袋の内と外をひっくり返すようにわたしを裏返してしまう。音楽が触れ合いの言葉、共同体の言葉となる。そんな時代がかつてあったし、いまも人によってはそんな場合があるのはもちろん知っているが、わたしの場合は、ほかの人々と一緒に音楽は聞けない。誰かと一緒に音楽を演奏するとなれば話は別だ。室内楽ならば、あらゆる意味で相手に合わせなければならない。二重奏のソナタや三重奏曲なら一緒に演奏することができる。それだけの謙虚な気持ちと少しばかりの愛があれば十分だ。 あるいは深い知識があって、憎しみがなければできる。


だが、なぜ一緒に聞くことができないのだろう。なぜ音楽は孤独で身動きできない状態にあるときのわたしたちをとらえるのか。一緒に聞けば、他人の目の前で、そして他人とともにいながら、自己をあくまでも自分ひとりきりのものでしかない状態に投げ出してしまうことになるからなのか。それぞれの人間によってたがいに異なるはずの遠くの離れたものを共有することになるからなのか。子供時代も死も共有できはしないからなのか。


音楽、それは身体と身体のぶつかりあいであり、孤独と孤独のぶつかりあいであり、交換すべきものがなにもないような場での交換である。ときにそれは愛だと思われもしよう。演奏する者の身体と聴く者の身体がすっかり肉を失い、たがいに遠く離れ、ほとんどふたつの石、ふたつの問い、ふたりの天使を思わせるものとなって、どこまでも悲しい狂おしさを抱いて顔を向き合わせたりしないならば。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド PAINO SOLO』第24変奏)



グールドのコンサート批判は、とくに聴衆の存在が演奏におよぼすねじれをめぐるものだった。彼もコンサートではバッハの対位法にそなわる古典的慎ましさをやむえず大げさな修辞法に変形してしまうことになったのである。アーティストにとって聴衆が必要なことは彼にはわかっていたが、問題は演奏家の内部のさまざまな束縛と人々の心にある快楽への欲求との釣り合いをいかにしてとるか、そして創造行為というこのうえなく私的な領域の内部にあって、いかにして芸術が人々との接触――彼らのために芸術は生み出されるーーによる変質をこうむらないようにするのかということでありつづける。特色をわざと強調し、自分の姿をこれ見よがしに投げ出し、自分を見失ってしまう。そうなると自分自身から引き離されたような気分になると彼は述べている。〔・・・〕

 

グールドは音楽が快楽を志向するものでありうるなどとは思ってもみなかった。そして彼自身、問題の核心を明らかにするために、あのエクスタシーという語をもちいている。あまり音楽家が使わない言葉、どこか世紀末的な匂いがただよい、中世の神秘思想のこだまが聞こえる言葉である。それにまた、エクスタシーの肉体となろうとしておこなったテクノロジーの実験の数々とは奇妙なまでに不調和だ。彼によれば、エクスタシーとは、音楽、演奏、演奏家、聴衆を、たがいに内面を共有するという意識の織物において結び合わせる繊細な糸なのである。演奏についてエクスタシーという側面からなされるこのような理解は字面の理解と対立する。 音は記号である。音は道を語らず、ただ出発点を教える。


グールドの演奏解釈の特徴はテクニックの面にあるのでもなく(たしかに動きはすばやくとも驚くほど安定している点に彼の署名というべきものがあるが)、理念の面にあるのでもない (演奏と語り口についてあれほど突き詰めて考え抜いたピアニストはまずいないのだが)。特徴は――こう言ってよければーー精神的なものだった。あたかも彼の存在は、いつでも、そして永遠に音楽のなかにあったかのようである。ほかの誰とも違っているのだが、彼は音楽をもはや主体にではなく存在に結びつけた。想念の激しさ、存在の近しさ、絶対的なかかわり――彼はまるで自分の一部を弾くかのようにして音楽を演奏した。このうえなく異質な部分、誰もそれについては少しも知りたいとは思わないが、その呼びかけには屈しなければならない部分として演奏するのだった。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド ピアノソロ』第25変奏)


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……グレン・グールドの芸術の偉大性は模倣可能な技巧やメソードの類にあるのではなく、スタイルやテクニックの外面的制約の根底に潜む現象的で定義不可能な実体にあるのだ。

グレン・グールドはそれを「エクスタシー」と呼んだ。彼にとってエクスタシーとは、音楽作品の演奏ーーもしくは演奏の聴取ーーの際に生じる陶酔状態を指すわけではなかった。エクスタシーとは、演奏家が音楽芸術作品の崇高で完全な視界を得るために、自分自身を超越し、テクニックを超え、演奏のための機械的手段を超えるときに到達し得る状態である。


グールドのエクスタシーとは、ジェフリー・ベイザントが書いているように「自己と音楽の内面」との合体なのだ。厳密に言えば、エクスタシーは演奏者と、奏者を通しておそらく聴き手とが手に入れる孤独な状況である。グールドはレコードの音楽に独り耳を傾けることで、エクスタシーが得られると考えた。しかし演奏者あるいは聴き手の一人一人が自分自身を忘れ、目の前にある音楽の、ひとつに凝縮されたヴィジョン ーーエクスタシーの瞬間には、それが唯一のヴィジョンでなくてはならないーーを体験して初めてエクスタシーに到達し得るのである。


Gouldian ecstasy, as Geoffrey Payzant describes it, is a merging of ‘self with the innerness of the music'. Strictly speaking, ecstasy is a solitary condition, available to a performer and perhaps through him to an audience; for Gould, the solitary listening to recordings of music could make it accessible. But to the individual performer or listener, ecstasy is achieved when one stands outside of oneself, experiencing a uniquely coherent vision – which at the ecstatic moment must seem the only possible vision – of the music at hand. 

(デニス・ダットン「グールドのエクスタシーⅡ」Denis Dutton ‘Ecstasy of Glenn Gould II', 1983)


彼の人生と仕事は、我々を我々自身から解放し、エクスタシーの状態に到達させる可能性の証であった。His life and work had testified to our ability to remove ourselves from ourselves and achieve a sense of ecstasy.   (グールド「ストコフスキ、六つの場面」Glenn Gould, Stokowski in Six Scenes, 1978)