現代ラカン派では上のような多様な表現がされるが、基本的には、左項目右項目それぞれは同じ内実を持っている。 一般化とされているのは、「人がみなもつ」という意味であり、左項目はすべて穴、右項目はすべて穴埋めに関わる。 |
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穴と穴埋めというとき、身体の穴と言語の穴埋めである。 |
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身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice) |
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父の名という穴埋め[bouchon qu'est un Nom du Père] (Lacan, S17, 18 Mars 1970) |
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言語は父の名である[C'est le langage qui est le Nom-du-Père]( J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique,cours 4 -11/12/96) |
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穴は原抑圧によって生じる。 |
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
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この穴は現実界のトラウマである。 |
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現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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原抑圧の穴は去勢と等価であり、さらに原抑圧は排除と等価である。 |
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原抑圧は常に去勢に関わる。だが抑圧の様式とは別の様式に従った去勢であり、つまり排除である。…refoulement originaire (…) ce qui concerne toujours la castration. mais selon un autre mode que celui du refoulement, à savoir la forclusion. (J.-A. Miller, CE QUI FAIT INSIGNE COURS DU 3 JUIN 1987) |
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原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe ](フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年) |
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排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年) |
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以上、穴とは一般化排除=一般化去勢=一般化トラウマである。 |
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次に右項目の妄想、倒錯、フェティシズムである。これは時期の異なったラカンの発言にそれぞれに依拠している。 |
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まず人はみな妄想する。つまり一般化妄想である。 |
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フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。[Freud…Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant ](Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978) |
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人はみなトラウマの穴を穴埋めするために妄想する。 |
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まさにラカンは最後の教えで、「人はみな狂っている(人はみな妄想する)」と定式化した。これは臨床の彼岸にあるものを指し示している。すなわち「人はみなトラウマ化されている」である。そしてこの意味は「すべての人にとって穴がある」である。 C'est la valeur que je donne au Tout le monde est fou qu'a formul é Lacan dans son tout dernier enseignement. Ça pointe vers un au-delà de la clinique, ça dit que tout le monde est traumatisé,… Et ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou. (J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
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次に人はみな倒錯する。一般化倒錯である。 |
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フロイトが言ったことに注意深く従えば、全ての人間のセクシャリティは倒錯的である [que toute sexualité humaine est perverse si nous suivons bien ce que dit FREUD. ]〔・・・〕結局、倒錯が人間の本質である。[Parce qu'après tout si la perversion c'est l'essence de l'homme](Lacan, S23, 11 Mai 1976) |
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倒錯は穴埋めである。 |
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倒錯者は、大他者のなかの穴を穴埋めすることに自ら奉仕する le pervers est celui qui se consacre à boucher ce trou dans l'Autre(ラカン, S16, 26 Mars 1969) |
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ラカンは倒錯を父の版の倒錯ともした。 |
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倒錯とは、「父に向かうヴァージョン」以外の何ものでもない。要するに、父は症状である。…私はこれを「père-version」(父の版の倒錯)と書こう[« perversion » ne veut dire que « version vers le père », et qu'en somme le père est un symptôme ou un sinthome, …je l'écrive la « père-version »](Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
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最後にフェティシズムであるが、フェティッシュとは見せかけ意味する。 |
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フェティッシュとしての見せかけ [un semblant comme le fétiche]である。(J.-A. Miller, la Logique de la cure du Petit Hans selon Lacan, Conférence 1993) |
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言説は見せかけとしての社会的結びつきであり、言語を通したものである。 |
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言説はそれ自体、常に見せかけの言説である[le discours, comme tel, est toujours discours du semblant ](Lacan, S19, 21 Juin 1972) |
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言説とは何か? それは、言語の存在を通して起こりうる秩序において、社会的結びつきの機能を作り上げるものである。[Le discours c’est quoi ? C’est ce qui, dans l’ordre… dans l’ordonnance de ce qui peut se produire par l’existence du langage, fait fonction de lien social. ](Lacan à l’Université de Milan le 12 mai 1972) |
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すなわち言語はフェティシズムとなる。 以上、穴埋めという観点において、一般化妄想=一般化倒錯=一般化フェティシズムである。 より一般的にいえば、後期ラカンの観点からは、象徴界自体が妄想=倒錯=フェティシズムである。
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