エディプスなき神経症概念、それは母なる超自我と呼ばれる。Cette notion de la névrose sans Œdipe, … ce qu'on a appellé le surmoi maternel :
…問いがある。父なる超自我の背後にこの母なる超自我がないだろうか? 神経症においての父なる超自我よりも、さらにいっそう要求し、さらにいっそう圧制的、さらにいっそう破壊的、さらにいっそう執着的な母なる超自我が。
on posait la question : est-ce qu'il n'y a pas, derrière le surmoi paternel, ce surmoi maternel encore plus exigeant, encore plus opprimant, encore plus ravageant, encore plus insistant, dans la névrose, que le surmoi paternel ?
(Lacan, S5, 15 Janvier 1958)
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この自我理想と超自我が等置されているのは、ほとんどのフロイト研究者においてさえ、現在に至るまでそうであるように見える。ましてや哲学者や批評家などが超自我に触れるときは、ドゥルーズやデリダ以来、いやそれ以前からほとんど例外なくそうである。だがフロイトの記述を読み込めば、そうではないことがはっきりわかる。
ラカンの父の名とは、フロイトのエディプス的父、つまり自我理想の形式化に基づいており、父なる超自我[surmoi paternel] 、あるいは《エディプス的超自我[surmoi œdipien]》(Lacan, S7, 29 Juin 1960)である。それとは別の母なる超自我[surmoi maternel]、前エディプス的超自我[surmoi pré-œdipien]がラカン理論においてはきわめて重要であるが、実はフロイト理論においても同様である。
◼️フロイトにおける母なる超自我
フロイトにも実は母なる超自我がある。それは時期の異なるフロイトの記述を読み込めば、まがいようがない。以下、それを順繰りに示していく。
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まず超自我は優位にある権威との同一化に関わる。
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超自我への取り入れ[Introjektion ins Über-Ich]……幼児は、優位に立つ権威を同一化によって自分の中に取り入れる。 するとこの他者は、幼児の超自我になる[das Kind ...indem es diese unangreifbare Autorität durch Identifizierung in sich aufnimmt, die nun das Über-Ich wird ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第7章、1930年)
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フロイトは自我理想との同一化とは別の同一化があることを示している。
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最初の非常に幼い時代に起こった同一化の効果は、一般的でありかつ永続的であるにちがいない。このことは、われわれを自我理想[Ichideals]の発生につれもどす。というのは、自我理想の背後には個人の最初の最も重要な同一化がかくされているからである[die Wirkungen der ersten, im frühesten Alter erfolgten Identifizierungen werden allgemeine und nachhaltige sein. Dies führt uns zur Entstehung des Ichideals zurück, denn hinter ihm verbirgt sich die erste und bedeutsamste Identifizierung des Individuums,](フロイト『自我とエス』、第3章、1923年)
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自我理想との同一化は父との同一化であるが、それ以前に母への対象備給を語っている。
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父との同一化と同時に、おそらくはそれ以前にも、母にたいするアタッチメント型(依存型)の本格的対象備給を向け始める[Gleichzeitig mit dieser Identifizierung mit dem Vater, vielleicht sogar vorher, hat der Knabe begonnen, eine richtige Objektbesetzung der Mutter nach dem Anlehnungstypus vorzunehmen.](フロイト『集団心理学と自我の分析』第7章「同一化」、1921年)
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この備給とはリビドーのことであり、つまり欲動(ラカンの享楽)である。ーー《備給はリビドーに代替しうる [»Besetzung« durch »Libido« ersetzen]》(フロイト『無意識』1915年)、《リビドーの欲動蠢動[libidinöse Triebregungen]》(ナルシシズム入門、1914年)
フロイトはこの母への対象備給を同一化と等置している。
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個人の原始的な口唇期の初めにおいて、対象備給と同一化は互いに区別されていなかった[Uranfänglich in der primitiven oralen Phase des Individuums sind Objektbesetzung und Identifizierung wohl nicht voneinander zu unterscheiden. ](フロイト『自我とエス』第3章、1923年)
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すなわち父との同一化以前に母との同一化があることを示しているのである。そして母の乳房への対象備給が語られている。
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非常に幼い時期に、母への対象備給[Mutter eine Objektbesetzung ]がはじまり、対象備給は母の乳房[Mutterbrust]を出発点とし、アタッチメント型[Anlehnungstypus]の対象選択の原型を示す。[Ganz frühzeitig entwickelt es für die Mutter eine Objektbesetzung, die von der Mutterbrust ihren Ausgang nimmt und das vorbildliche Beispiel einer Objektwahl nach dem Anlehnungstypus zeigt; ](フロイト『自我とエス』第3章、1923年)
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つまりメラニー・クライン曰くの《超自我の核は、母の乳房である[The core of the superego is thus the mother's breast]》はここにあるのである(もっともラカンはこの母の乳房を後により一般化して「母の身体」としており、現代主流ラカン派においては、超自我の核は母の身体である)。
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そしてフロイトにとって前エディプス期の母との同一化は母への固着のことである。
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前エディプス期の母との同一化[Die Mutteridentifizierung …die präödipale,]、あるいは前エディプス期の固着[Fixierungen jener präödipalen Phasen](フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『続精神分析入門講義』第33講、1933年、摘要)
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おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)
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つまり、超自我への取り入れ[Introjektion ins Über-Ich]=前エディプス期の母との同一化[Die Mutteridentifizierung jener präödipalen Phasen]=母への固着[Fixierung an die Mutter]である。
フロイトにおいて「母への固着」という表現は1905年の『性理論』以来、頻出する。ここでは最晩年の、フロイトの死の枕元にあったとされる論からひとつ引用しておく。
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母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)
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◼️母への固着[Fixierung an die Mutter]と超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]
そもそも最晩年のフロイトにおいて超自我は固着である。
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超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)
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そして幼児の依存を担う超自我が自我とエスを分離するとしている。
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心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく想定される。
Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)
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誰が幼児の依存[kindlicher Abhängigkeit]を担うのか、母あるいは乳幼児の身体の世話役に決まっている、《母への依存性[Mutterabhängigkeit]》(フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)。つまり母は超自我である。これがラカンが次のように言っている意味である。
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母なる超自我に属する全ては、この母への依存の周りに表現される[c'est bien autour de ce quelque chose qui s'appelle dépendance que tout ce qui est du surmoi maternel s'articule](Lacan, S5, 02 Juillet 1958、摘要)
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つまり母への固着とは事実上、超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]なのである。もっともこの表現は、フロイトラカンにはなく、現代ラカン派にも私の知りうる限りないが、上に示した内容から論理的にそうなる。
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◼️トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]と母への固着[Fixierung an die Mutter]
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フロイトは初期幼児期のトラウマへの固着を語っている。
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病因的トラウマ、この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる[ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an]〔・・・〕
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕
このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]
この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)
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上にあるようにここでのトラウマへの固着は「身体の出来事への固着」(それに伴う反復強迫)であり、「不変の個性刻印」である。
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このトラウマ的刻印は身体の世話に伴う母の刻印であるだろう。フロイトはこの母を原誘惑者と表現している。
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母は、子供を滋養するだけではなく世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとって「原誘惑者ersten Verführerin」になる。[Person der Mutter, die nicht nur nährt, sondern auch pflegt und so manche andere, lustvolle wie unlustige, Körperempfindungen beim Kind hervorruft. In der Körperpflege wird sie zur ersten Verführerin des Kindes. ](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第7章、1939年)
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フロイトにとってこの母が身体の出来事としてのトラウマ(トラウマへの固着)なのである。
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母は幼児にとって強いトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)
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このトラウマは身体の出来事という意味と同時にトラウマ的喪失を意味する。なぜなら母は常に幼児の傍らにいるわけではないから。
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(初期幼児期における)母の喪失というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この見失われた対象-喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)
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こうして初期幼児期のトラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]と母への固着[Fixierung an die Mutter]は等置できるのである。トラウマへの固着に伴う反復強迫とは、事実上、喪われた母の身体を取り戻そうとする切望備給[Sehnsuchtsbesetzung]、つまり切望リビドーであるだろう。
フロイトが或る対象へのリビドーの固着の生涯の存続の可能性をいうとき、原点にあるのは、喪われた母への固着だと捉えうる。
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或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続することが多い[die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. ](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)
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母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
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なおフロイトにとってトラウマへの固着に伴う反復強迫の別名は死の欲動である。
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われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)
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◼️ラカンにおける母と超自我
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ラカンは母を現実界とし、トラウマとしている。
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母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)
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フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne (…) ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.] (Lacan, S23, 13 Avril 1976)
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さらにこの母なるモノを喪われた対象(享楽の対象)とした。
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享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)
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母=トラウマ=喪われた対象とは、先に見たフロイトと同様である。
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ラカンのモノとは対象aでもある、ーー《セミネールVIIに引き続く引き続くセミネールで、モノは対象aになる[dans le Séminaire suivant(le Séminaire VII), das Ding devient l'objet petit a.]》 ( J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 06/04/2011)
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例えばセミネールⅩにて母を対象aとし、かつ固着としている。
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母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).] (Lacan, S10, 15 Mai 1963 )
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対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)
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さらに後のセミネールでこの対象aを穴としているが、この穴は現実界のトラウマのことである。
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対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[ l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel](Lacan, S16, 27 Novembre 1968)
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現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)
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かつまたセミネールⅩⅢではこの穴としての対象aを超自我と結びつけている。
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私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。この対象aは現実界であり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a). …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : ](Lacan, S13, 09 Février 1966)
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以上、ラカンは次のように言っていることになる。
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現実界=母なるモノ=トラウマ=喪われた対象=固着=穴=超自我
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そしてこの現実界は死の欲動である。
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死の欲動は現実界である[La pulsion de mort c'est le Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)
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これは上で見たフロイトと全き等価である。
◼️父の名と超自我(母なるモノ)
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後年のラカンにおいて母なる超自我は超自我自体となった。エディプス的父(父の名)の失墜に伴って現れるのが超自我である。
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エディプスの失墜において超自我は言う、「享楽せよ!」と[au déclin de l'Œdipe …ce que dit le surmoi, c'est : « Jouis ! » ](ラカン, S18, 16 Juin 1971)
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ラカンはフロイトのエディプスの形式化から「父の名」を抽出した[Le Nom-du-Père que Lacan avait extrait de sa formalisation de l'Œdipe freudien](Jean-Louis Gault, Hommes et femmes selon Lacan, 2019)
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自我理想=父の名は、象徴界(言語秩序)にあり、現実界(身体の出来事に関わるトラウマ界)にはない。
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要するに自我理想は象徴界で終わる[l'Idéal du Moi, en somme, ça serait d'en finir avec le Symbolique](Lacan, S24, 08 Février 1977)
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象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)
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つまり父の名は言語に結びついている。
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父の名は象徴界にあり、現実界にはない[le Nom du père est dans le symbolique, il n'est pas dans le réel]( J.-A. MILLER, - Pièces détachées - 23/03/2005)
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言語は父の名である[C'est le langage qui est le Nom-du-Père]( J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique,cours 4 -11/12/96)
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この言語に結びついた象徴界に欲望がある。
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欲望は象徴界の効果である[le désir …C'est …effet du symbolique.](J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)
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他方、現実界の審級にある超自我あるいは母なるモノは、身体(欲動の身体=享楽の身体)に関わる。
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現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)
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身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)
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身体のトラウマの穴、すなわち欲動=リビドー=享楽である。
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欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975、摘要)
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リビドーは、その名が示すように、穴に関与せざるをいられない[ La libido, comme son nom l'indique, ne peut être que participant du trou] (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)
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簡潔にいえば欲動あるいは享楽は身体である。
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エスの要求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.](フロイト『精神分析概説』第2章1939年)
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ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる [Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance](J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)
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簡単に図示しておこう。
なおこの区分においては想像界は象徴界に含まれる。
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想像界、自我はその形式のひとつだが、象徴界の機能によって構造化されている[la imaginaire …dont le moi est une des formes… et structuré :… cette fonction symbolique](Lacan, S2, 29 Juin 1955)
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現実界側は先に示したように、
母への固着[Fixierung an die Mutter] トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma] 超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]
この三表現に結びついており、反復強迫としての死の欲動である。
なお、超自我と原抑圧は事実上、等価である。どちらも固着である。
◼️超自我=原抑圧=固着
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超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)
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抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)
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超自我と原抑圧の一致がある[il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire.] (J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)
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したがって原抑圧されたものの回帰は超自我(欲動の身体)にかかわり、後期抑圧されたものの回帰は父の名(欲望の言語)に関わる。
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen (Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)
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フロイトが抑圧されたものの回帰というとき、原抑圧されたものの回帰、後期抑圧されたものの回帰なのかはっきり識別する必要があるが、これも現在に至るまで、ほとんど為されていない。
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………………
※付記
なお晩年のフロイトは出生に伴う母への原固着を原トラウマとした。
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出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。
Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)
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そして1915年のフロイトは欲動の対象を固着とした。
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欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。
Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. [...] Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト「欲動とその運命』1915年)
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さらに1920年と最晩年には欲動を次のように定義している。
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以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)
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人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)
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