ラカンの享楽はフロイトの不安と等価である。
フロイトにおいて不安は「トラウマ=喪失=不快」。 |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
不安は対象の喪失への反応として現れる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
ラカンは享楽を穴としたがトラウマの穴のこと。 |
享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
ーーすなわち、《享楽はトラウマの審級にある[la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
さらに享楽は喪失であり、不快つまり不安。 |
享楽の喪失がある[il y a déperdition de jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970) |
ーー《(フロイトにおいて)不安と呼ばれる不快ある。これをラカンは一度だけ言ったが、それで十分である[il y a ce déplaisir qu'on appelle angoisse. Et c'est pourquoi Lacan peut dire une fois mais ça suffit]》 (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6. - 02/06/2004) 以上から次のように置ける。 |
もちろん他にもいろんな言い方がある。例えば最晩年のラカンは享楽は去勢と言ったが、去勢は喪失のことであり、上の表の喪失は去勢と等価。
享楽は去勢である[la jouissance est la castration](Lacan parle à Bruxelles, 26 Février 1977) |
ーー《去勢は享楽の喪失である[ la castration… une perte de jouissance]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011) |
去勢、すなわち喪失[Kastration, d. h. als Verlust](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) |
ラカンは《反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]》(Lacan, S17, 14 Janvier 1970)と言ったが、これは上の用語もろもろを代入して、不安の回帰、トラウマの回帰、喪失の回帰(喪われた対象の回帰)、不快の回帰等々が反復のこと(フロイトの反復強迫)。 | |||||
事実、フロイトはこう言っている。 | |||||
結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) | |||||
さらにラカンはこう言った。 | |||||
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.](Lacan, S23, 09 Décembre 1975) | |||||
つまりは原抑圧はトラウマに関わり、したがって原抑圧されたものの回帰はトラウマの回帰のことであり、これが享楽の回帰に他ならない。
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