2023年7月13日木曜日

精神神経症と現勢神経症(自我の症状とエスの症状)

 


一般にーー例えばラカン派がーー「神経症」と言うとき、フロイトの精神神経症のことを指している。だが、フロイトにはこの精神神経症以外に現勢神経症概念がある。


おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す[die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, ]〔・・・〕

精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する[daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)


フロイトは「おそらく」としか言っていないが、これはほぼ正しく、現勢神経症を原抑圧の病いーー原抑圧は「欲動の固着」と等価であるーーとすれば、「自我の症状とエスの症状」で示したエスの症状である。他方、精神神経症はこの現勢神経症の心的外被[psychische Umkleidung]とフロイトはしており、自我の症状である。これについては、「症状の二重構造(固着と心的外被、サントームと形式的覆い)」に比較的詳しく示してある。


ここでは単純に次のように図示しておくだけにする。




すなわち、




フロイトにおいて固着とトラウマは等価である。例えば、『終りある分析と終りなき分析』(1937年)で、原固着[ Urfixierung]=原トラウマ[Urtrauma]としている[参照]。



ところで、フロイトは「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」と題された1917年の講義で、神経症はトラウマの病いだとしている。


神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる。Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1917年)



前回掲げたフロイトの記述から、このトラウマへの防衛として代理形成された症状が精神神経症、トラウマがエスに居残っての症状が現勢神経症だと捉えうる。


なお晩年のフロイトは次のように書いている。


すべての神経症的障害の原因[Die Ätiologie aller neurotischen Störungen]は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動[widerspenstige Triebe]が自我による飼い馴らし[Bändigung]に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期のトラウマ体験[frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumen]を、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。


概してそれは二つの契機、素因的なものと偶然的なもの[des konstitutionellen und des akzidentellen]との結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかにトラウマは固着を生じやすく[Trauma zur Fixierung führen]、精神発達の障害を後に残すものであるし、トラウマ的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態においてもその障害が現われる可能性は増大する[je stärker das Trauma, desto sicherer wird es seine Schädigung auch unter normalen Triebverhältnissen äußern.](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章, 1937年)



ーーラカンが欲動はトラウマの穴だと言っている理由はこのフロイト文に最も明瞭に現れている。


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975、摘要)

現実界は、穴=トラウマをなす[le Réel. …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


そしてこのトラウマの穴は原抑圧、つまり欲動の固着による。


私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する「 c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕

この欲動の固着 は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)


ラカンにおいて、主体自体この穴である。


現実界のなかの穴は主体である[Un trou dans le réel, voilà le sujet]. (Lacan, S13, 15 Décembre 1965)

ラカンの穴=トラウマによる言葉遊び。トラウマの穴はそこにある。そしてこの穴の唯一の定義は、主体をその場に置くことである[le jeu de mots de Lacan sur le troumatisme. Le trou du traumatisme est là, et ce trou est la seule définition qu'on puisse donner du sujet à cette place](J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 10/05/2006)

人はみなトラウマ化されている。 この意味はすべての人にとって穴があるということである。[tout le monde est traumatisé …ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou.](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 )


事実上、ラカンの主体はフロイトの現勢神経症ではないか? 私の知る限り、ラカンは一度も現勢神経症概念に直接には触れていないが。