前回示したことは、フロイトが抑圧[Verdrängung]という語を使うとき、原抑圧[Urverdrängung]と後期抑圧[Nachverdrängung]があり、前者が欲動[Trieb]、後者が欲望[Wunsch]に関わるということである。
上の表の表象代理[Vorstellungsrepräsentanz]とは、厳密には、欲動の表象代理[Vorstellungs-Repräsentanz des Triebes]であり、フロイトは欲動代理[Triebrepräsentanz]とも言っていることを示した。
さらに晩年のフロイトは抑圧という語を原抑圧の意味に使うようになっていることをも示した。少なくともエスの欲動に関わる抑圧は、すべて原抑圧である。
例えば、巷間でしばしば触れられる「自我とエス」図がある。
この図の抑圧されたもの[Verdrängt]は、厳密には、原抑圧されたもの[Urverdrängung]なのである(もっともこれはフロイト研究者プロパーでもそう指摘できている人はいまだ稀だが)。
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen( Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
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さらに上図に示されていることは自我内部の無意識は前意識[Vorbewußtes]だということである(前意識自体、意識されていないという意味では無意識的だが、既に表象になった無意識であり、表象以前のエスの無意識とはその作用が大きく異なる)。
これはフロイト自身、簡単に説明するのは難しいとしている。 |
精神分析が無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった経緯を簡潔に説明するのは、もっと難しい。 Schwieriger wäre es, in kurzem darzustellen, wie die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. (フロイト『自己を語る』第3章、1925年) |
ここではフロイトの記述をいくつか抜き出し、補っておこう。 まず自我は前意識的であり、エスは無意識的である。 |
私は、知覚体系Wに由来する本質ーーそれはまず前意識的であるーーを自我と名づけ、精神の他の部分ーーそれは無意識的であるようにふるまうーーをエスと名づけるように提案する。 |
Ich schlage vor, ihr Rechnung zu tragen, indem wir das vom System W ausgehende Wesen, das zunächst vbw ist, das Ich heißen, das andere Psychische aber, in welches es sich fortsetzt und das sich wie ubw verhält, …das Es. |
(フロイト『自我とエス』第2章、1923年) |
次の最晩年の文も同様だが、より精緻に記述されている。 |
人の発達史と人の心的装置において、〔・・・〕原初はすべてがエスであったのであり、自我は、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態に変わり、そうして自我の中に受け入れられた。他のものはエスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核として置き残される。 |
die Entwicklungsgeschichte der Person und ihres psychischen Apparates […] Ursprünglich war ja alles Es, das Ich ist durch den fortgesetzten Einfluss der Aussenwelt aus dem Es entwickelt worden. Während dieser langsamen Entwicklung sind gewisse Inhalte des Es in den vorbewussten Zustand gewandelt und so ins Ich aufgenommen worden. Andere sind unverändert im Es als dessen schwer zugänglicher Kern geblieben. |
(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第4章、1939年) |
何ものかがエスの核に置き残されるとあるが、これが本来の無意識としての「異者としての身体[Fremdkörper]であり、エスの欲動蠢動 [Triebregung des Es] である。 |
異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕 |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
ーーフロイトはここでも、抑圧された欲動蠢動[verdrängende Triebregung]としているが、この抑圧は原抑圧なのである。
フロイトは既に1911年の『症例シュレーバー』で、原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe ]と原初に置き残された欲動[primär zurückgebliebenen Triebe]を等置している。原抑圧とはエスに欲動を置き残すことである。別の言い方をすれば、「置き残される」とは、「表象化されない」を意味する。
ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。 The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年) |
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そして、これまた前回示したことだが、この原抑圧に関わる、エスの欲動蠢動としての異者としての身体が、ラカンの現実界である。