2020年5月11日月曜日

サントームは無意識のエスの反復強迫である


サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)


① サントームは、S2なきS1[S1 sans S2]を通した身体の自動享楽である。

反復的享楽、これを中毒の享楽と言い得るが、厳密に、ラカンがサントーム sinthomeと呼んだものは、中毒の水準にある。この反復享楽は「1のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。その意味は、知を代表象するS2とは関係がないということだ。この反復的享楽は知の外部 にある。それはただ、S2なきS1[S1 sans S2]を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。

La jouissance répétitive, la jouissance qu'on dit de l'addiction - et précisément, ce que Lacan appelle le sinthome est au niveau de l'addiction -, cette jouissance répétitive n'a de rapport qu'avec le signifiant Un, avec le S1. Ça veut dire qu'elle n'a pas de rapport avec le S2, qui représente le savoir. Cette jouissance répétitive est hors-savoir, elle n'est qu'auto-jouissance du corps par le biais du S1 sans S2. Et ce qui fait fonction de S2 en la matière, ce qui fait fonction d'Autre de ce S1, c'est le corps lui-même. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011)


② S2なきS1[S1 sans S2]とはフロイトの固着である。

現実界のポジションは、ラカンの最後の教えにおいて、二つの座標が集結されるコーナーに到る。シニフィアンと享楽である。ここでのシニフィアンとは、「単独的な唯一のシニフィアンsingulièrement le signifiant Un」である。それは、S2に付着したS1ではない[non pas le S1 attaché au S2 ]。この「唯一のシニフィアンle signifiant Un 」という用語から、ラカンはフロイトがリビドーとして示した何ものかを把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽である。(…)

Cette position du réel, je suis arrivé à la coincer de deux coordonnées cueillies dans le dernier enseignement de Lacan : le signifiant, et singulièrement le signifiant Un – le Un détaché du deux, non pas le S1 attaché au S2 et prenant sens à partir de lui, donc le signifiant Un –, et puis, de ce terme où Lacan a utilisé les ressources de la langue française pour attraper quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido, à savoir la jouissance. […]
私は考えている、この「1と享楽[Un et de la jouissance]の結びつき」が分析経験の基盤であると。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。

je le suppose, c'est que cette connexion du Un et de la jouissance est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


③ したがって、サントームは、固着による無意識のエスの反復強迫である。

この欲動蠢動 Triebregungは「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして固着する契機 Das fixierende Moment は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


④ フロイトの『制止、症状、不安』、とくに第10章が、後期ラカンの鍵である。

私は昨年言ったことを繰り返そう、フロイトの『制止、症状、不安』は、後期ラカンの教えの鍵 la clef du dernier enseignement de Lacan である。(J.-A. MILLER, Le Partenaire Symptôme - 19/11/97)
フロイトにとって症状は反復強迫 compulsion de répétition に結びついたこの「止まないもの qui ne cesse pas」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は、無意識のエスの反復強迫に見出されると。
フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は「行使されることを止めないもの ne cesse pas de s'exercer」である. (J.-A. MILLER, L'Autre qui  n'existe pas  et ses comités d'éthique - 26/2/97)


⑤ 上に、欲動は「行使されることを止めないもの ne cesse pas de s'exercer」とあるが、晩年のラカンが「現実界は書かれることを止めない」というとき、これはフロイトの「無意識のエスの反復強迫」のことである。

症状は現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン『三人目の女 La Troisième』1974)
現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire ](ラカン、S 25, 10 Janvier 1978)


⑥後期ラカンには骨象 osbjet »=文字対象aという概念があるが、これも固着のことである。

私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』2001年)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレールColette Soler、"Avènements du réel" Colette Soler, 2017年)




…………

以下、補足である。

 固着(原抑圧)はS(Ⱥ) とも記される。

固着としてのS(Ⱥ) 
フロイトの原抑圧とは何よりもまず固着である。…この固着とは、身体的なものが心的なものの領野外に置き残されるということである。…原抑圧はS(Ⱥ) に関わる[Primary repression concerns S(Ⱥ)]。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)


フロイトにとって原抑圧とはエスとの境界表象である。

(原)抑圧は、過度に強い対立表象の構築によってではなく、境界表象 Grenzvorstellung の強化によって起こる。Die Verdrängung geschieht nicht durch Bildung einer überstarken Gegenvorstellung, sondern durch Verstärkung einer Grenzvorstellung(Freud Brief Fließ, 1. Januar 1896)


したがって、S(Ⱥ) とは、エス=欲動の現実界(穴Ⱥ)の境界表象である。

欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。…原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカ, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)


S(Ⱥ) は対象aでもあるが、これは⑥で記した骨象a[osbjet a]である。

原穴埋めとしてのS(Ⱥ) =対象a
S(Ⱥ)の代わりに対象aを代替しうる。substituer l'objet petit a au signifiant de l'Autre barré.(J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005)
S(Ⱥ)の存在のおかげで、あなたは穴を持たず vous n'avez pas de trou、あなたは「斜線を引かれた大他者という穴 trou de A barré [Ⱥ]」を支配するmaîtrisez。(UNE LECTURE DU SÉMINAIRE D'UN AUTRE À L'AUTRE Jacques-Alain Miller、2007)
S (Ⱥ)とは真に、欲動のクッションの綴じ目である。S DE GRAND A BARRE, qui est vraiment le point de capiton des pulsions(Miller, L'Être et l'Un, 06/04/2011)


S(Ⱥ)はサントームΣである。

サントームΣ としてのS(Ⱥ) 
我々が……ラカンから得る最後の記述は、サントーム sinthome の Σ である。 Σ としてのS(Ⱥ) grand S de grand A barré comme sigma と記述することは、サントームに意味との関係性のなかで「外立ex-sistence」の地位を与えることである。現実界のなかに享楽を孤立化すること、すなわち、意味において外立的であることだ。(ミレール「後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan, 6 juin 2001」 LE LIEU ET LE LIEN 」)


S(Ⱥ)は、原抑圧(固着)であると同時に、超自我のシニフィアンでもある。

原抑圧(固着)=超自我としてのS(Ⱥ)
二項シニフィアンの場に超自我を位置付けることの結果は、超自我と原抑圧を同じものと扱うことになる。超自我と原抑圧を同一のものとするのは慣例ではないように見える。だが私はそう主張する。Le résultat de repérer le surmoi sur ce signifiant binaire, c'est de rapprocher le surmoi et le refoulement originaire. Ca ne paraît pas habituel que le surmoi et le refoulement originaire puissent être rapprochés, mais je le maintiens(J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)
S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳 transcription du surmoi freudienを見い出しうる。(J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96)


S(Ⱥ)は死の欲動のシニフィアンでもある。

死の欲動としてのS(Ⱥ)
死の欲動…それは超自我の欲動である。la pulsion de mort [...], c'est la pulsion du surmoi  (J.-A. Miller, Biologie lacanienne, 2000)
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend.(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)



原抑圧に戻り、原抑圧が事実上、固着であるのを確認しておこう。

われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり心的(表象的-)欲動代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)


ラカンが原抑圧の穴というとき、それはフロイトの引力のことである。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえる。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)


フロイトが原抑圧概念を初めて提出したのは、1915年の『抑圧』だが、それ以前に抑圧という語を使うとき、原抑圧を示している場合が多い。

たとえば次の文は原抑圧である。

翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧」と呼ばれるものである。Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch <Verdrängung> heisst.(フロイト、フリース書簡52、Freud in einem Brief an Fließ  6,12, 1896)


翻訳の失敗によって原無意識が生まれる。

エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳 Übersetzung に影響されず、原無意識(リアルな無意識 eigentliche Unbewußte)としてエスのなかに置き残されたままzurückである。(フロイト『モーセと一神教』1938年)

S(Ⱥ)としてのサントームが、③で示した「固着による無意識のエスの反復強迫」であるのは、この理由である。そして反復強迫とは、フロイトにとって死の欲動である。



…………

最後に冒頭文に戻ろう。

サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)

現実界はトラウマのことである。

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  (Lacan, S23, 13 Avril 1976)

したがって、サントームはトラウマであり、かつトラウマの反復強迫とすることができる。

サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps(MILLER, L'Être et l'Un, 30/3/2011)
享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…身体の出来事はトラウマの審級 にある。…身体の出来事は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである。 Freud l'a découvert[…] une répétition de la fixation infantile de jouissance. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)

享楽の固着とはトラウマへの固着のことである。

幼児期に起こるトラウマは自己身体の上への出来事 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚 Sinneswahrnehmungen である。…この「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」…これは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1938年)

次の文において、フロイトは戦争トラウマ等の事故的トラウマへの固着を含めて言っている。

外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1916年)

サントームは「事故的トラウマ」ではなく、幼児期における欲動要求にともなう「構造的トラウマ」である。事故的トラウマとは異なることを強調しておかねばならないが、その前提ででこう言いうる。

ーーサントームは外傷神経症の別の名である Le sinthome est un autre nom du névrose traumatique。