2020年5月17日日曜日

神は至聖所のヴェール


この全き空無 ganz Leeren は「至聖所 Heilige」 とさえ呼びうる。…我々は、その空無の穴埋めをせねばならない es müßte sich gefallen lassen、意識自体によって生み出される、空想(夢想 Träumereien)・仮象 Erscheinungen によって。何としても必死になって取り扱わねばならない何ものかがあると考えるのだ。というのは、何ものも空無よりはましであり、空想 Träumereienでさえ空無 Leerheit よりはましだから。(ヘーゲル『精神現象学』1807年)

寺院または至聖所を表すサンスクリツト語はgarbha-grha (「子宮」)であった[1]。
アルゴスの年中行事であるアプロディーテー例大祭は、ヒュステリアHysteria(「子宮」)祭と呼ばれた[2]。
大地・海・空を支配する太母に捧げられたギリシア最古の神託所は、デルポイDelphiという名前であったが、この言葉は delphos (「子宮」)に由来する。
巨石墳墓や塚は、死者を再生させるための「子宮」に見立てて造られていた。その膣のごとき墓道を見ると、新石器時代の人々は大変な苦労をして、土や石で子宮に似た構造物を造りだしたことがわかる。tomb (「墓」)とwomb (「子宮」)とは言語学的にも関連がある。ギリシア語tumbos〔tuvmboV〕とラテン語tumulusは、「膨れる、受胎している」という意味のラテン語tumereと同語源であった。tummy (「ぽんぽん」)という言葉は同じ語根に由来すると考えられている[3]。
子宮-神殿や子宮-墓という連想から、速い過去の母権制時代が思い起こされるが、この時代には、女性による生命、魔術だけが効き目があると考えられていた。極東の円蓋のある埋葬用の仏舎利塔の意味するものは、子宮-墓からの再生であった。極東では聖者の遺骸は、garbha (「子宮」)と呼ばれる建物の中に安置された[4]。塚、ミケーネのトロス(「穹窿墓」)、洞穴神殿や他の似たような構造物との類似点は、現在ではよく知られている。キリスト教の大聖堂も、身廊外陣nave(元来、「腹部」の意)と呼ばれる空間を中心に据えた。洞穴や玄室は大地、すなわち大地母神の「胎」に掘られたものと言われた。「誕生」を表す聖書表現は「大地の胎からの分離」である。
元型としての子宮象徴は、過去と同じく現在でもよく使われている。もっとも、必ずしもつねによく使われるものとして認識されているわけではないが。パウル・クレーによれば、「あらゆる機能がそこから生命を引き出してくる、すべての運動の中心的器官のもとに住みたい、と思わないような芸術家が果たしているだろうか。あらゆるものを解く泌密の鍵が隠されている自然の子宮に、創造の原初の地に住みたいと思わないような芸術家がいるであろうか」[5]。
[1]Campbell, C. M., 168.
[2]H. Smith, 126.
[3]Potter & Sargent, 28.
[4]Waddell, 262.
[5]Jung, M. H. S., 263.
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)


ーー日本の場合も、「参道と神宮」とは「産道と子宮」であるのは明らかだろう。たとえば宮崎県高千穂神社の後藤俊彦宮司は《神社が子宮で参道は産道》と明言している。






現実界の対象aと見せかけの対象a

(セミネール4において、)ラカンは無[rien]に最も近似している対象a を以て、対象と無との組み合わせを書くことに成功した。ゆえに彼は後年、対象aの中心には去勢[- φ]があると言うのである。そして対象と無があるだけではない。ヴェール[voile]もある。したがって、対象aは現実界であると言いうるが、しかしまた見せかけでもある。この対象aは、フェティッシュとしての見せかけ [un semblant comme le fétiche]である。


Avec l'objet petit a, le plus proche de ce « rien », Lacan a réussi à écrire ensemble l'objet et le rien, et c'est pour cela qu'il dit – bien des années plus tard – qu'au centre de l'objet petit a se trouve le - φ. (…) En cela, l'objet petit a, bien que l'on puisse dire qu'il est réel, est un semblant, c'est un semblant comme le fétiche. (J.-A. Miller, la Logique de la cure du Petit Hans selon Lacan, Conférence 1993)



我々は、見せかけを無を覆う機能と呼ぶ。Nous appelons semblant ce qui a fonction de voiler le rien(J.-A. Miller, Des semblants dans la relation entre les sexes、1997)
足は、不当にも欠けている女性のペニスを代替する。Der Fuß ersetzt den sch wer vermißten Penis des Weibes. (フロイト『性欲論』1905年)
フェティッシュは女性のファルス(母のファルス)の代理物である。der Fetisch ist der Ersatz für den Phallus des Weibes (der Mutter) フロイト『フェティシズム』1927年)
女は、見せかけに関して、とても偉大な自由をもっている!la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! (Lacan、S18, 20 Janvier 1971)







ヴェールは神である[Le voile est un Dieu]
ここに、主体、一つの点、すなわちヴェールがある。他の側には無がある[Ici, le sujet, un point ; le voile ; et de l'autre côté, un autre point, le rien]。

もしヴェールがないなら、我々は無があるのを見る[S'il n'y a pas de voile, on constate qu'il n'y a rien]。

もし主体と無とのあいだにヴェールがあるなら、すべてが可能である[Si entre le sujet et le rien il y a un voile, tout est possible]。

人はヴェールにて戯れ[jouer avec le voile]、事物を想像する[imaginer des choses]ことができる。…ヴェールは無から何ものかを創造する[le voile crée quelque chose ex nihilo]。ヴェールは神である[Le voile est un Dieu]。(J.-A. Miller, 享楽の監獄 LES PRISONS DE LA JOUISSANCE 1994年)




◼️補足

対象a=去勢(喪われた対象)
私は常に、一義的な仕方façon univoqueで、この対象a を(-φ)[去勢]にて示している。(ラカン、S11, 11 mars 1964)
「永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)
例えば胎盤 le placentaという個体が出生の際に喪うl'individu perd à la naissanceこの自らの一部分 cette part de lui-même を、即ち、最も深く喪われた対象 le plus profond objet perdu を象徴するsymboliser 。 (ラカン、S11, 20 Mai 1964)

喪われた対象=去勢された母
この母という対象 Objekt der Mutterは、……喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsである(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)
人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)

享楽の対象=喪われたモノ
享楽の対象 Objet de jouissance…フロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë…それは喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
モノは母である。das Ding, qui est la mère (ラカン、 S7 16 Décembre 1959)

ーーより厳密には➡︎モノという異者身体の享楽」参照


モノ=去勢=享楽
モノは享楽の名である。das Ding[…] est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)
去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。 (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un  25/05/2011)
享楽は去勢である la jouissance est la castration(Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)



去勢としての対象aは穴とも言い換えられる。

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S16, 27 Novembre 1968)
去勢[-φ]の上の対象a(a/-φ)は、穴と穴埋めの結びつきを理解するための最も基本的方法である。petit a sur moins phi. […]c'est la façon la plus élémentaire de comprendre […] la conjugaison d'un trou et d'un bouchon. (J.-A. MILLER,  L'Être et l'Un,- 9/2/2011)

したがって、ラカンが《享楽は去勢である la jouissance est la castration》(Lacan, 1977)という時、「享楽は穴である la jouissance est le trou」ともすることができる。

そして究極の穴はここでも子宮である。

不気味なもの Unheimlich とは、…(-φ)[去勢]を置いた場に現れる。…。…私は(-φ)[去勢]を、欠如が欠如している manque vient à manquerと表現しうる。(ラカン, S10, 28 Novembre 1962)
欠如の欠如が現実界を為す Le manque du manque fait le réel(。(Lacan, AE573, 17 mai 1976)
現実界は穴ウマ(穴=トラウマ)を為す le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)




モノ=異者=不気味なもの=穴=享楽=去勢=喪われた対象
モノは、その異者性の特徴において、不気味なものである。das Ding,[…] dans son caractère étrange, unheimlich    (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)
モノを 、フロイトは異者とも呼んだ。das Ding[…] ce que Freud appelle Fremde – étranger. (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 26/04/2006)
モノとは結局なにか? モノは大他者の大他者である。…ラカンが把握したモノとしての享楽の価値は、斜線を引かれた大他者[穴Ⱥ]と等価である。
Qu'est-ce que la Chose en définitive ? Comme terme, c'est l'Autre de l'Autre.… La valeur que Lacan reconnaît ici à la jouissance comme la Chose est équivalente à l'Autre barré. (Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)
モノは享楽の名である。das Ding[…] est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)
去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。 (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un  25/05/2011)
享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…大他者の享楽? 確かに!  [« jouissance de l'Autre » ? Certes !   ]…(享楽の対象は)フロイトのモノ La Chose(das Ding)であり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970、摘要)