我々は、「無」le rien と本質的な関係性を享受する主体を、女たちfemmesと呼ぶ。私はこの表現を慎重に使用したい。というのは、ラカンの定義によれば、どの主体も、無に関わるのだから。しかしながら、ある一定の仕方で、女である主体が「無」を享受する関係性は、(男に比べ)より本質的でより接近している。(J.-A. Miller, Des semblants dans la relation entre les sexe, 1997)
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さてここでの問いは、男女とも無にかかわるのに、なぜ女たちのほうが無に接近しているのだろうか、である。
まず無とはモノのことである。
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現実界の中心にある空虚の存在をモノと呼ぶ。この空虚は…無である。l'existence de ce vide au centre de ce réel tout de même qui s'appelle la Chose, ce vide […]rien. (ラカン, S7, 27 Janvier 1960)
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そしてモノとは母である。
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モノは母である。das Ding, qui est la mère(ラカン, S7, 16 Décembre 1959)
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この母とは、究極的には、出産外傷による母子融合の喪失という意味での「喪われた原母」である。この意味での喪失は男女とも同じ条件の筈である。
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反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…
享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…大他者の享楽? 確かに! [« jouissance de l'Autre » ? Certes ! ]…(享楽の対象としての)フロイトのモノ La Chose(das Ding)は、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970、摘要)
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したがってミレールはこう言う。
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モノは享楽の名である。das Ding[…] est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)
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繰り返せば、享楽の対象としてのモノは、喪われた対象であり、原点にあるのは出生によって去勢された原母である。
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去勢ー出産 [Kastration – Geburt]とは、全身体から一部分の分離 die Ablösung eines Teiles vom Körperganzenである。(フロイト『夢判断』1900年ーー1919年註)
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人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
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最晩年のラカンは次のように言っている。
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享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…
問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
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ーー《去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。》 (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un 25/05/2011)
去勢にはいろいろな種類がある。とくに前中期ラカン における成人言語の世界に入ることによる言語による去勢、「象徴的去勢」が名高い。だがそれについてはここでは割愛する。
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今、ここで中心点話題としているのは出生による「リビドーの控除=享楽の控除」という意味での原去勢である。
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リビドー libido は、…人が性的再生産の循環 cycle de la reproduction sexuéeに従うことにより、生きる存在から控除される soustrait à l'être vivant。(ラカン、S11, 20 Mai 1964)
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(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(J.-A. MILLER , Retour sur la psychose ordinaire, 2009)
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ーー《ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものかを把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽 である。》(ミレール, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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ところで上で引用したように《モノは享楽の名》《去勢は享楽の名》と言うミレール は、「モノは穴」ともしている。
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モノとは結局なにか? モノは大他者の大他者である。…ラカンが把握したモノとしての享楽の価値は、斜線を引かれた大他者[穴Ⱥ]と等価である。
Qu'est-ce que la Chose en définitive ? Comme terme, c'est l'Autre de l'Autre.… La valeur que Lacan reconnaît ici à la jouissance comme la Chose est équivalente à l'Autre barré. (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)
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モノとは(言語の大他者Aとは異なって)象徴界外にある「斜線を引かれた現実界的大他者Ⱥ」である。
このモノが穴であるのは、ラカンの次の発言群にて確認できる。
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フロイトのモノChose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)
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現実界は…穴=トラウマを為す。le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
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J(Ⱥ) (斜線を引かれた大他者の享楽)…これは「大他者の享楽はない」ということである。大他者の大他者はないのだから。これが斜線を引かれたA [Ⱥ] (穴)の意味である。qu'il n'y a pas de jouissance de l'Autre en ceci qu'il n'y a pas d'Autre de l'Autre, et que c'est ce que veut dire cet A barré [A]. (ラカン, S23, 16 Décembre 1975)
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以上、男よりも女のほうが無に接近している理由は、股の間にオメコを持っているせいだということが確認できた筈である。
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