2020年5月20日水曜日

享楽は穴である la jouissance est le trou


享楽は去勢である la jouissance est la castration(Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

以下、「享楽は穴である la jouissance est le trou」ともしうることを、ジャック=アラン・ミレール の注釈を軸にして、フロイトラカンを引用することにより示す。

次の、去勢と穴と等置している文を受け入れるなら、たちまち「享楽は穴」となる。

去勢[-φ]の上の対象a(a/-φ)は、穴と穴埋めの結びつきを理解するための最も基本的方法である。petit a sur moins phi. […]c'est la façon la plus élémentaire de comprendre […] la conjugaison d'un trou et d'un bouchon. (J.-A. MILLER,  L'Être et l'Un,- 9/2/2011)

だが以下はいくらか綿密にそれを裏付ける。

穴とはラカン マテームでは、Ⱥと書かれる。


去勢とは差し引かれた享楽という意味もある。

(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Retour sur la psychose ordinaire, 2009)

したがってこうである。



そして去勢=穴は、象徴界外(言語外)の現実界の水準にあり、トラウマ的な「不気味なもの」である(ラカン においてトラウマとは言語外にあるものという意味)。

不気味なもの Unheimlich とは、…(-φ)[去勢]を置いた場に現れる。…。…私は(-φ)[去勢]を、欠如が欠如している manque vient à manquerと表現しうる。(ラカン, S10, 28 Novembre 1962)
欠如の欠如が現実界を為す。Le manque du manque fait le réel (Lacan, AE573, 17 mai 1976)
現実界は穴ウマ(穴=トラウマ)を為す le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)

フロイトにおいて究極の不気味なもの=穴は、女性器である。

女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)

この不気味なものは内的反復強迫を促す。

心的無意識のうちには、欲動蠢動 Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919年)

内的反復強迫とは、より厳密に言えば、無意識のエスの反復強迫である。

欲動蠢動 Triebregungは「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして固着する契機 Das fixierende Moment は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)

この無意識のエスの反復強迫を促すものをフロイトは「異物 Fremdkörper」と呼んだが、この異物が不気味なものである。

たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年)

「異物 Fremdkörper」とは「異者としての身体」ということである。

われわれにとって異者としての身体 un corps qui nous est étranger(ラカン , S23, 11 Mai 1976)

別の角度から言えば、不気味なものは外密であり、異者としての身体=モノである。
私の最も内にある親密な外部、モノとしての外密 extériorité intime, cette extimité qui est la Chose(ラカン,S7, 03 Février 1960)
ラカンは外密 extimitéという語を…フロイトとハイデガーが使ったモノdas Ding (la Chose)から導き出した。…外密 extimitéという語は、親密 intimité を基礎として作られている。外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。外密は、異者としての身体のモデルmodèle corps étrangerである。…外密はフロイトの 「不気味なものUnheimlich 」同じように、否定が互いに取り消し合うnégations s'annulent 語である。( J.-A. Miller, Extimité, 13 novembre 1985)

上のミレール 注釈は1985年という比較的早い段階のものなので、最近の注釈を掲げることにより確認しておこう。

モノは、その異者性の特徴において、不気味なものである。das Ding,[…] dans son caractère étrange, unheimlich    (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)
モノを 、フロイトは異者とも呼んだ。das Ding[…] ce que Freud appelle Fremde – étranger. (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 26/04/2006)

ところで前期ラカンはモノを母と呼んでいる。

モノは母である。das Ding, qui est la mère(ラカン, S7, 16 Décembre 1959)

だが、このモノとしての母とは、厳密には「モノとしての母の身体」である(参照:モノという異者身体の享楽)。この母なる異者身体が、究極の異者としての身体である。

そしてこのモノが喪われた対象である。

享楽の対象 Objet de jouissance…フロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë…それは喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
この母という対象 Objekt der Mutterは、……喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsである(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)

「喪われた」とは「去勢された」という意味もある。

去勢ー出産 [Kastration – Geburt]とは、全身体から一部分の分離 die Ablösung eines Teiles vom Körperganzenである。(フロイト『夢判断』1900年ーー1919年註)
人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自己身体の一部分Körperteils の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt がそれまで一体であった母からの分離 Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)

この出産外傷=原去勢が、ラカン 曰くの「廃墟となった享楽」である。
反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)

そして究極的な「享楽回帰 Retour de la jouissance」は「母胎回帰 Rückkehr in den Mutterleib」のである。

人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎回帰 Rückkehr in den Mutterleibがある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

確認しよう。喪われた母の異者身体が享楽の対象であり、モノの名である。

この享楽の対象は、禁じられ外密のポジションにある。すなわち内的かつ手に入らないものである。ラカンはこの外密をモノの名として示した。[Cet objet de la jouissance comme interdit, comme occupant une position extime, c'est-à-dire à la fois interne et inaccessible, c'est ce que Lacan a désigné du nom de la Chose](J.-A. Miller,Introduction à l'érotique du temps, 2004)
モノは享楽の名である。das Ding[…] est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)

そしてこのモノ=享楽の名が去勢=穴なのである。

去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。 (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un  25/05/2011)
モノとは結局なにか? モノは大他者の大他者である。…ラカンが把握したモノとしての享楽の価値は、斜線を引かれた大他者[穴Ⱥ]と等価である。
Qu'est-ce que la Chose en définitive ? Comme terme, c'est l'Autre de l'Autre.… La valeur que Lacan reconnaît ici à la jouissance comme la Chose est équivalente à l'Autre barré. (Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)

以上、最晩年のラカンが《享楽は去勢である la jouissance est la castration(Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)という時、「享楽は穴である la jouissance est le trou」ともすることができるのを確認できた筈である。