2022年7月20日水曜日

超自我の核は固着の反復である

 


ジャック=アラン・ミレールはラカンから引き継いだ最初のセミネールで既にこう言っている。

症状の享楽は超自我の核である[La jouissance du symptôme…C'est ce nexus-là qu'on a appelé le surmoi](J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 MARS 1982)

超自我と原抑圧との一致がある[il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire ] (J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)


フロイトにおいて原抑圧とは固着のことである。


抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ](フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)


つまり超自我の核は固着の享楽であることをミレールは1982年に事実上示しているのである。


フロイトの記述においても、固着の核には超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]があるのを少し前に示した[参照]。


超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


ーーそしてこの超自我は母であることも示してある。


さて「症状の享楽=固着の享楽」における享楽とは、反復のことである。


反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)


反復は固着の回帰であり、これが固着の享楽の意味である。


さらに「症状の享楽」というときの症状は現実界の症状サントームである。

サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME.  C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)


すなわち「症状の享楽=サントームの享楽」であり、これが「固着の回帰=固着の反復」である。


われわれは言うことができる、サントームは固着の反復だと。サントームは反復プラス固着である[On peut dire que le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)


ーーニューラカニアンスクールのボスAlexandre Stevensによる2022年の会議のためのプレゼンなのだが、ミレールが事実上、40年前に示していることがこの今になってようやく議題にされているわけで、なぜこんなに時間がかかってしまったのか、と言いたくなる。


何はともあれ、現代主流ラカン派の臨床の基盤は固着である。

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


これは、人がみな持っている母なる超自我が分析の基礎としてよいだろう。


母なる超自我は原超自我である[le surmoi maternel… est le surmoi primordial   ](Lacan, S5, 02 Juillet 1958、摘要)

私は病気だ。なぜなら、皆と同じように、超自我をもっているから[j'en suis malade, parce que j'ai un surmoi, comme tout le monde]( Lacan parle à Bruxelles、 26 Février 1977)

欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen](フロイト『症例シュレーバー』1911年)